IMADRでのインターンを終えて

鈴木 美緒里(すずきみおり)

武蔵野大学政治経済学部 4年生

 

私は2016年の4月から11月初めまでの約7か月間、IMADRでインターンをさせていただきました。IMADRでインターンをするきっかけとなったのは、大学4年に進級し、就職活動が始まってくるタイミングで、改めて自分の将来について考えたことです。大学で学び、自分が関心を持った人権分野について学生のうちに深く携わってみたいという思いからインターンに応募しました。大学を一旦休学し、7か月間IMADRのスタッフのみなさんや人権に関するさまざまな人びとに実際出会い、経験したことは大きな人生の糧となりました。

 

 

昨年4月、ヘイトスピーチ解消法案が与党から出され、その成立過程を経験できたことは、すごく自分の中で印象に残っています。より良い法律となるよう同じ差別を無くそうと尽力する様々な団体と会議や院内集会を開いたことや、参議院法務委員会の傍聴など、様々な場面で被害を受けた当事者の声や、長年にわたり人種差別撤廃法成立に向け尽力してきた人びとの声を聴くことができました。そこで今までの政府の対応や、現法案の問題点をリアルタイムで感じられたことは、インターンをしていなければできないことでした。また、たくさんの人びとが苦悩したこの法案が可決される場面にも立ち会いました。衆議院の本会議で、様々な人たちの思いが詰まったこの法案がようやく可決され、たくさんの人の喜んでいる表情を生で見るとき、少ない時間でしか関われませんでしたが、私はこの瞬間に立ち会えたことをうれしく思いました。あの場にいた人たちが心から喜び、また安堵していた表情は今でも覚えています。

 

その後も法律ができたから終わりなのではなく、法律が施行された今でもヘイトを無くすため、様々な人たちが悪質な誹謗中傷を無くす試みを絶えず行ない続けています。そういった姿にこれからがスタートであり、日本でヘイトを無くすことは決してたやすいことではないのだということも痛感しました。

 

その他にインターンをしていなければ気付かなかったこととして挙げられるのは、沖縄についてです。大学生のとき授業でも沖縄について学ぶ機会はありましたが、実際に沖縄の人に話を聞く機会もなく、本土の報道機関が伝える内容しか知りませんでした。今思えば、自分の住んでいる場所から距離が離れているので、考える機会が少なかったようにも思えます。

 

インターンの仕事として、IMADRから出版された『日本と沖縄 常識をこえて公正な社会を創るために』の発売を記念して行なわれた著者による講座の準備などを行ないました。実際に著者の方々にしていただいたお話を通じて、沖縄の現状、なぜ沖縄の声が本土まで届かないのかなど、今まで自分が見過ごしてしまった沖縄のいまについて、そこで初めて知ることができたように思えます。私はニュースなどで沖縄の基地問題については、わかったつもりでいました。しかし、その問題がずっと昔から始まっているということ、沖縄にも様々な意見があり激変期であること、そして何より私のような本土の人間たちの沖縄への「無関心」が沖縄に住んでいる人たちを苦しめているという現実がありました。私の大学の先生が「他者への想像力」とよく言っていましたが、改めてその言葉の大切さを実感し、日本国内では関心の高まりが難しい。だから目線を世界に向けて、沖縄が積極的に政府の対応や現地の人の声を様々な地域の人びとに訴え続け、IMADRもそのサポートをしている。そういった試みの大切さをより再認識できました。

 

9月にはヒューマンライツセミナーが大阪で行なわれ、多くの企業、会員のみなさまが参加してくださいました。ビジネスと人権についての講演内容はもちろんのこと、準備を通じて、IMADR会員の様々な人と出会う機会を得たことも、良い経験となりました。企業の人権に対する強い関心に驚かされるとともに、こういった方々の協力がなければ、ヒューマンライツセミナーの成功はなかったと思いました。本当にありがたく思い、IMADRのようなNGOが成り立つにはこうした力が不可欠なのだということを再認識することができました。その他にも大阪の住吉部落地域を訪問し、施設等を説明していただきながら見学しました。昔から差別と闘ってきた人たちがいたからこそ、今があるのだということを実際に体感することができました。

 

今、私はフィリピンのバギオで語学留学をしています。フィリピンはどこも暑いと思われがちですが、バギオは高山地域に位置しているため、とても涼しく、日本の春や秋のような過ごしやすい気温です。平日は毎日朝から晩まで授業があるので、学校に缶詰め状態ですが、土日の休みは友人と旅行へ行ったり、近くの繁華街まで買い物や食事へ行ったりします。様々なニュースでフィリピンは危険だというイメージをお持ちの方もたくさんいらっしゃると思いますが、ここは日本人だからと言ってぼったくられることも、拳銃を向けられることもありません(ですが用心をしていないと財布や携帯はもちろん盗まれます)。

 

バギオには学校が多く、様々な国の人が集まるなど教育水準が比較的高い地域です。ほとんどの住民が英語を話すことができます。しかし、車で1、2時間走ったところの村などはまだ教育水準は低いままで、母国語の読み書きも十分にできない子どもたちが大勢います。先日そこへボランティアに行ってきました。子どもたちとレクレーションをしたり、物資を渡しに行ったりしました。現地の言葉のタガログ語が話せない私たちは、身振り手振りで伝えることしかできませんでしたが、それでも楽しい時間を過ごせたように思えます。

 

最後に、このような貴重な経験をさせていただいたIMADRのスタッフ、関係者のみなさまに感謝を申しあげます。自分の将来を決めるにあったって重要な経験となりました。私も差別のない世界を目指して努力をしていきたいと思います。ありがとうございました。