髙橋 宗瑠(たかはしそうる)
ビジネス・人権資料センター日本代表、IMADR特別研究員
サプライチェーンと並んで多くの人権問題が指摘されてきたのは、自然資源の開発や大きなインフラのプロジェクトにおいてです。ダム建設や鉱山開発、天然ガスのパイプライン設置などで多くの人に恩恵がある反面、必然的に広大な土地に重大な変化がもたらされます。場合によっては環境破壊でその土地に居住していた人びとが移住を余儀なくされたり、コミュニティー全体の生計が成り立たなくなったりします。また、それこそ近代国家が出来る前からその地に住んでいる先住民の文化に欠かせない自然物が破壊されることもあります。特に先住民の文化や伝統的生活様式が最大限尊重されるべきだと国際人権法で認めれており、「国家の発展のためだから」と易々と進めることは良しとされません。強引にごり押ししようとすると反対運動が起き、労働者のストや現場の封鎖など、大問題に発展することも決して少なくありません。
資源開発やインフラなどのプロジェクトに企業が参加される際、このシリーズ1で述べた「罠」がやはり問題になることが多くあります。「現地国政府がゴーサインを出したから、大丈夫だ」と思い込んで事業に臨む企業は少なくないのですが、多くの国では民主主義は効果的に機能しておらず、中央政府が地方、特に先住民の意向を反映していないことが決して少なくありません。そういう場合、「中央政府が開発の許可を出したから、問題なく事業を進めることができる」と油断するのは、禁物です。また、「日本政府がゴーサインを出したから大丈夫だ」という思い込みもやはり危険です。日本企業が先導する開発プロジェクトの多くには日本政府の機関(通常は国際協力機構JICA)が事前調査してくれ、開発が環境や現地社会に及ぼす影響も調査に含まれています。しかし同じ人間のすることなので完璧はありえません。今国際的に求められている人権デューディリジェンス(人権侵害や人権侵害への加担を防止するための調査や状況評価など)の根本は、「決して他人任せにしない」というものです。企業は企業で、独自に調査をし、足を使う必要があります。
FPICとは:成功例及び失敗例
それでは、具体的に何をすればいいのか。答えは簡単で、現地住民の意見を聞くことです。人権にはFree, Prior, and Informed Consent(自由で事前の、全ての情報を与えられた上での同意)、略してFPICという概念があります。英語では「エフピック」と多少間抜けな言い方がされますが、要するに計画段階から現地住民の意見を聴取し、全ての情報をオープンに与え、その上で同意がもらえるように対話をする、ということです。今やこのFPICはあらゆる資源開発やインフラの必要要素とされており、国際的ルールとして受け入れられつつあると言っても過言ではありません。決して既成事実を一方的に「説明して、理解を得る」ものであってはならなく、当然のことですが、ガス抜きを狙ったものであってもなりません。誠意を持って対話に臨み、サプライチェーンにおいてNGOと同じように、地域住民を事業のパートナーとして接する姿勢が問われています。そうあって初めて、FPICが得られるというものです。
とてつもなく大変なことかのように思われがちですが、成功例は数多くあります。例えばシェル社がフィリピンでしいた、東南アジア一長い天然ガスのパイプラインの事業では、各地にコミュニティー折衝担当者が置かれ、計画段階から住民との対話に時間と労力が割かれました。現地の文化を尊重しつつも対象を地域の指導者だけに限定せず、各コミュニティーの弱者などを代表するグループを見つけて根気強く対話をしました。対話の結果、住民の意見を尊重してパイプラインの経路を変更した箇所さえありました。また、住民の要請に応えて、雇用創出の基金も作られました。そのように誠実に対話を続け、住民の意向も最大限聞き入れたため事業は遅滞なく進み、企業にとっても現地住民にとっても、win-winという状況を作ることが出来ました。
対話は事業開始後も数年間継続し、かかった費用は全てで700万ドルほどです。7億円というとびっくりされる方もいますが、巨大なプロジェクトなので、その数年間での企業の収益は7億ドルほど。すなわち対話にかかった費用は、収益の1パーセント程度です。その対話のために事業は滞りなく進み、シェルの国際的評判もよくなった面があります。そして何よりも強調されなければならないのは、対話を設ける支出は「余計なもの」でなく、今や事業を営む際の「当然の必要経費」であるということです。「そのようなものにこれだけのお金をかけるのは」という認識では、もはやグローバルな舞台に相応しくありません。
