大矢英代
「沖縄スパイ戦史」監督
この夏大きな話題を呼んだ本作の自主上映の呼びかけがいよいよ始まった。9月29日、幕開けとなった京都での上映会では、監督のひとりとして私が講演をさせて頂いた。悪天候の中で約200人が詰めかけ、大変な盛り上がりだった。2度も3度も本作を観たという方々も多く、制作者としてこの上ない喜びだった。
「私は沖縄戦のことを全く知らなかったと、その事実を突きつけられました。」観客から寄せられた声の大半がそのようなものだった。映画で描いた沖縄戦は、過去73年間語り継がれてきた史実とは一線を画すものだからだ。キーワードは「秘密戦」「スパイ戦」。特殊機関・陸軍中野学校で、スパイのエリートとして教育を受けた特務員たちによる、終わりなき戦争の実態である。その作戦に動員されたのが、銃を持ち本島北部の山々に潜んで戦った10代半ばの沖縄の少年たちだった。そのひとり、瑞慶山良光さんは、爆弾を背負って米軍の戦車に突撃する、今でいうテロ行為を担わされていた。彼は、突撃直前の思いをこう振り返る。「生まれて来なければよかった。僕が死んだら親は悲しむから。生まれて来なければ、親を悲しませることもなかったのに。」
少年たちに過酷な任務を強いた「秘密戦」の目的とは一体なんだったのか。取材を進める中で浮かび上がったのは、「都合の良い存在」として民衆を活用し、作戦に協力させ、時に銃を持って戦わせると同時に、都合が悪くなった際には、住民たちを即座に始末できるよう掌中に納めておく作戦であった。
そんな任務で沖縄へと渡った陸軍中野学校出身者は全部で42人。そのうちの一人、山下虎雄と名乗る20代半ばの工作員によって甚大な被害がもたらされたのが、最南端の離島・波照間島だった。米軍が上陸しなかったにも拘らず、山下の軍命によって恐ろしいマラリア有病地帯の西表島へと強制移住をさせられた住民たちは、次々に病に倒れ、全人口の約30%(約500人)が死亡した。「八重山戦争マラリア」と呼ばれる史実である。その背景にあったキーワードは「情報漏洩」。つまり日本軍と綿密な協力関係にある住民たちがもし米軍に捕まった場合、日本軍の情報が敵に渡ることを最も恐れていたのだった。実際に、軍の機密を漏洩した場合は死刑に処すと定めた「軍機保護法」という法律が存在し、米軍上陸後の沖縄では、住民同士が互いを監視し、密告し合う恐ろしい環境が出来上がってしまっていた。
では、これら73年前の悲劇は過去の昔話なのだろうか。「自衛隊法」を紐解く中で明らかになったのは、今に至ってもなお住民たちは作戦に使われ、また情報漏洩防止のために監視の対象となっている事実だった。軍隊と民衆の恐ろしい関係性は現在へと脈々と受け継がれている。
私たちがわずか10ヵ月で映画を作り上げた思いは一つしかない。つまり「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の最も重要な教訓が通用しない世の中になってしまったからだ。「自衛」という名の隠れ蓑の下で着々と進む日米両軍による沖縄の再軍備化、戦争できる国づくりをなんとしても止めなくてはならない。それを可能としてしまっている民衆の弱さと責任を問わねばならない。その先にどんな恐ろしい明日が待ち構えているのかを知るには、沖縄戦の動かぬ証拠を伝えるしかない。そう思ったからだ。
自主上映会の呼びかけが始まった今、皆さんの地域や学校、職場などより身近な場所での上映ができるようになった。ぜひ多くの方々にご協力を頂ければ幸いである。2度と国家権力や為政者に騙されないために、次の戦争を止めるために、この映画がひとりでも多くの方々の元に届くことを切に願っている。
上映スケジュールなどの詳細はこの映画のウエブサイトまで。