雨森 慶為(あめもりけいい)
真宗大谷派解放運動推進本部 本部委員
真宗大谷派は、1998年6月25日、東京で1人、福岡で2人の死刑が執行されたことを機縁として死刑制度に関する声明を公表しました。継続した執行に宗派として始めて死刑執行の停止の立場を明らかにしました。
以来、死刑の執行がなされるたびに「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」、2003年からは「死刑制度を問いなおし死刑執行の停止を求める声明」を宗派として表明し、社会に対して死刑制度について論議していくことの大切さを呼びかけてきました。
しかし、声明や、宗派発行の新聞『同朋新聞』等に死刑廃止関係の記事が掲載されるたびに、宗派内において読者や門徒から、死刑廃止に関する取り組みに対して疑義や質問が出されている状況があります。このような現況を見るとき、宗派において声明に願われているような死刑制度について論議が高まっているとはいえず、宗派の取り組みとしても死刑の執行後に声明を公表することが通例となっています。
さて、僧侶をはじめとして宗教者の中には、全国の刑務所や拘置所、少年院等にボランティアとして赴き、宗教教誨(しゅうきょうきょうかい)を行なう教誨師(きょうかいし)や、篤志面接員(とくしめんせついん)という方々がおられます。真宗大谷派の僧侶は1872年(明治5年)から教誨師の活動を続けています。浄土真宗の教えにもとづき、犯した罪にともに向き合い、再び犯罪を行なわない人間として社会復帰をすすめる活動です。
1872年(明治5年)7月に、真宗大谷派の僧侶 鵜飼啓潭が名古屋監獄での教誨を許可され、同年8月に同派の迎明寺僧侶 蓑輪対岳が巣鴨監獄(東京 府中刑務所の前身)での教誨を許可されました。その精神は自主的な奉仕活動であり、罪を犯してしまった人たちに対して犯した罪のまちがいを糺し、侵してはならない人間の尊厳を説き、その償いのあり方をともに模索して、彼らの更生と社会復帰を支援してきました。篤志面接員や保護司、刑務官の方々の活動など、現実的な更生と社会復帰にあたって、多くの支援が行なわれています。
教誨師たちのこうした活動にとって超えられない壁は、いまや世界の国々の70%がすでに法律上、あるいは事実上廃止した死刑制度です。この制度があることによって、教誨師が更生と社会復帰、そして犯した罪の償いを死刑確定者に対して説くことはできません。死刑確定者が、いつ来るかも判らない執行の朝を、たとえようもない恐怖の中で待つ姿に寄り添うことでしかその役割が果たせないのです。
死刑確定者の持つ逃れられない死への恐怖と、自らを律しがたいことへの不安、侵してはならない人間の尊厳を深く知る立場にある教誨師の方々は、身をもって死刑そのものが持つ矛盾を感じ取っています。
死刑は犯罪被害者のために行なわれると思われていますが、死刑の執行によって被害者が救済されることはあるのでしょうか。大切な人を失った損害や元の生活は、加害者が死刑になっても戻ってくるわけではありません。むしろ加害者がその過ちを悔悟し、罪を償う努力を重ね、人間性を回復していくことが、犯罪被害者の回復につながるのではないでしょうか。
宗教者である教誨師の活動が、更生と社会復帰への支援であるならば、死刑確定者に対しても同様の支援が向けられ、それが被害者の支援へと結びつくことが求められていると思います。