オリンピックを大きな転機にできるか──注目の的となる国内の人権

髙橋 宗瑠 (たかはしそうる)

ビジネス・人権資料センター日本代表、IMADR特別研究員

 

メガスポーツイベントで注目される人権

巨大な国際スポーツイベントのことを、国際的にはメガスポーツイベントと呼ばれています。サッカーのワールドカップやオリンピックなどがその代表例で、各国は競って誘致をし、開催国になろうとします。周知のように東京も2020年のオリンピック開催地に選ばれ、準備が進んでいるところです。

メガスポーツイベントの開催が決まると、その国に国際的な注目が集まります。それ自体は決して悪いことではないのですが、企業人も含む多くの日本人が気づいていないように思われるのは、いいところだけが注目されるのではない、ということです。日本には「相手の足りないところに目をつむる」「あまり表立って人を悪く言わない」という文化があり、美徳とされている風潮があると言えます。多くの日本人が考えているほどそれが果たして美しいものかどうかに関しては疑問がありますが、何れにしても、それが日本人同士にしか通用しないルールであることは、しかと認識すべきかと思います。海外では「なあなあ」は一切通用せず、足りないところはズケズケ指摘されますし、その指摘に対して真摯に対応することが要求されます。そのような態度を「厳しすぎる」と感じ、「お手柔らかに」とごまかそうとするようでは、決して世界に理解されません。

 

課題が残る日本企業のサプライチェーン

 

人権もその例外でなく、メガスポーツイベントがあると、開催国にまつわる人権問題がそれよりはるかに国際的にクローズアップされるようになります。今まで拙稿で見てきた、サプライチェーンや資源開発など、日本企業の海外事業に関して、今までよりも更に厳しい目が向けられるのは必至です。それはすでに始まっており、例えば、グローバル・ウィットネス(GW)という大手の国際NGOが、特にマレーシアのサラワク州で違法伐採された材木を日本企業が多く購買している実態を指摘しています。世界第4位の木材輸入国であるにも関わらず、G7で違法伐採されたものの輸入を明確に禁止していないのは日本だけで、企業による自主的な試みも効果的ではないとGWが分析しています。

 

このように、日本企業のサプライチェーンは依然として大きな人権リスクとなっており、早急な対応が求められています。例えばロンドンは、2012年オリンピックの5年前にすでに「持続可能性に配慮した調達コード」を発表し、オリンピックに関連する調達の際に企業が守るべき人権や環境保護の原則を明記しました。調達コードの違反を提起できる救済申し立て制度も作り、国連のビジネスと人権指導原則に基づいて運用すると明言して臨みました。

 

 

東京オリンピックの組織委員会は2016年の2月に「持続可能性に配慮した調達コード」を発表したので、これからがお手並み拝見というところです。なお材木に関しては、GWが4月中旬に上記の報告書を発表すると、組織委員会は5月中旬に木材の調達基準の案をパブコメに出しましたが、FoE JapanなどいくつものNGOはそれを甚だ不十分と指摘しています。パブコメに出されたのはたったの1週間で、案は和文しかなかったので、オリンピックの枠内での「パブコメ」と果たして言えるかどうかさえ、疑問が残るところです。

 

 

必ず注目の的になる、日本の国内の人権

 

 このように、オリンピック関連の調達における人権の取り組みは始動したばかりというところです。しかし、メガスポーツイベントの際に、国外の問題と同じように注目されるのは、国内における人権問題です。

 

例えばブラジルのリオで2014年のワールドカップに次いで今年の夏にオリンピックが開催されますが、新しいスタジアム建設などの再開発に際して、25万人もの人びとが強制的に立ち退きをされています。俗にいう「スラム」の住民で、町自体が政府に認められていない「無許可建築」であるため補償などは一切なく、ブルドーザーで家を壊され、住民が道路に放り出されてホームレスになる、という状況です。

 

カタールも、人権がクローズアップされているいい例です。2022年のワールドカップに向けた建築のために大勢の外国人労働者がもはや奴隷労働に近い状況で働かされています。カタールにおける外国人労働者の扱いが極めて劣悪であることは長年指摘されており、人身売買と言われています。人権団体やジャーナリストに大きく取り上げられ、カタールの一つの大きな汚点と認識されるようになったと言っても過言ではありません。

