「復帰」50年 -続く米軍基地問題-

親川 裕子

沖縄国際人権法研究会会員

 

変わらぬ占領

沖縄は2022年、いわゆる「本土復帰」から50年を迎える。換言すれば、施政権が米軍から日本政府に移管されたに過ぎず、本土並みの削減を求めた米軍基地は、更なる負担を強いられることとなった。米軍人、軍属から派生する事件、事故、とりわけ女性に対する性暴力事件は起きるたびごとに発せられる「綱紀粛正」、「再発防止」といった言葉が虚しく空を切る。最近では米軍や自衛隊基地から漏出された泡消火剤に有害物質であるPFOS、PFOAが含まれていたことが明らかになっており、基地周辺の河川、地中からも高濃度で検出されている。生命維持に不可欠な水でさえも安心して口にできない。容赦のない軍事化は沖縄の人々の日常生活にも厳しい影響を与えている。

 

先住民族権利宣言、FPIC原則

2019年に国際人権法学会のインタレストグループを立ち上げ、学会会員を中心に琉球・沖縄が抱えさせられている諸問題を国際人権法の視点から考察する研究会に関わっている。先日の研究会では、嘉手納、普天間爆音訴訟、辺野古埋立承認処分取消訴訟弁護団の高木吉朗先生が「日米地位協定と環境法」をテーマに報告してくださった。端的に結論を急げば、米軍基地から派生する環境問題を解決するには日米地位協定の改定に尽きるのだが、国際人権法的視点から考えると、先住民族に関する国連宣言(2007年)が示す、先住民族が影響を受ける決定等に用いられる「事前の自由なインフォームド・コンセント」(Free, Prior and Informed Consent : FPIC)を得る義務があるのではないか―という点について議論が交わされた。

 

研究会メンバーで先住民族の権利問題に詳しい小坂田裕子先生(中京大学法学部教授)は自著の中で、宣言案作業部会の時代から、FPIC原則が自決権と並んでカナダ、オーストラリア、ニュージーランド(CANZUS)の国々にとってFPICが特定の集団に拒否権を与えるものとして強い反対が示されたことに触れている。(小坂田、2017)i 換言すれば、FPIC原則には拒否権までをも認めるほど、先住民族自らに与える影響について意思決定の在り方をも含めて効果的な参加の権利を有しているといえる。

 

加えて、権利宣言は先住民族に影響を与えるすべての問題についてFPICの取得を要求しているわけではないとし、明確に取得が求められている条項として強制移住(宣言第10条)、先住民族の領域における有害物質の貯蔵または処分の場合(宣言第29条2項)をあげている。(小坂田、2017)ii すなわち、在沖縄米軍基地を起因とする有害物質については、先住民族権利宣言の主旨からいえば、FPIC原則に則った対応が求められて然るべきであるといえよう。

 

他方、先の研究会で小坂田先生は、先住民族の権利に関する国連宣言で示されたFPIC原則について、誰と交渉するのかという議論が常々起きていることを紹介された。小坂田先生によると、宣言のいう「代表との協議」は、北米の先住民族組織やサーミ議会など、西洋型の民主主義的な代表組織を有している先住民族組織が想定されていることを指摘された。つまり、アフリカの先住民族組織もそのような代表制を採っているわけではなく、アイヌ民族、琉球・沖縄についても全国的な先住民族としての代表組織を有してはいないという観点からすると、権利宣言が想定していない組織であり、「代表」が明確でなく、琉球・沖縄がFPIC原則の利益を享受することの難しさを指摘された。

 

無論、琉球・沖縄人(民族)を先住民族として認めていない日本(政府)において、先住民族権利宣言と在沖米軍基地から派生する問題とを絡めて提起することは、日本政府からすれば門前払いすべき事案であろう。他方、日本政府は辺野古新基地建設において地元の理解が得られていないのではないかとの問いには「丁寧な説明を」とのフレーズを繰り返す。本来、事前の自由な―FPIC原則に準じた対応がなされるべきであることは公共工事の常識であり、先住民族か否かにかかわらず、さらにいえば、権利宣言を引き出すまでもなく、日本政府の対応には疑問符をつけざるをえない。

