「両論併記」圧力を超え弱者の側に ──沖縄「表現の自由」シンポジウム報告

阿部 岳(あべたかし)

沖縄タイムス記者

 

ジャーナリズムの公平性とは何か。それは、圧倒的な力の差がある権力と市民の主張を両論併記することではない。埋もれた弱者の声を掘り出すことだ。沖縄では、新基地建設に抗議する市民が連日のように警察や海上保安庁によって強制排除されている。そうした権力の行動を監視し、外に伝えるべき記者まで拘束され、身体の自由を奪われる異常事態だ。そんなさなかの昨年11月21日、那覇市でシンポジウム「沖縄から問う報道と表現の自由」が開かれた。

毎日新聞特別編集委員の岸井成格氏が基調講演し、その後、ワシントンポスト東京支局長のアンナ・ファイフィールド氏、ジャーナリストの安田浩一氏、沖縄タイムス編集局長の石川達也氏を交えて討論した。加藤裕弁護士が司会を務めた。沖縄国際人権法研究会と沖縄タイムス社が共催、連合沖縄が特別協力し、沖縄弁護士会が後援した。

基調講演-時代の変わり目

岸井 集団的自衛権の行使は歴代首相、内閣法制局長官が「違憲であり、憲法改正しないとできない」と言ってきたものを、一内閣の閣議決定で容認した。安全保障関連法案成立の3日前、私はTBS「ニュース23」で「強行採決は認められない。メディアとしても廃案に向けて声を上げ続けるべきだ」と言った。すると、全国紙に1ページの意見広告が出て偏向報道だと批判された。戦前のメディアは軍部や政治の暴走を止められず、逆に戦意をあおり戦争に突き進んだ。戦後は、「権力は必ず腐敗し暴走する。監視しブレーキをかけることが最も大事な使命だ」という決意で再出発した。今、「売国奴」「沖縄の二つの新聞は国益に反する」「つぶすべきだ」などという発言が平気で出る。時代の変わり目というのは怖いものだ。

強まる報道規制・取材妨害

司会 まず外から見た沖縄の問題について。

ファイフィールド 沖縄の問題は日本だけではなく米国や世界中の人びとにとって重要だが、沖縄の声は届いていない。例えば辺野古の問題は20年間、構図が変わっていない。米国の読者に興味を持たせるのは難しい面もある。

安田 これまでヘイトスピーチを取材してきた。さまざまな差別の現場と沖縄は地続きだ。差別は単なる罵倒ではなく、多数派と少数派という非対称の関係の中で生まれる。今の日本には「弱者は弱者らしく」「物言う弱者は許さない」という社会的風潮が確実にある。それは違うんだ、とはっきり伝えていきたい。

司会 沖縄のメディアから報道の自由の実態はどうか。

石川 東村高江のヘリパッド建設現場周辺で8月、沖縄タイムスと琉球新報の記者が機動隊に拘束された。一報を聞いてまさかと思った。

岸井 第1次安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、戦後日本人の誇りを失わせたのは憲法、教育、労働組合だと説いた。最近これに報道が入ってきた。政権批判は許さない、都合の悪い情報は流させない、というはっきりした意思を感じる。

司会 ジョン・ミッチェル氏への取材妨害について。

石川 沖縄タイムス特約通信員のミッチェル氏は、米軍に関する記事を多く執筆している。自宅パソコンから米空軍のウェブサイトへの接続がブロックされていた。

ファイフィールド 非常にショッキング。報道の自由という点でも日本、米国など民主主義国家であってはならない。当局は批判を受けたらどんどん情報を出して説得すべきで、自らアクセスを断つのは自滅。米国で起きていたら、大勢のジャーナリストの怒りを買ったはずだ。

岸井 高市早苗総務相が国会で言ったテレビの「電波停止」も深刻だ。偏向かどうかを判断するのは「政府であり」、誰に権限があるかと聞いたら「総務大臣だ」と答えた。外国の記者からは、もしそんなことが欧米の先進国で起きたら、その政権は持たない。大臣も続けられるわけがない。なぜ日本のマスメディアは一致して抗議して辞めさせないのか、と問われた。もう一つ、国民はなぜ怒らないんだ、と。日本のジャーナリストと温度が違う。

「土人」発言も許容

岸井 政権側のやり方は非常に巧妙かつ執拗だ。新聞もテレビも大いに揺さぶられ、会社の中でも分断されている。安倍首相を番組に招いた時、街の声を聞いたらアベノミクス批判が多くて首相が怒った。それ以来、選挙では街の声を聞かなくなった。5人が反対と言ったら賛成の声も5人分聞かなければいけないからだ。自主規制というより「面倒くさい。。。政治は面倒で、沖縄は一番面倒だ」ということになる。

ファイフィールド ワシントンポストも安倍政権のメディアコントロールを問題視している。閣僚が何が公平かを決めるというのは奇異だ。

石川 大阪府警の機動隊員による「土人」発言は、言葉自体というより、背景に根本的な問題がある。沖縄では日々、憲法で保障された「表現の自由」に基づき抗議行動をしている人びとに、法的な根拠があいまいなまま機動隊による身柄拘束や排除が起きている。政府は安全保障の名の下に、沖縄に過重な基地負担を強いている。20年間変化していないのではなく、毎日虐げられている。

安田 6月にヘイトスピーチ解消法が施行された。この法律が本来意味するところは、行政が先頭に立ち、社会に分断をもたらす差別の解消に努めるということ。だからこそ、機動隊員よりも、差別的発言を許容するかのような国家機関が許せない。

権力対峙が原点

司会 公平性を理由とした報道への圧力について。

安田 権力と市民との間に公平性などあり得ない。必ず不均衡、不平等、非対称的な関係がある。社会的な力関係を背景に、自分の属性について攻撃されると差別された側は反論できず、言葉を失ってしまう。だからこそメディアは、言葉を奪われた者の自由を取り戻すために活動しなければならない。

岸井 各新聞社の編集綱領が公正をうたっているのは、戦前の反省に立って、権力に規制の口実を与えないようにするためだ。

司会 沖縄の声を本土のメディア、国民、米国にどう届けるか。

石川 圧倒的な権力に立ち向かう市民の側に立って報道していくスタンスに変わりはない。基地問題の不条理さを伝えるために、日々、小さな積み重ねを続けたい。

安田 マスコミの危機は、自ら招いた結果でもある。原点に立ち戻り、人びとと一緒に互いにもまれながら強い力と対峙していくことだ。

ファイフィールド 沖縄や日本だけでなく、世界的にもメディアの広告収入や収益が落ちている。東京に特派員を置かない新聞社もあるわけで、沖縄まで来て記事を書くのは難しくなっている。

岸井 過大な負担を沖縄に押し付けている、ということも国民には認識されていない。機会があるたびに歴史と課題を突き付けていくことが大事だ。