有名な失敗例を上げれば、アルゼンチンでの鉱山開発を試みたメレディアンゴルド社の事例があります。中央政府や地方政府の許可だけで計画を進めて住民との対話は全くなく、住民が朝起きると工事が始まっていた、というような状況でした。また、街の中に鉱山から排出される化学物質を計測するための施設を住民に何の知らせもなく建て、環境破壊が起きているのではないかと住民は更に一層不信感を強めました。当然のことながら猛烈な反対運動が起き、それを受けたメレディアンゴルドの対応も火に油を注ぐものでした。現地で住民と真摯に向き合うことをせず、首都で広告会社に依頼し、現地で一方的な宣伝キャンペーンをしました。住民を対等なパートナーとしてでなく、(選別された)情報伝達の客体としか見ない、「やってはいけないこと」の典型例でした。
反対運動がますます盛り上がり、車両が現場に通れなくなり、事実上工事がストップしました。その中で状況を憂慮した地方政府は態度を変え、鉱山開発の住民投票を行ないました。当然のことながら開発反対派が圧勝し、免許取り消しとなったメレディアンゴルド社は撤退せざるをえなくなりました。株価も落ち、損失は25億ドルほどと言われています。そして、これは数値化しにくいのですが、企業の評判を落とし相当程度打撃を受けたということも指摘されています。「アルゼンチンでひどいことをした企業」という烙印を押され、特に南米の他国で事業を起こしにくくなったと関係者の嘆きもありました。住民との対話を軽視し、事業をごり押ししようとした結果です。
本稿を読んでいただいている方にそのような人はいないと思いますが、あえて申し上げると、「そのようにすれば住民のワガママは際限なく広がり、収拾がつかなくなる」という考えは決して正しくありません。例えば上記のシェルの成功例でも、シェルが全てを住民の希望通りに叶えたわけではありません。パイプラインでどうしても移住せざるをえなくなった住民への補償の金額では折り合いがつかず、第三者に評価してもらって金額を割り出してもらったという経緯があります。その金額に不満を持つ住民もかなりいたのですが、中立的な第三者が公平に評価したというプロセスの正統性をシェルが主張して譲らず、丹念な説得に臨みました。結局住民はその金額を受け入れるようになった背景には、誰しもフェアと認めるプロセスが設けられたことと、シェルがそのプロセスの結果を住民にただ突きつけたのでなく、誠意をもって説明したということが挙げられると思います。
ソーシャルライセンス
FPICの根底にあるのは、ソーシャルライセンスという概念です。事業を営むためには通常、政府が発行する事業免許、すなわちオペレーティングライセンスが必要となります。しかし、今はオペレーティングライセンスだけでなく、現地社会に受け入れられること、「社会的免許」とも言えるソーシャルライセンスも必要とされます。カネを落とし、雇用を創出し、国家の開発に貢献するというだけでは足りず、事業全体が現地社会に受け入れられることが必須条件となりつつあるのです。住民と誠実に対話し、人権を尊重することが、このソーシャルライセンスの根本であります。
しかし、企業にとっての難題は、要件が明確に定められている事業免許と違い、具体的にどのレベルに到達すればソーシャルライセンスが得られるのか、またどのようにすればそれが維持できるのか、ということが必ずしもはっきりしていないことかと思います。「いったいどこまでやれば十分なのか」という問いは、(時には悲鳴となって)私に寄せられることが決して少なくありません。
このシリーズ1で触れた通り、人権には決して「完璧」ということはありません。だからと言って「それならやるだけ無駄だ」と絶望する必要はありません。重要なのは真剣に取り組み、その取り組みを現地住民や工場の労働者などに告知し、世にも公開することです。日本の教育の影響か、「完璧でないうちに人に知らせると余計に叩かれる」と思い込んでいる企業人は決して少なくないように感じますが、完璧になるまで待っていると、いつまでも「人権に無関心な日本企業」という目で見られます。
外国、主に途上国での事業に関して見てきましたが、人権問題が起きるのは決して途上国だけではありません。次回は東京オリンピックも含め、メガスポーツイベントにまつわる人権問題を考えることにします。