日系カナダ人の軌跡をたどる

カナダ在住の玉置育子さんは、戦前和歌山からカナダに移住した大叔母をもつ。その大叔母の軌跡をたどって行くなか、玉置さんは日系移民の過酷な歴史を知ることになった。それがきっかけとなり、現在、バンクーバーのカナダ日系博物館・文化センターにおける日系移民の調査に携わっている。9月13日、八尾市人権協会は玉置さんを招いて、「日系カナダ人の軌跡をたどる」と題したワークショップを開いた。ワークショップでは、日系カナダ人社会の先駆的なドキュメンタリー映像作家として知られるジェシー・ニシハタ(1929-2006年)が紹介された。ジェシー・ニシハタは日系2世として1929年カナダ、バンクーバーに生まれた。1941年12月8日の真珠湾攻撃のあと、カナダは日本に宣戦布告をした。翌年3月、日系カナダ人は土地財産をすべて没収され、強制収容所に移された。収容された約2万2千人の中に、当時13歳の少年ジェシー・ニシハタも含まれていた。被収容者の大多数はすでにカナダの国籍を取得していたにもかかわらず、全員が敵性外国人とみなされた。また、1949年まで戦時措置法が延長され、カナダ国内での自由な移動を認められなかった。収容とともにそれまで築いてきた生活基盤はすべて奪われ、収容を解かれた後も厳しい制約の中で新生活を始めなくてはならなかった。1960年以降、本格的な映像作家として頭角を伸ばし始めたジェシー・ニシハタは、1973年“Watari Dori: A Bird of Passage”と題する作品を作った。これは日系カナダ人の強制収容を彼自身の家族の歴史を軸に辿った映像フィルムであり、彼の代表作となっている。1988年、強制収容に対して、カナダ政府はようやく正式な謝罪と賠償を行なった。そこにたどりつくまで、日系カナダ人の正義を求めた運動は10年以上続いた。ジェシー・ニシハタはその闘いをIn Our Time: How Redress Was Won※(われらの時代に:いかに賠償をかちとったか)というドキュメンタリーフィルムに収めた。戦後70年、日本は未清算のままにしている戦後処理について、こうした日系人の闘いの歴史から学ばなくてはならない。玉置さんたちのカナダ日系博物館・文化センターにおける重要な歴史の掘り起こしに期待をしたい。

カナダ日系博物館・文化センターのウェブサイト(英語)
http://centre.nikkeiplace.org/