日本に住むムスリマとして―結婚、出産、学校との関わり

クリジュ 広子(くりじゅひろこ)

主婦

 

私はトルコ人の夫と4人の子どもに恵まれ、14年間イスラーム教徒として日本で暮らしたこれまでを振り返る良い機会をいただけた。しかし不安を抱えながら書き出している。それはイスラーム教を信じる人であるムスリムを一括りにはできず、同じ宗教であっても国籍、その中での出身地域、性別、年齢等によってそれぞれのイスラーム教との向き合い方があり、信仰を実践するスタイルはとても多様だからである。信仰の実践とは、イスラームの啓典クルアーンが私たちのガイダンスであり、預言者の慣行はスンナと呼ばれ推奨されるので、それに従って行動することである。それぞれの重視するスタイルは異なり、私の経験は、多くのムスリムの中の1つの例にすぎないと捉えていただきたい。

 

結婚を機に信仰の実践が増えた。まず結婚式で着用したウェディングドレスは長袖で透けず、白のスカーフをした上にベールを被った。役所への婚姻届けの他に“ニカー”と呼ばれるイスラーム法に基づく結婚契約を証人と出席者の前で取り交わした。そして、最初の大きな日本社会との関わりは妊娠時だった。女医に診てもらえる病院を探すために何件も確認して決めたが、切迫流産の危険で緊急入院となった。病室は大部屋で婦人科病棟だったが、面会や回診など男性も来るので、常にスカーフをして長袖の丈の長いパジャマで過ごした。その後、逆子のため帝王切開の可能性から、女医だけでは難しいことを告げられた。そしてまた何件も確認し、幸い違う病院に受け入れてもらえた。そこでは計画的帝王切開手術のために麻酔科から手術室の中まで、すべて女性のみのチームを組んでもらえ、エコー科、採血、心電図、すべて女性で対応してくれた。また、驚いたことに採血で「アルコールではない消毒綿の方がいいですよね?」と声をかけてもらえた。出産直前の2週間も入院となり、そこは大きな病院で、朝の回診にはたくさんの先生がいたが、私のところは回診前にカーテンを閉めてくれて、声をかけてからカーテンを最小限開けてくれた。主治医は検診の時も、エコーのモニターのみを男性医長に確認してもらっていた。そして皆、イスラームについてたくさんの質問をしてくれた。ある看護師は、「以前外国人患者が手術前にお祈りをしており、そんな時に神様に祈りたい気持ちがわかる」と話してくれたので私も話しやすかった。私自身の1日5回の礼拝や時間についても、それぞれの決まった時間以内ですれば良いもので、もしもカーテン越しに返事がなくて開けたとき礼拝中だったとしても5分位で終わるし、見られても何の問題もないことを伝えた。時には面会に来た友人たちと共に礼拝をするために、別の部屋を貸してもらうこともあった。

 

イスラームとあまり馴染みのない人にも、食べられないものがあることはよく知られおり、中でも豚だけが食べられないと誤解が多いが、豚と酒が禁じられていて、それ以外の鶏、牛、羊等はと殺(家畜等の動物を殺すこと)の違いから食べられないものがある。だから、ハラールと呼ばれるイスラーム法に基づいてと殺された肉だけが許されている。ハラールの肉をはじめとする食品は普通のスーパーなどで手に入り、意外と普及している。また注意するのが、肉抽出エキスからのものと調味料である。例えばゼラチン、ラード、食用油脂、コンソメなどと、調理酒、みりんや、アルコールを添加して造られた醤油や酢である。

 

