本の紹介『ごめん! 聞いてごめんな みやらけの人々の聞き取り』

渡辺 美奈

アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)

 

「私にできることは、被差別部落に生きる人々の記録を残すことだと考えるようになりました」——そう「あとがき」に記す大賀喜子さんが編んだ、大阪の“みやらけ”に生きた人々の記録が出版された。結婚を機にこの地に移り住んだ大賀さんは、部落解放運動をともに闘いながら、その地に住む人から聞いた話や、識字教室で書かれた文章を住民たちと一緒に刊行してきた。それら地域限定だった冊子を一つにまとめたのが本書である。“みやらけ”に生き、部落解放運動を闘った岸キヌエさん、山中四四九さん、谷上梅子さんの3人の女性の生い立ちとともに、東宮原水平社に関わった人びとの証言、空襲体験、そしてこの地に辿り着いた朝鮮の人びとの証言が6章にわたって収録されている。しぶとく、したたかに、おおらかに生き抜いた一人ひとりの物語に感嘆する一方で、子どもが大きくなる前に死んでいく事実や極度の貧困が淡々と書かれているため、行間から声が聞こえてくるようで一気に読み進めることができない。

 

大賀喜子さんをお訪ねしてお話を聞く機会を得たのは、wamで2017年に企画した特別展「日本人『慰安婦』の沈黙~国家に管理された性」の準備過程のことだった。日本軍の「慰安婦」にされた日本の女性には、少なくない被差別部落の出身者がいたであろうことが指摘されてきたが、性暴力被害者への差別がいまだ根強く、日本軍性奴隷制の歴史的事実さえも否定される日本で、「慰安婦」として受けた被害を名乗り出る人は極めて少ない。その中で、身売りをされた経験を自分の手で書き残したのが、この本に登場する谷上梅子さんだった。日本が侵略戦争に突き進むなか、梅子さんは18歳のときに身売りされ、九州の八幡製鉄所近くの遊郭では日本兵の相手もさせられた。『ごめん、聞いてごめんな』という本書のタイトルは、大賀さんが「1937年から敗戦まで、どうしてたん?」と生い立ちの空白期間について尋ねた際に、泣き出した梅子さんにとっさに謝った言葉だ。しかし、梅子さんは識字をつうじて、「恥やと思うのは自分で自分を差別することや、言っていかなあかん」、と決意する。遊郭での過酷な体験は「心だけは売れへんかったで」と題した文章にまとめられ、1990年の部落解放文学賞識字部門に入賞した。翌年、日本軍「慰安婦」問題に取り組む韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉さんが招かれた大阪での集会に、梅子さんは大賀さんとともに参加し、壇上にのぼって自分の体験を泣きながらアピールしたという。

 

“みやらけ”の識字学級で、「生い立ちを語る」取り組みを始めると女性たちが去っていくと嘆く大賀さんに、岸キヌエさんは「身売り体験を語るのが辛いんやろ」ともらした。生い立ちを語ることも、文字に残すこともなかった女性たちの歴史は、語り継がれることがない。産業がなかった“みやらけ”で女性が生き抜くことがいかに大変だったのか、そのなかで女性たちが部落差別といかに闘ったのか、本書はジェンダーの視点からみた部落解放史のひとつとして、そして様々な人が交差した“みやらけ”の地域史として、重要な文献のひとつになるだろう。

 

しかし、本書は歴史研究に資するだけではない。「多文化共生」や家族のかたちが問われ、不安や恐怖にかられる日本の社会で、地域でともに生きるとはどういうことなのか、人と人はどのように信頼を築くことができるのか、未来を考えるためのヒントがちりばめられている。朝鮮出身の帳鳳舜さんが“みやらけ”に住居を得て「やっと安心して貧乏が楽しめる」と語った言葉もまた、解放運動の成果の一つだと思う。人間が持つエネルギーと尊厳に改めて気づかされる一冊である。

 

●わたなべ みな