「共に在る」場をつくる ─難民・移民フェスを開催して

髙谷 幸

NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク

 

2022年6月4日、東京都練馬区の平成つつじ公園およびココネリ研修室で「難民・移民フェス」を開催した。このフェスは、難民や移民の人たちの手作りの品物を販売したり、音楽などを実演する場を作ることによって、(1)彼らが何らかの役割を果たしたり、したいことをすることのきっかけとする (2)彼らの状況を広く伝え、相互に交流する(3) チャリティ形式で彼らの生活を支援する、を主な目的として開催した。梅雨前の爽やかな晴れの日という天候にも恵まれ、およそ800人の方が来場された。その多くは、twitterなどのSNSを通じて、このフェスを知って足を運んでくださったという。 本稿では、この難民・移民フェス開催の経緯、当日の様子などを振り返り、フェスの意義について考えてみたい。

 

フェス開催の経緯

このフェス企画はひょんなところから始まった。今年の1月に筆者とイラストレーターの金井真紀さん、その友人で仮放免者のAさんのお家を訪問した時である。Aさんはチリ出身で、日本ではコックの仕事をしていたが、あるとき不運なことから在留資格を失ってしまった。その後、入管収容所への収容と仮放免(収容から一時的に解かれること)が繰り返され、2020年に改めて仮放免になった。ただし出入国在留管理庁(以下、入管)は、仮放免者が就労することを禁じているため、Aさんも支援者の助けによって生活をしていた。そうしたなか、Aさんはしばしば支援者に自分の手料理を振る舞う会をしており、筆者たちもその会に参加したのである。Aさんお手製の絶品のエンパナダ(具入りのパン)を近所の公園で食べながら、人に助けられて生きざるを得ない仮放免者の生活の困難を話し合っていた。金井さんたちは、その少し前からアフリカ出身の難民申請者をサポートしており、仮放免中で何もできず家にとどまり、やるせない思いを抱いている彼を案じていた。また筆者も、仮放免者がいつも人から「助けられる」ことに、恥ずかしさや力を奪われる感覚を抱いていることが気になっていた。筆者自身も、そうした仮放免者と接するとき、彼らとの間に生まれる非対称な関係に居心地の悪さを実感してきた。

そのようなエピソードを交換するうち、Aさんの料理のように、それぞれの難民や移民の方が自分の得意な技、好きなことを持ち寄り、それを多くの人に知ってもらう企画ができたらいいのでは、という話につながっていった。様々な人が集まり、多文化の食べ物やイベントを楽しむ「フェス」のようなものができたらいいですね、というやりとりをして、お互い近くの人たちに話を持ちかけてみることになった。

金井さんの周囲には、編集者やカメラマン、映像関係の方などクリエイティブな業界で仕事をされている方が多くおり、そうした人たちが関心を持ってくださった。また筆者の方では、チャリティイベントの経験があるキリスト教会関係者に声をかけたところ、ぜひ一度企画会議をしようと提案され、実行に向けて動き出した。その後、2月から2-3週間に一度程度、企画会議をもち準備を進めていった。途中から、仮放免者用のシェルターを運営している生活困窮者支援団体のメンバーも加わり、その紹介で練馬の公園で開催する目処がついた。それまでお互いにほとんど面識のないメンバーが実行委員会を形成する形だったため、試行錯誤の面も多かったが、結果としては、各自の得意分野や異なる経験がパッチワークのようにうまく組み合わさったのではないかと思う。また当日は、地元練馬の市民グループも会場運営や食糧支援を手伝ってくださり、より安定した運営が可能になった。

 

当日の様子

フェスの前日は雹が降るような天候だったが、当日は打って変わって晴天となった。また50人以上がボランティアとして参加してくださり、開始前から会場が賑わっていた。

フェスは大きくいって、出店とステージでの出し物に分かれていた。出店は、ミャンマー、チリ、クルドなどの食べ物やアクセサリーなどの手芸品、アフリカの髪編みやミャンマーの民族衣装・文化の体験、ネイルアートなどバラエティに富んでいた。また鎌倉市大船の書店が難民、移民関係の本を持ってきてくださり、くわえて難民や仮放免者の健康チェックや生活相談、食糧支援などもあり、全体で約20のブースになった。ただ予想以上に多くの参加者があり、用意していた食べ物はお昼前にほとんど完売という状況になってしまったのはうれしい悲鳴だった。とはいえ初めての開催で参加者数の予想を立てることが難しかったこと、また会場の広さや運営側のキャパシティを考えると、ブースの数も限界だったかもしれない。

一方、ステージでは、ジェンベ(アフリカンドラム)と沖縄の三線、クラシック・ギターのコラボ演奏、ゴスペルやイランの歌が披露された。いずれも多くの参加者が聴き入っていたのが印象的だった。また北関東医療相談会の大澤優真さんに仮放免者が置かれている状況について話をしていただいた。こちらも非常に多くの方が熱心に耳を傾けていた。

当日の運営はおおむね順調だったと思う。ただそのなかで特に気をつけたことの一つは、就労を禁じられている仮放免者が「仕事をしている」「収入を得ている」との疑いをかけられないような運営方法だった。そのため仮放免者がつくったものの売り上げは実行委員会の収入とし、実際のお金のやり取りも日本国籍や在留資格のある方が担当するようにした。仮放免者が「収入を得ている」かどうかを判断するのは入管の裁量でグレーゾーンが大きいが、そうした疑いをかけられないよう細心の注意を払う必要があった。

もう一つ気をつけたことは、撮影の扱いである。フェスの目的として、難民や移民、仮放免者の状況を広く伝えることを掲げている通り、彼らの存在を多くの人に知らせたいと考えていた。一方で、特に、難民申請者の場合、SNSやネットに自らの姿がアップされることは命の危険につながるリスクもある。実行委員会で、「本人が撮影してもよいという場合はどうするのか」「もし取材によって、本人に何かあったら誰が責任を取るのか」というような正解のない問いを何度も話し合い、結局は人物が特定できる形での撮影は禁止することにした。ただし当日には徹底されていないところもあったようである。フェスという公共空間で、またSNSがそうした集まりをつくるために必須のツールになっている現状で、撮影を禁じることの難しさを実感した出来事だった。

 

フェス開催を終えて

フェスは出品している物がほとんどなくなったため予定より早く終了するほど盛況だった。成功の背景には偶発的な要因もあると思うが、多くの参加者が難民や移民の方と話をしていたり、ステージでの演奏や歌、話に熱心に耳を傾けているのを目の当たりにして、こういう場が求められていたのではないかとも感じている。難民や移民の話は、法律や制度とも関係し、ともすると難しくなりがちだ。しかし、名古屋入管におけるウィシュマ・サンダマリさんの死亡事件などをきっかけに、もっと知りたい、自分も何かできないかと思っている方も少なくないように思う。一方で、難民や移民の方たちのなかにも、自分たちの存在をもっと知ってもらえると嬉しいという人は少なくない。だが、彼らがお互いに知り合う場はまだまだ限られているのが現状だ。今回のフェスによって、たとえ一時的ではあれ、そうした場を創り出せたことは意味があったと考えている。またその場は、公園という開かれた場所の力にも支えられた。あのときあの場に現象していたのは、それぞれが自分らしいことをしつつ、隣に他者がいるという「共に在ること」の理想が体現された空間だったように思う。

 

「難民・移民フェス」は次回開催も企画中です。引き続きご支援、ご注目をよろしくお願いします。

●たかや さち