小松泰介
IMADR事務局次長 ジュネーブ事務所
国連人種差別撤廃委員会(以下、委員会)のモーリシャス審査が今年8月に行われた。モーリシャスはマダガスカルの東に位置する小さな島国である。植民地時代にアフリカ大陸から人びとが奴隷として連れて来られ、その後奴隷制が廃止されると労働力不足を補うためにイギリスによってインドから大量の移民が導入された。モーリシャスの人口は約126万人で、その大半をインド系が占めている。次いでアフリカ系等との混血であるクレオール、そして華人やフランス系などの人びとが暮らす多民族国家である。宗教はヒンドゥー教が多数派で、他にキリスト教、イスラム教や仏教が信仰されている。
インドからの移民と一緒にヒンドゥー教とカースト制度も入ってきたモーリシャスでは、インド系コミュニティで未だにカーストが存在している。NGOなどの報告によると、モーリシャスでは政治をはじめとする国家のシステムにおいていわゆる「上位」カーストが力を握っており、生活の様々な面において影響を及ぼしている。そのため、インド系の中で「下位」カーストに属するとされる人びとやクレオールなどのマイノリティは構造的差別に直面しており、特に政治参加における均等な機会が奪われているとNGOから指摘されている。
審査におけるモーリシャス政府との議論においても、インド系コミュニティにおけるカースト差別について委員会から質問が繰り返された。ロシアのアフトノモフ委員は特に公共部門においてカースト差別が根強く残っているとの報告に懸念を示した。
これらの質問に対し、モーリシャス政府代表団の団長である法務大臣は激しい拒否反応を示した。彼は、「人びとの日常会話や政治キャンペーにおいてカーストは話題にされるかもしれないが、雇用や昇進におけるカースト差別は存在しない」と発言した。また、「カースト差別が存在するとは認識していない。『下位』カーストのインド系の人びとがどこに住んでいるのか教えて欲しいくらいだ。カースト差別の問題はインド映画でしか見たことがない。」と言い放った。その上、「カースト制度はインドからの移民と共に流入したが、政府のシステムに影響は及ぼしていない。」と断言した。
しかし、法務大臣の発言は自ら矛盾をはらんでいる。日常生活でカーストが話されているのであれば、その延長線上にある政治にもカーストが入り込んでいることは必至である。現に彼自身も「政治キャンペーンにおいて話されているかもしれない」と、言っている。さらに、「高齢者の人権に関する国連独立専門家」は2015年にモーリシャスを公式訪問した際、「カースト制度は法律では認められていないものの、モーリシャスの伝統に深く根付いており、階層的な構造が依然として残るモーリシャス社会における排除の要因となっている」と指摘している。
また、植民地時代の奴隷制と強制労働の影響を調査するために政府が設置した「真実と正義委員会」も、モーリシャスにおいて直接的なカースト差別は昔ほどないものの、カーストに基づく偏見は生活における宗教的、社会的、政治的な側面で残っており、特に選挙において表出すると2011年の報告書で指摘している。
モーリシャス国内外の調査によって指摘されているカーストの存在と影響について、政府代表団団長が感情的に否定したことは、人びとの意識に残るカースト差別と偏見の根深さを体現していたように思う。審査を傍聴していたモーリシャスのNGOが筆者に対して言った「真実には痛みが伴う」という一言が多くを物語っている。