友永 健三(ともなが けんぞう)
部落解放・人権研究所名誉理事、IMADR顧問
今年の5月3日で、日本国憲法は施行70年を迎えましたが、各方面でこの憲法をめぐる議論が高まってきています。とりわけ、安倍首相が読売新聞紙上で、憲法9条の1項2項を残したままで、3項に自衛隊を位置付けるという提案を発表したことが、さまざまな議論を呼んでいます。
言うまでもなく、日本国憲法をめぐる議論の中心テーマは9条にあります。この9条を考える観点として、3つの文章を読者の皆様に紹介したいと思います。
一つは、立教大学で憲法を教えておられる渋谷秀樹さんの、「憲法は、さらに国家の基本方針・基本理念を対内的に、そして対外的に示す規範であると考えられる。それが当面は実現できない規範であっても、高く掲げられた理想として、それに向かって進むべき国家の目標だと考えられる。」(中略)「こう考えると、国際連合による集団安全保障体制がいまだに確立していないという当面の国際情勢からして、やむを得ず過渡的な措置としては自衛隊の設置を容認するが、憲法の想定する理想状態を目指して、あらゆる外交上の手段などを尽くすべしという規範と九条をとらえることになる。そして、日本政府が、その義務を忠実に履行しているのであれば、必ずしも全面的な違憲状態とまでは呼べない、と言えるのではないでしょうか。」(渋谷秀樹『憲法への招待 新版』岩波新書、2014年2月、190頁)との指摘です。
二つ目には、この指摘と関連して、筆者自身が恩師である故小野義彦先生から学んだこととして執筆したもので、以下のような内容です。「もう一つ小野先生からうかがった話の中で忘れられないものがある。日米安全保障条約と自衛隊、それと日ソ関係についての話である。周知のように、日本の保守勢力は、永年にわたって日米安保条約を軸にしつつ、自衛隊の増強路線を採ってきている。これに対して、革新陣営は、日米安保条約破棄と自衛隊の憲法違反、非武装中立を主張し続けてきた。革新側のこの路線は、保守勢力の横暴をチェックし、その行き過ぎを止めるために、一定の役割を果たしてきたことは事実である。けれども、これだけでは革新勢力は保守勢力にとって替ることはできず、「万年野党」の地位に甘んじるところとなってきた。このような現状に対して、小野先生は、①自衛隊の現状凍結から漸進的縮小、②日ソ関係の積極的な拡大、とりわけシベリア開発への大規模な参加による友好関係の拡大、③アジアにおける緊張緩和と対話の前進、④その中での日米安保条約の無力化、という現実的な路線を提起された。」(小野義彦追悼集編集委員会『資本主義論争と反戦平和の経済学者 追悼・小野義彦とその時代』知人社、1992年11月、269~270頁)
三つ目には、大半の読者がよくご存じの水平社宣言の中心的な起草者である西光万吉さんが、敗戦後亡くなるまで提唱しつづけられた「和栄政策」を紹介した加藤昌彦(関西外国語大学名誉教授)さんの「西光の没頭した和栄政策は、日本の軍国主義の解体とともに成立した非武装憲法の基礎の上に創られたもので、多くの国家が自国の軍事力に投じる政治的・財政的・社会的総合力を、すべてそのまま、非軍事の平和創造に向けようとしたものであった。核戦争による人類滅亡という現代の危機において、軍事予算のスケールをそのまま国際的援助に投入し、平時の積極的国際貢献を企図したもので、日本でも、おそらく世界でも初めての国際平和貢献政策であった。」(加藤昌彦『水平社宣言起草者 西光万吉の戦後 非暴力政策を掲げつづけて』明石書店、2007年5月、4~5頁)との指摘です。
渋谷秀樹著『憲法への招待新版』岩波新書、2014年2月
加藤昌彦著『水平社宣言起草者 西光万吉の戦後非暴力政策を掲げつづけて』明石書店、2007年5月他