食事に関しても前回の病院同様、栄養士さんが詳しく確認し、さらに配膳時のためにプレートには“肉なし、イスラム食”と付けられていた。手術室の中で緊張しないように希望があれば好きな音楽をかけられると提案してくれて、私はクルアーンのCDをお願いした。生まれたばかりの小さな子へ、主人が右耳にアザーン(アラビア語の決められた句で礼拝の規定時間の到来を知らせるもの)左耳にイカーマ(同様に礼拝の開始を知らせるもの)をイスラームの慣行に従っておこなった、この瞬間の心地よい緊張感を覚えている。友人の出産時、他の病院で、ミルクを飲ませないことで赤ちゃんがかわいそうと言われ続けたことがあったが、ここではミルク調合担当が成分を調べてくれた。しかし成分がわからなかったのでミルクを飲ませなかったが、何も言わず見守ってくれた。その次の子の出産でもこの病院には大変お世話になり、その度に看護大学の先生と学生が研修のため、私の担当についてくれた。

 

幼稚園の見学で給食やおやつの件で弁当を希望したところ、容器に移し替える手間、集団生活の中で1人だけ違うことを快く受け入れてもらえない印象を受けた。友人も一度許可された入園を食事のことで後になって断られたことがあった。しかし他の友人は、特別な肉なしメニューを用意してもらえたケースもあり、対応の差がある。現在、私は子どもたちを公立の小中学校へ通わせているが、毎新学期に学校への食事に関する簡単な説明や、お願い、説明の手紙を出してきた。給食は弁当で、低学年のうちは先生からの言葉添えをお願いした。なぜお弁当なのか、イスラーム教という宗教で決まりがあるからだと本人がうまく友達へ言えない時に説明をお願いした。私は毎日の献立を給食に合わせて作っている。これは毎日の献立を考えずに済む楽さと、日本の常識の一つとしての食事を伝える良い機会とも考えているからである。そのため、他の生徒からの不満や苦情もなく、給食食器に入れ替えて食べる姿から、弁当であることも気にならないようだ。子供たちの楽しみであるおかわりは、果物などなら食べられるので、先生の配慮のお陰でジャンケンに参加しているようだ。

 

男子は腰から膝下までを隠すべきとされているので、水着と体操着の膝下丈ズボンへの許可願いを出している。年に2回あるイスラーム歴の祝日の朝の特別礼拝への参加のために遅刻や欠席となることへのお願い等もしている。その他、長男が5年生の時、3泊4日の自然教室では、長男以外の全員が参加し、その後のクラスでの雰囲気などを心配して、最後まで参加を勧められたが、代替え食が一切不可能だったことから不参加とした。本人はやはり寂しかったようだが、先生からのお土産や、本人の前ではあまりその話をしないようにとクラスで話し合ってくれたそうで問題はなかった。翌年の修学旅行では、食事も魚野菜食で、飯ごう炊飯ではハラール肉と肉成分を含まないカレールーにしてもらえた。同性でも他人の裸を見ることも見せることも良くないとされているため、入浴は部屋の風呂にしてもらった。中学から礼拝と断食のことも加え、礼拝はカウンセリングルームを貸してもらい、先生は校庭側の窓のカーテンを閉めても良いと言ってくれたそうだ。断食に関してはイスラームの小冊子を添えて、断食中の空腹感や乾きの経験、断食明けの一口の水から学ぶ感謝や思いやりなどの多さから、部活動(サッカー部)で一部のプログラムの免除をお願いした。給食時間は図書館の使用を許可してもらえたが、長男は皆と話している方が楽しいからと教室で過ごした。給食を食べるみんなと食べない息子は互いに自然に過ごしたそうだ。イスラームでは子は神託とされ、神から一時的に託された恵みである。そのように想い子どもへ接することは私にとってとても難しいことであるが、この教えによって冷静になれたことも、感謝したことも多くあった。

 

日本では宗教の話を苦手とする風習があり、慣れていないため、他人の目に過敏になることがあるのではないだろうか。子どもの頃から同級生にムスリムがいる子どもたちが成長した時には、きっとこれらも変化するのではないかと思う。このような私たち家族を受け入れ、お付き合いくださる恵まれた環境にとても感謝している。