ネパールのダリット女性運動と識字

白根大輔(しらね だいすけ)
CCPRセンターアジア太平洋コーディネーター

 今年2月、ネパールのあるダリットの村を訪れる機会があった。1月末にネパールの首都、カトマンドゥで南アジア地域(インド、ネパール、バングラデシュ、パキスタン、スリランカ)からダリット運動のリーダーたちが集まった会議への参加が目的だったが、せっかくなので私がファシリテーター兼トレーナーとして各地のダリットや先住民族の女性活動家と一緒に行ってきた、草の根のマイノリティ女性のための国連システムについてのトレーニングをネパールでもやろうということになった。ネパールのダリット女性運動体であるFEDO(フェミニスト・ダリット協会、IMADRのパートナー団体)と連携・協力して準備を進めた。その後、トレーニング以外に滞在予定を延ばして草の根でダリット女性たちが活動する現場に行き、いろいろ見たり聞いたりする機会も準備してもらった。特に、スポンサーもない中、FEDOと一緒に手弁当で行った。最終的にはFEDOが女性の支援を行っている村の一つ、カトマンドゥから東へ車で約2時間、山と谷を越えたところにあるカブレ県オクセ地区にある小さな農村に連れて行ってもらった。

 その村は、もともとはダリットだけが住んでいたが、女性の運動が進むにつれ段々とダリット以外の人も住むようになった(といっても今のところまだ数家族)。総世帯数は約60で、FEDOはその村で10年ほど前からダリット女性の支援を行っている。ネパールの農村部はもともと貧しいが、ダリットの住む村はさらに貧しい。主な収入源は農作業だが、自分たちで土地を持って農業を行っているというより、地主の小作農として村の男性が季節労働に近い形で働いている。一年の半分以上は無職に近い。何もなかったこの村にFEDOが入り、女性を組織し、セルフヘルプグループによる共同基金運営が始まった。当初は30人ほどだった女性参加者は現在46人いる。女性たちが出資し運営する共同基金を使い、村の真ん中にコミュニティーホールが建てられた。またFEDOの斡旋と支援により職業訓練やジェンダートレーニングに村の女性が参加する機会も増えた。私が訪問した日、運動に参加する女性のほぼ全員、40数名がコミュニティーホールに集まっていて、これまでの運動の成果を活き活きと話してくれた。その中で目下の課題について聞くと、ドメスティックバイオレンス(DV)と、他のNGOによる奨学金支援が今年で終了した後の子どもたちの教育確保、そして何より女性たちの識字学習という答えが返ってきた。

 聞けばこの村の女性たちのほぼ全員、読み書きができないという。カトマンドゥなどで開催される他のNGOや行政機関による人権やジェンダー、DVに関するトレーニング等に参加する度、実際のトレーニング中には学ぶことはたくさんあるけれど、ノートを取ることもできないし、せっかく学んでも村に帰ってくるまでに多くを忘れてしまう。現在はNGOの支援で寄宿舎に入って学校に通っている子どもたちも、今年で支援が終わってしまえば家から遠いところにある学校まで通わざるを得ない。読み書きができないので子どもたちの勉強を見てやることもできないし、就くことができる仕事も極端に限られてしまう。子どもたちを自力で寄宿舎に入れることができるほどのお金はない。さらに自分たちもいろんなことを知りたいし、学びたい。自分たちの運動を作り、自分たちの世界と可能性を少しでも広げたい。そのためにもまず読み書きを学びたい。そしていつか、遠方で行われるトレーニングに参加する機会のない多くの女性たちに対して、自分たちの持つ権利や直面している問題に取り組むためのトレーニングを自分たちの村で行いたい。同時にそういうトレーニングや活動を村ですれば、村の男性たちも巻き込むことができ、問題解決につながる。 真剣なまなざしで女性リーダーが話してくれたのを、私には何ができるだろうと考えながら聞いていた。今まで国連や国際的資源の活用という点ではいろんな仕事やトレーニング等を行ってきた。具体的にどんな問題に関して私自身がどのように役に立てるかについてもある程度分かっている。実践もしてきた。しかし正直なところ、識字や子どもたちの教育支援などに関し、今すぐ具体的に何かできるような経験や知識はないし、DVや女性の権利に関する村でのトレーニングについて漠然としたアイデアは浮かんでも、それをすぐに実現するため資源を持っているわけでもない。FEDOの行っている活動とも少し違う。女性たちのいろんな思いがひしひしと伝わってきたが、その場ではすぐに何をどうすればいいかは分からなかった。それでも突然訪れた私を暖かく歓迎し、率直な話をしてくれた女性たち、助けを乞うとか支援を要請するとかいうのではなく、帰り際とても自然に、はるばる来てくれてありがとう、またおいで、いつでもおいで、待ってるよ、と言ってくれた人たちの何かの力になりたいと思った。

 いろいろ考えながら、以前、大阪の部落で識字の取り組みについて話を聞いた時のことを思い出した。貧困や差別、またそれらの負の連鎖の中で人としての権利を、読み書きを学ぶ機会を奪われた人たちがいる。その奪われた権利や機会をひとつひとつ取り戻そうとする人たちの思いと運動がある。そこには不自由なく学校に通い、いろいろな機会に恵まれ読み書きのできることが当たり前の環境の中で育ってきた者には分からないものもある気がする。日本の部落、ヨーロッパのロマ、南アジアのダリット、今まで出会うことができたさまざまな人の声がよみがえってきた。そこにはきっとそういった経験をした人たちにしか分からないものがあるし、その人たちにしかできないこともあるだろう。読み書きができるようになった時の歓び。それはそのような経験を持つ人だからこそ分かち合えるものの一つのような気がした。

 ネパールという国で、カースト差別は未だに社会に根強くはびこっている。毎日の現実として、特にダリット女性や子どもたちは複合差別と貧困とあからさまな暴力に直面している。そんなこの国の、とある農村のダリット女性の運動の中で今、識字に対する強い思いがあり、識字は大きな意味を持っている。この村の、この女性たちの世界を変える一歩として識字があることを強く感じた。

<2011年FEDOの報告より> ネパールの女性は家父長的な伝統により抑圧されてきた。それは幼児期から始まる。少女の中には学校へ行けない子どもがいる。中央統計局が出した2007年の数字によれば、女性の平均識字率はわずか48.94%、男性は71.4%である。ダリット女性平均の識字率はさらに低く、23.4%である。識字率は「自分の名前が書ける程度」であれば識字とみなしているため、実際のダリット女性の識字率は11%程度と推測される。 マイノリティであるダリットの女性たちは、ダリットとして、女性として、そしてダリット女性として差別されている。実際、ダリット社会においても、ダリット女性は女性であるがゆえに差別され、ドメスティックバイオレンス、レイプ、月経にかかる因習的な慣行などにさらされている。すべての女性の間においても、ダリット女性はダリットであるがゆえに差別され、不可触性をうけ、異カーストとの結婚禁止など、さまざまな差別を受ける。