 

選挙結果が意味するもの

2013年、沖縄県内41市町村の代表や県議会が、オスプレイ配備撤回と米軍普天間基地の閉鎖、撤去と県内移設断念などを求め政府に提出した「建白書」、その精神を実現させるため「オール沖縄会議」が結成された。そして、新たな基地は沖縄のどこにも作らせないと辺野古新基地建設の拒否を明確に示した故翁長雄志前沖縄県知事の誕生を担った。以後、後任として玉城デニー知事の当選を成し遂げたものの、続く県内首長選挙では、オール沖縄会議が支援する候補者は軒並み苦杯を嘗める日々が続いている。

 

2022年、「復帰」50年の沖縄は奇しくも選挙イヤーとなっている。報道関係を含め政権側から発せられるオール沖縄の衰退、弱体化という声が喧しいが、辺野古新基地建設に対して沖縄側の世論は一貫して慎重な姿勢を崩していない。今年1月の名護市長選挙前に名護市民を対象とした沖縄タイムスと朝日新聞が共同で行った世論調査では、辺野古新基地建設計画に対し「反対」の回答が54%と、前回2018年の63%より減ったものの半数を維持しており、「賛成」は24%で前回の20%より微増している。(2022年1月17日、沖縄タイムス)同調査では、投票先として最重要視することについて、「地域振興策」50%、「普天間飛行場の移設問題」30%、「支援する政党や団体」9%、「経歴や実績」6%の順だったという。一方で、名護市長選挙後、選対に関わった人たちの話を伺うと、基地建設に明確に反対を示した岸本洋平候補が50歳と若いにもかかわらず、支援者の中心は70代であり、対する渡具知武豊候補は60歳で、支援者は30代、40代の子育て現役世代が支えていた印象だと語ってくれた。理由は渡具知候補の示した「給食費、こども医療費、保育料の3つの無償化」が子育て世代に極めて強いインパクトを与えたからだという。財源が再編交付金であり、不安定な財源でありつつも、辺野古新基地建設を拒否する姿勢を示さない限り配分される財源である。かつての稲嶺進市政(2010~2018年)では支給されなかったものの、市民の負担を抑えるよう、稲嶺市政ではあらゆる行財政改革が行われた。その際、再編交付金は麻薬のようなものであり、一度、受け入れてしまえば名護市を蝕む副作用の大きい財源とみなされていた。しかし、渡具知候補の一期目では稲嶺市政時代に未払いであった再編交付金までも支給され、3つの無償化が実現したのであった。

 

格差という課題、豊かさの再定義

「復帰」は先述の通り沖縄県民が求めたものと乖離していただけではなく、「本土との格差是正」とし制定された沖縄振興開発特別措置法(1972年制定、2002年からは「沖縄振興特別措置法」とし法目的が「格差是正」から「民間主導の自立型経済の構築」に変更された)により、海岸線の埋立をはじめとする「開発」により自然破壊が進んでいた。

 

その影響をもろに受けていたのが、やんばると呼ばれる沖縄島北部の名護市であった。名護市は1970年に名護町、屋我地村、久志村、屋部村、羽地村の5町村が合併し誕生した。新制名護市は第一次総合計画・基本構想において「いわゆる経済格差という単純な価値基準の延長上に展開される開発の図式から、本市が学ぶべきものはすでに何もない」とし、「格差」よりもその土地にある価値から豊かさを見出す自治の在り方「逆格差論」を提唱していた。この基本構想が生まれた当時、名護市若手職員として中心的な存在だったのが、先の選挙に出馬した岸本洋平氏の父で、晩年は名護市長として基地容認に転ぜざるを得なかった故岸本建男氏と、元名護市長の稲嶺進氏の両氏である。

 

半世紀を経たいまでさえ色褪せることのない、むしろ、COVID-19や戦争という不確実性を見せつけられるいまだからこそ、豊かさの再定義を示す「逆格差論」は自己決定権とは何かを学びなおす奇貨のような気がしている。

 

●おやかわ ゆうこ

i 『先住民族と国際法―剥奪の歴史から権利の承認へ』、小坂田裕子、2017年、信山社、228頁
ii 前掲、229頁