『祖国が棄てた人びと』を読む

郭 辰雄
特定非営利活動法人コリアNGOセンター 代表理事

2018年、朝鮮半島は南北の平和共存へと大きく動き始めた。4月の「板門店宣言」をはじめ、6月の「朝米シンガポール共同合意文」、9月の「平壌共同宣言」は、南北が分断と戦争の時代をのりこえ、平和と繁栄の道を共に歩もうとする決意に満ちたものだった。こうしたなか2018年11月、『祖国が棄てた人びと~在日韓国人留学生スパイ事件の記録』が出版された。
本書は在日韓国人政治犯として逮捕・収監されてきた人びとの再審請求の過程で語られてきた内容をもとに構成されている。著者の金孝淳氏はハンギョレ新聞の東京特派員、論説委員なども歴任したジャーナリストであり、そこで語られるのは差別と分断に抗い生きてきた元政治犯の姿と、彼らの事件を通じて朝鮮半島の分断が在日コリアンの尊厳をいかに暴力的に踏みにじってきたかという時代の断面である。
就職、結婚、入居など生活のありとあらゆる場面で深刻な差別を受けるなか、多くの在日コリアンが自分は何者であるかを問い、人生の希望を見出そうともがき、あるものは北へ、あるものは南へと祖国に未来を夢見てわたっていった。しかし1970年代以降、留学や商用で渡韓した在日韓国人が突然、「北のスパイ」として逮捕される事件が相次ぎ、その数は100名をはるかに超える。また逮捕に至らずとも連行、取調べを受けた者も多数にのぼる。
なぜこうした事件がおこったのか。
著者は「韓国の歴代の権威主義政権は、くり返し公安捏造事件を仕掛け、大々的ニュースに仕立て上げた。それは根拠のない『アカの恐怖』を拡散させて市民らを萎縮させ、民主化運動を孤立化、瓦解させて独裁を維持」するためだったと指摘する。民団と総連という組織が存在し、目に見えない「38度線」のもとにある在日コリアンは軍事独裁政権にとっては恰好の標的であった。逮捕された人々は例外なく筆舌に尽くしがたい拷問はもちろん、懐柔や脅迫、ありとあらゆる手段で自白を強要され、それが唯一の証拠として死刑・無期懲役などの実刑判決を宣告された。
そして本書では、政治犯事件捏造の過程で日本の元公安調査庁職員が検察側証人として韓国の裁判所で証言に立つなど、政治犯事件が「反共」「反北」という点で利害を共にする日韓両政府(とそのもとで暗躍する右翼)の連携で生み出されてきた歴史も明らかにしている。
しかしその一方で、在日韓国人政治犯事件をめぐっては彼らの生命と人権を守るための救援運動が家族、友人を中心に広がり、多数の市民が参加するなか日本全国で救援運動が展開された。その結果、一人として死刑執行させることなく、全員の釈放を実現し、いまでは多くの元政治犯が不法・不当捜査による捏造事件であったとして再審請求をおこない無罪判決を勝ち取っている。
本書は、在日韓国人政治犯という国家によって犠牲を強いられた人びとの姿を通じて、韓国の軍事独裁政権と在日コリアンの歴史、日韓市民の連帯の生きた歴史を私たちに伝えてくれる。過去の間違いに真摯に向き合うことから新しい時代への一歩が生まれる。それが1987年に民主化を実現した韓国社会の歩みであり、二度とこのような歴史を繰り返してはならないという思いにあふれている。
いまだに嫌韓、ヘイトスピーチがあふれる日本を知るためにも、ぜひ一読を薦めたい。

〈注釈〉
この文章で言う、「在日韓国人」とは「韓国国籍を有する在日コリアン」のことを意味し、「在日コリアン」とは韓国籍、朝鮮籍、日本籍を問わず、日本に暮らす朝鮮半島出身者のことを意味する。

金 孝淳著、石坂 浩一監訳、明石書店 本体3,600円+税 2018年11月