『日本と沖縄』 ── 常識をこえて公正な社会を創るために 出版記念講座開催

日本と沖縄、本土と琉球。なんでこんなに遠いのか。それぞれに知っていることが違う。基本的な「当り前」が違う。知らなさすぎる「常識」を知るために、反差別国際運動(IMADR)は、書籍『日本と沖縄―常識をこえて公正な社会を創るために』を2016年4月に発行した。

国際人権法、政治学、哲学を専門にする大学教授や地元沖縄で活動するNGOのメンバーなどを著者として迎え、歴史をひもとき世界の潮流に触れることで、沖縄を本土の犠牲にする矛盾に満ちた「イメージ」を正すきっかけを示す内容になっている。

本の内容をさらに深めるために、著者5人による出版記念講座を開催することにした。第3回までの講座が終了したことを受け、講座のまとめを報告する。

 

1回:琉球・沖縄の人民の自己決定権―脱植民地化の闘い

記念すべき第1回目は4月22日に、上村英明さん(市民外交センター代表、恵泉女学園大学教授)に講演していただいた。

一般的な常識として、沖縄の問題は=辺野古の問題=米軍基地問題という、反戦・平和の視点から議論されてきた。しかし、違う視点で沖縄の問題をとらえた時に、人民の自己決定権を主張することが主流になった。それは、2015年9月、国連人権理事会で翁長知事が国際世論へ訴えた演説の中に、「反戦・平和」の文字は一文字もなく、沖縄の問題を「人権侵害」として訴えたことにも象徴されている。

翁長知事の国連演説では、沖縄の苦難の歴史が語られ、辺野古に象徴される米軍基地の問題を人権と差別の問題として再定義されている。沖縄にも国際社会に通じる自己決定権という権利概念があるという事を、選挙によって住民から選ばれた代表が主張したことに大きな特徴があった演説だった。

もう一つの特徴は、米軍基地の問題を、歴史をさかのぼって議論すべきだと主張したことである。沖縄と日本政府の歴史認識の違いが浮き彫りになる中、今の辺野古の問題を解決するためには、歴史を70年あるいは140年さかのぼる必要がある。今沖縄で起きている基地問題に関して、歴史をさかのぼって議論することは、今までの沖縄の運動に比べると革命的な転換点だ。

 

2回:島ぐるみ会議の挑戦―自治権拡大の国際的潮流の中で

第2回目は5月19日に、島袋純さん(沖縄国際人権法研究会代表、琉球大学教授)にお越しいただいた。幼少のころから沖縄に米軍基地が集中していることに疑問を抱き、高校・大学へ進学するにつれてその思いが強くなったという。島袋さんはヨーロッパ自治権確立の研究を基盤としているが、沖縄では運動・闘争のために学問をすることが当たり前の考え方である。それを考えたとき沖縄の人口140万人のうち、国際人権法の研究者もいなければ、そのポストもないことを大きな問題としてとらえ、国際人権法を新たな沖縄での闘争の手段として位置づけ研究し、国連の場で使うことによって運動に直結させている。

近代主権国家としてのヨーロッパは、リージョン(地域)から成りたち、EU機関の補助金対象は国ではなく、例えばスコットランド、ウェールズ、バスク、カタロニアなどの地域である。それゆえに多くの自治体がブリュッセルに事務所をかまえ、EU機関と直結したやりとりをしている。欧州においてこういった地域分権が確立された背景には、市民による自治権確立運動が母体となっている。市民は社会を形成し、その社会を守るために必要な機能を備えた政府を作る。東アジアでもこのような市民運動による欧州社会の形成を実現するために私たちにできることとして、人権・主権在民・平和主義などを共通の価値とし、立憲主義的価値を共有する市民の連帯・運動だと言及した。

 

3回:なぜ「県外移設」=基地引き取りを主張するのか

第3回目は6月21日に、高橋哲哉さん(哲学者、東京大学大学院教授)に講演していただいた。

今年の6月19日、沖縄での県民大会に6万5000人が集結し、米軍海兵隊撤退を決議した。海兵隊は駐留米軍定員の6割を占めることから米軍の主力と言われ、海兵隊の撤退で沖縄の基地負担は大幅に減るとも言われている。しかしながら、今年5月に起こった在沖米軍関係者による女性遺体遺棄事件によって県民の怒りは限界を超え、海兵隊だけでなく全基地撤去・撤退を要求する声が高まった。

県民大会では、安部首相と本土に住む人びとは「第二の加害者」だというスピーチがあった。これまでは日本政府も加害者だという議論はされてきたが、本土に住む人びとも含めて加害者だという議論、すなわち本土に住む人びとに直接問いを向けることが「県外移設論」=基地引き取り論のポイントだという。

基地引き取り論の論理は、沖縄県の面積は全国のたった0.6%にすぎないにもかかわらず在日米軍専用施設の74.4%が集中していることである。1955年には本土89%、沖縄11%の比率で、1972年の沖縄返還時には本土41.3%、沖縄51.7%になり、その後現在の74.4%の米軍専用施設が沖縄に集中している。1955年の11%でも沖縄の負担は重く、本土にあった米軍基地は整理縮小・閉鎖され沖縄の基地はむしろ固定化されていった。この沖縄への異常な基地集中は明らかな差別で、沖縄に対する植民地支配(コロニアルルール)が戦後も続いていると指摘する。

もう一つの論理として、日本にある米軍基地は、日米安全保障条約に基づき存在し、その条約を本土の有権者が支持することで成り立っている。しかしそれは、1972年に沖縄県民の選挙権が復帰する前に結ばれたものであり、沖縄県民の民意が一切反映されていない。民主主義の一つの手段である多数決の論理で言えば、人口全国比1%の沖縄が何を叫んでも9割以上が支持する安保条約に反対することができない。政治的選択をする人がリスクを負わず、政治的選択肢のない沖縄の人びとが基地のリスクを負わされている現状にどう立ち向かっていくか状況が見えないが、安保条約を支えている圧倒的多数の本土の人びとに、安保条約をやめたときの実体を自覚してもらうことが重要だと強調した。

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講師の方々のお話をまとめながら、改めて沖縄の不正義をどうすれば正すことができるのかと考えた。高橋哲哉さんがおっしゃったように、この講座をするきっかけになった書籍は本土の人びとに向けて書かれたものである。沖縄の人びとの闘いはもうずっと前から続いていて、まさに怒りは限界を超えているのだと思う。遠い国の貧困問題を解決することも私たちの課題の一つではあるが、すぐそばの不正義に目をつむり、誰かの犠牲の上に成り立つ平和と安全の中で日常を送ることに疑問を持つことが、問題解決への初めの一歩ではないかと思う。

(まとめ 編集部)