私たちはなぜ戻るのか?

ジェフ田中(じぇふたなか)

ライター/コミュニティ・ビルダー

 

私は家族を探し求めてウチナー(沖縄)にやってきた。時間、記憶そして痛みが私たちを引き離してきた。沖縄に滞在中、私は催眠術にかかったかのように沖縄の海に魅了されていた。私は海に感謝している。海だけが間違いなく私を謙虚にしてくれる。水平線に目を向ければ、この地にいる私の人びとの姿が見えてきた。彼らは風の音の向こうから私の名を呼び、打ち寄せる波のように踊る。私は27歳にして初めて自分自身を映す鏡を与えられたーなんて素晴らしい贈り物だろう。

私は過去を思い起こせない。故郷での人種差別の歴史がそうさせている。何世代にもわたり繰り返されてきた暴力が私を無感覚にさせる。私が言葉にしていないことはまだたくさんある。

私はアメリカで生まれ、カナダの北西海岸地域に住むウチナーンチュ4世である。ウチナーから離れて暮らしてきた。先祖の言葉や文化を知らずに生きてきたとも言えるだろう。だが、記憶が失われたことは一度もない。それどころか、記憶は幽霊のように私に付きまとい、いつもそこにある。でも決してリアルに思い出せない。

ロサンジェルスの私の家族は、ある時点で沖縄にいる家族との連絡を絶った。それがいつだったのか正確にはわからないが、曾祖母が60年ほど前に沖縄を訪れて以来、私の知る限り誰も沖縄に戻っていない。家族にどの村の出身なのかを聞いても知らないと言われ、「沖縄」という言葉を口にした途端、誰もが無言になった。だから私はふるさとを探すことにした。

私は沖縄の本をかたっぱしから読んだ。日本の植民地化、アメリカ軍の占領という戦争の残忍さに驚愕した。これらの侵略行為は、私の心に重くのしかかった。アメリカ市民としての私の意識は合衆国が沖縄の地で行なった数々の暴力を知ることで泥だらけにされた。私の血は、異なる文化の混合であり、それはしばしば衝突する。まるでこの島のように。

沖縄訪問中、初めて頭上で戦闘機の轟音を聞いたとき、不用意な私は心臓が止まるほどの思いをした。地元の人びとはひるむことすらないように見えた。政治的立場がどうであれ、アメリカ軍による占領や、島の主権の不在に慣れてしまっているように見えた。

先祖との再会

 

沖縄に来てほどなく、琉球新報記者の東江亜季子さんが、家族探しを手伝ってくれたので、那覇から北へ車で数時間の所にある田港の小さい村に行った。この旅を始めたとき、家族を探し出せる自信はなかった。しかし、村に着いた途端、その心配は吹き飛んだ。   親戚の人たちが先祖代々の土地を守ってくれていたのだ。戦争も、リゾート施設も、あるいは米軍基地もそれを奪い取ることはなかった。これぞまさに神からの恩恵である。

 

親戚の人たちは私がここに来た目的について質問することもなく、気持ち良く歓迎してくれた。そして先祖の村に数日泊めていただいた。入り江のそばに座って大地を見渡せば、自分自身の姿が見えてきた。「おかえり」、そう言われた。私の家系が再び形を表し、私の記憶も戻った。

 

数日後、米海兵隊普天間航空基地の移設候補地である辺野古のビーチを訪れた。辺野古は私の先祖の村に近い。自分の家族が隣村にいたらと想像してみた。もし彼らの土地に軍用基地が建設されたらどうなるだろう。私の心は沈んだ。辺野古の土地を大昔から世話してきた人びとのことを思い浮かべた。その人たちはこの決定に発言権がない。悲しみに浸りながらふと気がついた。入植者である私たちは、大地との話し方を忘れてしまっているのではないだろうか、土地を掘って、爆破させ、建てたり壊したりする前に許しを乞うことを忘れてしまっているのではないだろうか。

 

 

一瞬、私は、じっとすることなく、花から花に舞う蝶に気をとられた。鮮やかな赤と黒の蝶、血と暗闇のようであった。

 

私は海を見渡した。蝶はどれだけ私たちの重荷を持ち去り、どれだけ私たちの痛みを和らげてくれたことだろう。

 

私は両手を合わせ、先祖に呼びかける。

 

先祖が次々と空き地にあるガジュマルの木の陰に集まり、連続した気の輪を作っている。そして、有・無の二つの世界が同時に出会う場所をまっすぐに見つめ、心地よさそうに座る。

 

実は先祖たちはずっとここにいたのだー彼らの消滅は沈んだ夕日が朝日となって戻ってこないことと同じぐらい、あり得ないことである。彼らはずっとここにいた。常に畏敬の念を抱いて円になって待っている。

 

さまざまな変化があった。戦争が大地を燃やし、舗装は土を窒息死させ、男が女を殴ってきた。言語と民族が虐殺されてきた。暴力は海を横断し、打ち寄せる波のように反響している。

 

さまざまな変化があった。それでも彼らはずっとここにいる。

 

彼らはいつものように輪になって、自分たちの言葉で話しながら待っている-去っていった私たちがとっくの昔に忘れてしまった言葉で。