テロ対策とムスリムの人権

林 純子(はやしじゅんこ)

ムスリム違法捜査弁護団 弁護士

 

はじめに

日本にいるムスリムの数は、十数万人と言われている。そのうち、日本人ムスリムは1万から2万人なので、在日ムスリムのほとんどが外国籍である。

テロ対策の必要性が声高に叫ばれる中、外国から日本にやって来たムスリムたち、あるいは、日本で生まれ育ったムスリムの子どもたちは、日本社会でどのように扱われているのだろうか。ある事件を通して考えてみたい。

 

  • 公安警察による捜査

2010年10月28日、警視庁公安部外事三課の捜査資料114点がインターネット上に流出した。この捜査資料から判明したことは、日本の公安当局が、ムスリムであるということだけを理由として在日ムスリムの全員を潜在的テロリストとして監視し、詳細な個人情報を収集してデータベース化していたことである(以下、ムスリムであることだけを理由として行われる捜査を「プロファイリング捜査」という)。

例えば、以下のようなことが行われている。各モスクの出入りを監視し、出入りする者を尾行する。別件逮捕・捜索差押をする。「イスラームについて教えてほしい」などと言って近づき、ムスリム間の人間関係などを探る。各ムスリムの信仰の深さを探ろうとする。ホームグローンテロリストを警戒するとして、子どもたちの学校内外での様子を探る。具体的な容疑があるわけでもないのに、このような捜査が行なわれているのである。しかも、報告書の内容として、誤っているものも多いことがわかっている。

現行法上、警察が捜査を行なえるのは、すでに過去または現在進行形の犯罪について、あるいは、これから犯罪を「犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある」場合に限られている。プロファイリング捜査は、そのいずれにも当てはまらない。

 

  • 国家賠償訴訟

2011年5月16日、流出した資料に個人情報がのっていたムスリムのうち17名が原告となり、東京都と国を被告として国家賠償訴訟を提起した。原告側は、情報の流出が違法であることは当然として、ムスリムであるということだけを理由とするプロファイリング捜査が違法であることを主張した。ここでは細かい議論は割愛するが、特に、信教の自由(憲法20条)の侵害、平等原則(憲法14条1項)違反、及び、プライバシー(憲法13条)の侵害を中心に主張した。

これに対し、第1審(東京地方裁判所)及び控訴審(東京高等裁判所)は、情報流出については違法性を認めたものの、プロファイリング捜査自体は合憲であると判断した。その理由は、平穏なムスリムと過激派のテロリストを区別するためには、すべてのムスリムを監視することが必要だからだという。原告側は上告したが、2016年5月31日、最高裁判所は、原告側の主張は憲法上の問題を含まないとして、上告を棄却した。本件訴訟は、提訴以来一貫して多くの法律専門家から、これほど多くの憲法問題を含む事件も珍しいと評されていたものであり、どのように考えると憲法問題を含まないという判断になるのか、いまだに理解に苦しむところである。

 

3 プロファイリング捜査の有効性と許容性

果たして、裁判所の言うとおり、プロファイリング捜査はテロ対策として有効なのであろうか。また、許容されるべきなのであろうか。

1) テロリストはムスリムばかりなのか

第1に、テロリストはムスリムばかりであるという仮説は正しいのかが問題となる。漫然とニュースを見ていると、正しいように感じてしまうかもしれない。しかし、少し注意を払うと、「テロ」という言葉が恣意的に使われていることに気づくだろう。

まず「テロ」という言葉の定義を考えてみたい。外務省のホームページによると、「テロ」とは、「特定の主義主張に基づいて、国家などにその受け入れを強要したり、社会に恐怖を与える目的で殺傷・破壊行為(ハイジャック、誘拐、爆発物の設置など)を行なったりすること」とされている。

では、実際には「テロ」という言葉はどのように使われているであろうか。犯人がムスリムである場合には、特定の主義主張に基づかない場合であっても、社会に恐怖を与える目的がなくても、「テロ」と呼ばれていないだろうか。犯人がムスリムでない場合には、特定の主義主張に基づいて国家などにその受け入れを強要したり社会に恐怖を与える目的であっても、「テロ」と呼ばれていないのではないだろうか。

2) イスラームの信仰がテロリストを生むのか

プロファイリング捜査は、現にテロリストが穏健なムスリムに紛れて隠れているという仮説の他に、平穏なムスリムが信仰を深めることによって過激化し、テロリストになるという仮説に基づいている。そのために、捜査機関はムスリムの信仰の深さを知ろうとしているのである。しかし、そもそも信仰の深まったムスリムはテロリストになるのか。そこから検証されるべきである。

米国シンクタンクのギャロップセンターが世界35カ国6万人に面接して行なった情報収集と分析によると、テロリズムを肯定するムスリムはほんの数パーセントに過ぎない。その上テロリズムを肯定する人びとの示す理由は政治的なものであったのに対し、テロリズムを否定する人びとの示す理由はイスラームの教義であったという。また、ニューヨーク大学付設の研究機関ブレナンセンターの論文は、「テロリズムがムスリムの信仰によるものであるという見解や、イスラームを信仰することが暴力化へのステップであるという見解は支持できない。むしろ示唆されるのはその反対の見解である。すなわち強い宗教意識は、過激化を促進するのではなく、イスラームの名において暴力化に反対するという考えを人びとに植え付けることができる」と指摘している。

このことからも、信仰の深いムスリムがテロリストになるという仮説が誤りであることが明らかである。

3) プロファイリング捜査は許容されるべきなのか

プロファイリング捜査が許容されるべきものなのか、国際的な評価を検討してみたい。

国連人権理事会は、各国に対し、人種、民族または宗教を含む国際法によって禁止された差別に基づく固定観念によるプロファイリングを行なわないことを求める決議を出している。また、日本政府に対しては、自由権規約委員会及び人種差別撤廃委員会が、このような個人情報の体系的な収集は重大な差別であり、警察官等がムスリムの民族的又は宗教的なプロファイリングを利用しないよう確保することなどを内容とする勧告を出している。

日本以外の先進各国においては、プロファイリング捜査が行われていたものの、近年では、テロ対策としての必要性や相当性を欠き、人権の観点から疑義があるものとして許されないと評価されている。 このような国際社会の流れに逆らい、日本の裁判所は公安警察のプロファイリング捜査を許容し、公安警察はそれを継続しているのである。

 

終わりに

公安テロ捜査資料流出事件といまだに続く公安警察によるムスリムの監視は、多くのムスリムとその家族の人生を踏みにじっている。あるムスリムは解雇され、あるムスリムは経営するレストランが廃業の危機に追い込まれた。長引く監視と尾行に精神を病んでしまった者もいる。公安に監視されているなんて、やはり犯罪者なのではないかと親戚から責められ、離婚に至った夫婦もいる。子どもたちは、監視にさらしたくないからとモスクに連れて行かれなくなり、宗教的・文化的アイデンティティを育む機会を奪われている。このような監視は、現在はムスリムに対してのみ行われているかもしれない。しかし、同じようなことがいずれ他の人たちに対しても行われるようになることは、想像に難くない。そうなる前に、多くの人がこの問題を自分の社会の問題であると認識してくれるようになることを期待したい。