人類の「研究」は、1850年代の欧州における人類学の展開に由来すると言ってもよいだろう。が、この時代背景には「帝国主義」、「(社会)進化論」という思想が存在し、その「研究」を一定の方向に誘導することになった。
欧州での新たな学問に刺激を受け、1884年には、東京帝大の坪井正五郎らによって「じんるいがくのとも」という組織が結成され、1941年には現在の「日本人類学会」に改称された。なぜこの団体が今日問題にする遺骨盗掘に関係するかといえば、当時、人類の「研究」とは、自らの社会が、いかに進化の頂点にいるかを探ることが目的で、植民地主義の中で「民族の起源研究」と称して、彼らが「劣等」とみなす集団の「人骨」・「副葬品」等の収集、「人種標本」としての写真撮影などが支配者の権力を背景に行われた。
アイヌ民族に対する「人骨盗掘事件」では、1865年、箱館の英国領事館の館員たちにアイヌ墓地から人骨が盗掘され、1879年、ドイツ人旅行者によって盗掘が行われている。
やがて、この盗掘は、植民地主義を背景に日本人研究者による組織的盗掘へと拡大する。1880年代~1960年代には、人類学者・解剖学者らが、「北海道」や「樺太」のアイヌ墓地から遺骨・副葬品などを盗掘し、その数は1939年~1956年で、1004体に及ぶと言われている。有名な研究者は、小金井良精(東京帝大医学部)、清野謙次(京都帝大医学部)、児玉作左衛門(北海道大学医学部)などである。
1980年、こうした状況に、海馬沢博が北海道大学に公開質問状を送ったが、対応もなく、交渉は北海道ウタリ協会(当時・現 北海道アイヌ協会)に引き継がれた。収集した大量の遺骨等が動物実験施設内などに放置されていたことで、北海道ウタリ協会は抗議に踏み切ったのである。交渉は、1984年、返還要求のある地域には返還し、それ以外は北大が納骨堂を建立・収納して「イチャルパ(合同慰霊祭)」を行うという合意に達した。北大キャンパスで医学部棟の横に「アイヌ納骨堂」が建設、35体の遺骨が遺族に返還され、残り929体分などが納骨堂に安置され、毎年8月に「イチャルパ」が行われた。しかし、「発掘」の実態、手続きの方法や副葬品の行方は不明であり、当然謝罪や補償はありえなかった。
1985年、ウタリ協会旭川支部の要求で、5体の遺骨を返還、そして1995年には「北大人骨事件」が起きた。「旧標本庫」で発見された段ボールに、6個の頭骨(「韓国東学党」1個、「オタスの杜・風葬オロッコ」3個、「日本男子20才」1個、「出土地不明」1個)が発見された。
こうした無責任な管理体制の中、2008年には「アイヌ人骨台帳」の存在が明らかになり、小川隆吉らが公開請求を行い、同年には、現在も活動を続ける「北大開示文書研究会」が発足した。2007年国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されると、アイヌ民族を「先住民族」とする国会決議が2008年に採択された。また、2011年には、日本政府の内部に官房長官を座長とする「アイヌ政策推進会議」が設置された時代である。
「北大開示文書研究会」の働きかけもあり、2016年には、文部科学省が『博物館等におけるアイヌの人々の遺骨及びその副葬品の保管状況の調査結果』を公表し、全国の博物館12施設(北海道内、11施設)に、76体と27箱、また同省の2017年の『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の再調査結果』では、全国の12大学に、1676体と382箱(北海道大学:1015体と367箱)のアイヌ遺骨の存在が明らかになった。
2010年代になると、未解決の遺骨返還は、裁判の形を取るようになった。一定の成果のあった事例を紹介しよう。
原告:小川隆吉、城野口ユリ他
被告:北海道大学:(札幌地方裁判所)
経緯:2012年9月提訴
結果:和解によって2016年7月、12体の遺骨が浦河町杵臼に帰還
原告:畠山敏(紋別アイヌ協会)
被告:北海道大学:(札幌地方裁判所)
経緯:2014年1月提訴
結果:和解によって2017年9月、4体の遺骨が紋別アイヌ協会に帰還(紋別公園内の納骨堂に安置)
原告:浦幌アイヌ協会
被告:北海道大学:(札幌地方裁判所)
経緯:2014年5月提訴
結果:
1)2017年8月、63体の遺骨と人数不明の遺骨82箱、副葬品11箱が浦幌町愛牛地区に帰還
2)2018年8月、14体の遺骨が帰還
原告:浦幌アイヌ協会(ラポロアイヌネイション)
被告:東京大学:(釧路地方裁判所)
経緯:2019年11月提訴
結果:和解によって2020年8月、6体の遺骨及び副葬品が帰還
いずれも判決ではなく、和解に持ち込んだ結果ではあったが、これまで返還されなかった遺骨の返還が実現したことは重要である。しかし、事実関係、謝罪、補償問題などには進展がない。
盗掘された遺骨と副葬品が並ぶ「児玉コレクション」
日本政府は、2014年「個人が特定されたアイヌ遺骨等の返還手続きに関するガイドライン」、2018年「大学の保管するアイヌ遺骨等の出土地域への返還手続きに関するガイドライン」を作成し、前者は祭祀継承者、後者「地域返還対象団体」が明らかになった場合にはその場所へ、それが特定できない場合には、2020年に開業した「民族共生象徴空間」(ウポポイ)の「慰霊施設」に集約する方針を示した。
こうした対応は、繰り返すが、盗掘の事実確認、謝罪、補償という問題を棚に上げたままである。盗掘の不当性(植民地下での合法性)、保管の違法性、再埋葬を含む返還の妥当性と補償などは未解決である。とくに、樺太で盗掘された遺骨は、国境を越えた再埋葬の課題が含まれるなか「エンチウ」(樺太アイヌ)の主体性すら認められていない。責任の問題では、研究者、大学、博物館ばかりでなく、政府のそれも重い。
基準にすべき「先住民族の権利に関する国連宣言」を改めて確認しておきたい。第11条の1項には「先住民族には、自らの伝統的文化と慣習を実践し、再活性化する権利を有する」とある。遺骨の返還と再埋葬はこの権利にあたる。これはアイヌ民族の慣習法の実践であり、本来日本法に拘束されない。同じ条文の2項には「国家は、その自由で事前の情報に基づく合意なしに、また彼/彼女らの法律、伝統および慣習に違反して奪取されたその文化的、知的、宗教的およびスピリチュアル(霊的、超自然的)な財産に関して、先住民族と連携して策定された効果的な仕組みを通じた、原状回復を含む救済を与える」とある。つまり不当に盗掘された遺骨の返還では先住民族と対等な話し合いで返還の手続きを作るべきであり、返還の基本は再埋葬(「原状回復」)である。より明確に書かれた条文は、第12条であり、以下のように記されている。「先住民族は、自らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、・・・遺骨の返還に対する権利を有する」。また、忘れてならないことは、この宣言に明記された権利が「最低基準の原則」(第43条)であることだ。
「先住民族の権利に関する国連宣言」を「最低基準」だとすれば、宣言の第25条「土地や領域、資源との精神的つながり」、第26条「土地や領域、資源に対する権利」が謳われている。かつて国会議員を務めた萱野茂はアイヌ民族の土地や領土(領域)を日本人(和人)に「売った覚えも貸した覚えもない」と繰り返した。「北海道」の植民地化によるアイヌ民族の土地の権利の回復も、訴訟として広く議論となるべき機会が、現在準備中である。
●うえむら ひであき