 

外国人労働者の扱いや強制立ち退きはメガスポーツイベントに直接関連する人権問題ですが、直接関係のない人権問題も注目を集めます。2014年のソチ冬季オリンピックがそのよい例で、開催が近くなると、ロシアにおけるLGBTに対する差別が大きく問題とされるようになりました。LGBTの表現活動が恣意的に禁止されたり、暴行事件などのヘイトクライムが激増するロシアの現状が指摘され、各地でデモが起きたりボイコットも提唱されました。この問題がロシア社会の大きな恥部として国際的に認識されるに至ったのには、オリンピックの開催は大きく影響したと言えます。

 

ここまで読んで、日本と関係がないと胸をなでおろしている読者がいれば、「甘い」とはっきり申し上げたい。日本には多数の人権問題があり、どれもオリンピックに際して大きく注目を浴びてもおかしくありません。

 

まず、外国人労働者の権利です。カタール及びその他の湾岸諸国同様、日本での人権問題と言えばまず真っ先に外国人労働者が浮かんでくるほど、国際的な人権の世界などでは認識がすでに定着しています。外国人技能実習制度は問題が極めて多くあります。ブローカーなどが介在して多額な借金を負わされ、日本で時給300円相当など不当に安い賃金で強制労働される実習生も多く、人権団体はもとより、アメリカの国務省にさえ人身売買の温床となっていると非難されています。人権活動家として言わせてもらうと、米国務省にさえ非難されたら相当程度低いレベルまで落ちたものと考えなくてはなりません。「外国人に日本の進んだ技術を習得してもらう」というのが制度の建前ですが、それを本気に受け止めている人は日本政府内外でも最初から少数で、外国人に安く労働させるというのが本当の趣旨と指摘されても反論できません。現在議論されている制度の改正案によって改善が予想される点もありますが、根本的な問題は手つかずです。

 

再開発による住民の立ち退きも、日本で問題になっています。新国立競技場の建設のため、近くにある「霞ヶ丘アパート」という都営住宅の取り壊しが決定され、当初370人ほどいた住民は立ち退きを突きつけられました。さすがにブラジルのようにいきなり放り出されるということはなく、別の都営住宅に代替の住居が用意されたようですが、それがいくつもの違った都営住宅にまたがるためコミュニティーがバラバラになることを意味します。何よりも、意味のある対話や話し合いが行なわれず、既成事実を一方的に突きつけられただけと述べる住民も決して少なくありません。対話どころか、移動を拒む住民には電気や水道を打ち切るという手紙が東京都から届くことさえありました。近くにある明治公園で寝泊りするホームレスも立ち退きを強要され、公園の水道が止められることもあります。生活保護がどんどん削られ、シェルターも不足している東京で、彼(女)らに一体どこに行けというのでしょうか。

 

また、ソチで見られたように、メガスポーツイベントと直接つながっていない人権問題に注目が集まる可能性もあります。日本の人権問題は多岐に渡るのでここで全てを列記することは出来ませんが、企業が特に関連するものとしては、やはり労働権が挙げられます。例えば非正規労働の拡大が社会問題と指摘されて久しいのですが、それが日本で特に深刻な影響をもたらすのは、同一労働同一賃金の原則を明記した国際条約を日本が批准していないからでもあります。また、管理職などにおける女性の割合の低さは近年指摘されている通りで、女性の社会進出に関するほとんどの指標では、日本は先進国で最下位かもしくはそれに近い位置にいます。外国人に対する差別(例えば賃貸住宅の「外国人お断り」など)という問題も、企業は無関係でいられません。

 

 

大きな転機になるオリンピック

 

このように人権リスクを多く並べましたが、日本企業、及び日本全体が歯を食いしばってしのぐべき時ではありません。むしろオリンピックを大きな好機ととらえ、「人権に真面目に取り組む日本」を世界にアピールする大きなチャンスとなりうると考えています。拙稿で今まで強調してきたように、人権を守ることが企業にとって大きな宣伝価値となるのが、もはや世界のスタンダードになっています。2020年のオリンピックを機に、「人権」という世界の趨勢に乗ることが強く求められています。