時を超えて 境界を越えて 多文化の空間 茨木・豊川

小森 惠

 ヒューライツ大阪と大阪大学の共催による「大人の遠足」に参加して、豊川を訪問した。大阪北摂の茨木市豊川には部落があり、1968年には部落解放同盟道祖本(さいのもと)支部が結成された。遠足のナビゲーターの一人である道祖本支部の北口学さんによれば、豊川はキリシタン大名の高山右近が高槻城主(現在の高槻市、茨木市と隣接)であった時代、キリシタンの村であった。江戸時代の幹線道路であった西国街道が村の中を走る。豊川はまた笹川良一の生誕地であり、川端康成が子ども時代を過ごした村で、二人は豊川尋常高等小学校で机を並べたといわれている。さらには歴史に残る吹田事件(1952年、朝鮮戦争に反対する阪大生や国鉄労働者による反戦・連帯のデモ隊と警察との衝突)の時には住民がデモ参加者をかくまった。

 最近では、3・11で被災した東北や関東のムスリムの留学生を多数受け入れた。なぜムスリムの被災者なのかと言えば、2006年道祖本に大阪茨木モスクができたからだ。外観はごく普通の一戸建てだが、中は部屋の間仕切りをはずして礼拝所になっている。実は部落の人たちはそこにモスクができたことをしばらく知らなかった。現在、大阪大学の留学生を中心に、近隣から約100人がお祈りに来ている。震災のときはモスクだけで被災者を受け入れることができず、道祖本支部もさまざまに支援をした。近隣にあるJICA研修センターもシェルターを提供した。地域の共存と平和を説くイスラムの教えのもと、地域に開かれたモスクにしたいと宣導師のジャキールさんは語る。
 もう一つ地区を多文化の町として特徴づけているのがコリア国際学園(KIS)である。知らない間にできていたモスクと異なり、KISは設立計画当初は一部の地区住民の反対にあった。2005年に在日コリアンの有志7人が「こんな学校作りたいなぁ」と語りあった中から誕生した。その一人には日本で初の在日コリアン弁護士となった故金敬得さんが含まれる。さまざまな準備を経て2008年4月開校にこぎつけた。2011年4月には大阪府の学校法人各種学校の認可を受け、2012年4月にはユネスコスクールの認可を受けた。ユネスコが進めているESD**のもと持続可能な社会に貢献する教育を目ざしている。在学生の1/3は日本国籍者で2/3は韓国籍者であり、その内の1/4は渡日者である。建学の精神である「境界をまたぐ越境人」を育てることを目ざすKISは道祖本地区全体が学びの場であると捉え、多文化共生の茨木の実現を願っている。隣の町には大阪大学のキャンパスがあり、来年4月には立命館大学茨木キャンパスができる。茨木モスクに来る留学生もいる。そして地域にはそれらを包み込むように受けいれている道祖本部落の人びとがいる。多様な人びとが集まる大きなキャンパス、そこに子どもがいれば自然に育つような場を作りたい、KISの事務局長 宋悟さんは語った。
 歴史を見守り、差別に立ち向かってきた「さいのもと」が、道祖本支部の人たちを中心に認めあい尊重しあう多文化共生のまちになろうとしている。
** 国連持続可能な開発のための教育の10年