集いの場づくりを目指す首都圏アイヌの自立運動

島田 あけみ(しまだ あけみ)
チャシ アン カラの会代表

首都圏アイヌにとって自分たちが集い、心置きなく語り合える場を持つことは長年の悲願です。宇梶静江さんや長谷川(石原)修さんなど、私たちの先輩が長年自分たちの集いの場を求めて国にかけあってきましたが、何十年たったいまも実現していません。私たちも先輩の意志をついで、生活館運動を続け、署名活動をして何万筆もの署名を内閣府に届けましたが、私たちアイヌとアイヌを支援する市民の声は届かなかったようです。運動をになってきた首都圏アイヌをとりまとめる組織が解散し、私たちの運動は行き場を失っていきました。

 現在、アイヌ政策推進会議が首都圏での生活館設置を課題にはしていますが、これまでの政府の対応からすると、私たちが望む集いの場、アイヌが所有し、運営するアイヌのため施設を国が作ってくれるとは思えません。毎年、進展状況の報告を受けますが、一向に前に進みません。

 そんなとき、私は2013年1月から2月にかけての5週間、アオテアロア・アイヌモシリ交流ブログラムでマオリ復興の取り組みを研修する機会に恵まれました。二度目のニュージーランド訪問でした。マオリのコミュニティには必ずマラエという伝統的な集会所があります。建物と前庭から構成されています。建物は先祖の体を表し、光の世界。一方、前庭は争いや悪い感情がひそむ闇の世界。闇の世界から光の世界に入るために訪問客はポーフィリという儀式を受けます。訪問客と受け入れ側はスピーチと歌を交換します。建物のなかは、壁に亡くなった一族の写真がかかり、先祖のスピリットが満ちています。そのなかで共に食事をし、語り合い、ざこ寝して、人びとは一つの家族になります。マラエはマオリの精神文化の象徴であり、コミュニティが所有し、自主的に運営しています。十数のマラエを訪問し、私たちにもこんな集いの場が欲しいと心底思いました。

 研修では、マオリ語の公用語化、マオリの学校制度の充実、土地・資源の返還など、めざましいマオリ復興にただただ圧倒されましたが、その復興は国から与えられたものではなく、マオリの人たちの努力で勝ち取ったものだということを学びました。

 まず出来ることから自分たちの取り組みを始めるというのがマオリの人たちのやり方です。求めるのではなく、自分たちが立ち上がり、自分たちでできることは何かを考える。現在世界で最大と言われるマオリ大学も、ごみ捨て場の一画から始まりました。

 このマオリの運動のやり方は私にとって暗闇にさす一条の光でした。国に求めるのではなく、私たちが立ち上がらなくてはならない、そう自分に言い聞かせて、帰国しました。そして、帰国後、「生活館を求める首都圏アイヌの会」を「チャシ・アン・カラの会」という名称に改めました。チャシ・アン・カラとは自分たちで作る砦(活動の場)という意味のアイヌ語です。「チャシ・アン・カラの会」は首都圏にある4つの団体を横断する有志のアイヌとその家族の会です。現在35人の会員がいます。

 私たちが目指すのは、マラエのように、私たちが所有し、運営する集いの場の建設です。ウタリが気を許して語り合い、笑い、泣ける場です。先祖と向き合う場です。火を使ってカムイノミができ、アイヌ料理を作れる場です。マオリのマラエのように、見ればアイヌの建物だとわかるデザインにできればいいですね。

 こうした施設をいっきょに作ることはできません。マオリの人たちから、まず小さなスペースを確保して、そこが自分たちの場であることを示す看板をかけなさいと言われました。アパートの一室を借りて、チャシ・アン・カラ準備室にしようと思います。これが私たちの第一歩です。しかし、私たちだけではその第一歩を踏み出すことはできません。多くの市民の皆さまの協力が必要です。
市民の皆さまの支援をいただくには、首都圏にアイヌが暮らしていること、私たちが集いの場を作ろうとしていることを知ってもらう必要があります。そのために、年に一度、秋にアイヌ感謝祭を開催しています。日本に暮らすマオリの人たちも友情出演してくれています。

 海外の先住民族の取り組みから学ぶために、2015年の9月に台湾の原住民を訪問する計画を立てています。マオリだけでなく、アジアの同胞から学ぶことも大切だと思うからです。

 「チャシ アン カラの会」は集いの場づくりの運動ですが、単に施設を作るための運動ではなく、アイヌが立ち上がり、アイヌの精神を取り戻す運動だと私は考えています。2008年にアイヌ民族が日本の先住民族として認められましたが、アイヌがアイヌでいることの困難さは変わりません。相変わらず、私たちは声を上げられず、立ち上がれないままです。いま国が進めているアイヌ政策に対しても、私たちは本当の声を上げていません。草の根のアイヌの声に真剣に耳を傾けようとしない国の態度に私たちの心は萎えてしまいます。でも問題はそれだけではありません。私たちの心のなかに立ち上がろうとする自分を押しとどめようとする何かがあるのです。長い歴史のなかで劣った民族、滅びゆく民族として扱われ、押さえつけられてきたことからくる自信のなさ、拠って立つアイヌの精神を奪われたことによる自己の不確定さです。

 私は、私たちがアイヌの心を取り戻すことが何よりも大切だと思います。そのために私たちは先祖が私たちに残してくれた儀式、物語、言葉を学び直さなければいけないと思います。和人と接触する前の先祖の暮らしぶりを想像する力を取り戻さなくてはならないと思います。そして、和人と接触してから何が起こったのかという歴史も学ぶ必要があります。「チャシ アン カラ」は建造物としての砦であると同時に心の砦だと私は思っています。その心をアイヌ同士、アイヌと和人やその他のさまざまな国の人たちと分かち合う場が「チャシ アン カラ」です。小さな集団の私たちだけで作ることはできません。多くの市民の皆さまのご支援をお願いいたします。

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アイヌがアイヌでいることが難しいのはなぜですか?
島田あけみ
戦争で住んでいる土地を奪われたわけではありません!
日本人が入って来て土地を奪われ、狩りも漁も奪われ、言語まで奪われたのです!
その事を私たちアイヌが声を上げるのはおかしいことですか?
住んでいた土地を返して下さいと声を出すことはいけないことですか?
日本人によってアイヌの文化も考え方までも制限されてきた私たちが
今、声を上げることはバカげていますか?
アイヌであることに自信が持てず、今も苦しんでいるアイヌが沢山います。
アイヌであることが日本人によって恥ずかしい、劣った民族とレッテルをはられ、
それに対してアイヌは逆らわず、家族を守るため、日本人になることが生き延びる
すべだったこと、日本人はわかりますか?
血を、先祖を守り、アイヌの血を絶えさせてはいけないと考えたのかもしれません。
それを考えると悲しくなります。
私たちは今先祖に恥じない生き方をしたい!
アイヌの精神文化と自然とともに生きるアイヌでありたいと心から思います。