国に人権侵犯被害を申告―誰もが力いっぱいに生きられるために

崔 江以子(ちぇかんいじゃ)

ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク

 

川崎市では、2013年から12回に渡りヘイトデモが行われている。当時小学校2年生の子どもと一緒にバスに乗っていた私は偶然に遭遇し、心が凍る思いがした。同時に子どもに「あれはなに?」と聞かれるのを恐れ、彼の視線や関心が、バスの窓から見えるあのヘイトデモに向かないように、一緒に見てきた映画の感想を一方的に語り続けた。「朝鮮人は朝鮮に帰れ。朝鮮人を殺せ」。あの言葉が、ぎゅっと手をつないでいるあなたのオモニに向けられているのよ。あなたのオモニは「死ね、殺せ」と言われる対象者なのよ、と到底説明できるわけもなく、ただただ早く離れたい一心だった。ヘイトデモが予告された時には、駅前にはいかない。Jリーグサッカー観戦に行くときに、時間が重なってしまうような場合は、出発時間を大幅に早めて、ヘイトデモに遭遇しないように回避をしてきた。ヘイトデモに抗い路上で戦う人たちのことは知っていたけれど、私はとても参加はできなかった。怖かった。

2015年11月、川崎でのヘイトデモが告知された。周辺から桜本に向かってくるのではと情報が寄せられた。「差別に抗う地域活動を行ってきた私たちが、目をそらしたりやり過ごすことはできない」と地域の中で声が上がった。私たちの街桜本は、日本人も、在日コリアンも、フィリピン人も、日系人も、誰もが違いを尊重し合い、多様性を豊かさとして誇り、共に生きてきた街だ。それは在日コリアン一世の大変な生活史が出発となり、長い時間をかけ育まれてきた共生の想いが積み重なってできた大切な場所だ。そこにあのデモが来る。私たちの街の想い「差別をやめて、共に生きよう」と伝えるために桜本の街の入り口に立った。心配する私たち親に、「相手も大人なんだから話せばわかってくれる。差別をやめてくれる」と当時中学1年の子どもは強い想いを示し、共に路上に立った。

「桜本をなめるな」。地域住人たち60人以上が集まり桜本の入り口に立った。この想いが、まさかこの後国会まで続くとは思ってもいなかった。地域の抗議のみならず、多くのカウンター市民が駆けつけ桜本へのデモコースは回避された。桜本の街は確かに守られたが、大きな傷を残した。私の子どもは、「ゴキブリ朝鮮人。叩き出せ。出ていけ。死ね、殺せと、ヘイトデモを行なった人びとは警察に守られて叫んでいました。差別をやめてと伝えたら、大人が指をさして笑いました。警察はそんな大人を注意してくれませんでした」とその時の悲しみを語った。

桜本の街は守られたけれど、隣の街まで来た。住宅街であの酷いヘイトスピーチが行われた。許せない。私たちはヘイトスピーチの根絶を心に誓った。桜本のハルモニや子どもたちに約束をした。もうこんなこと二度とさせない。根絶すると約束をした。

 

11月の悪夢のような日から時間をおかずに、再びヘイトデモが告知された。私たちは人種や民族に基づく憎悪と差別の扇動を終わらせよう!という市民の声を結集して議会や自治体政策に反映させるために「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」を立ち上げ、2016年1月23日に市民集会をもった。会場いっぱいに300人もの人が駆けつけ、根絶に向けて共に力を合わせることが確認された。いまでは160を超える超党派の賛同団体が集まっている。まさにオール川崎の姿である。この集会で確認された川崎市および川崎市議会への要請書は、以下のように呼び掛けた。「ヘイト・スピーチが重大な人権侵害であることを認識し、ヘイト・スピーチを根絶するために、ヘイト・スピーチの実態調査に取り組むなど、早急に基本行動計画策定に着手し」、“ヘイト・スピーチを許さない、人権の街・川崎”宣言を行うこと」。

 

桜本のハルモニや子どもたちに約束をした根絶に向けて、オール川崎で会派を超えカウンター市民とも一丸となり、「共に生きよう」の想いで迎えた1月31日のヘイトデモ。

出発地の公園でハルモニ方が「どうして差別をするの」と横断幕を持ち毅然と立ち向かった。差別を許さない数百人の市民が「差別をやめて共に生きよう」と桜本の想いを共にコールした。11月の混乱があったのだから、まさか桜本方面には向かってこないだろうという我々の想いは裏切られた。多くの警察に守られながら「朝鮮人が一人残らず出ていくまでじわじわと真綿で首を絞めてやる」と発言した人がデモを先導し、川崎区の臨海部に向かって進み、桜本の入り口まで向かってきた。「お願いです。桜本を守ってください。僕は大人を信じています」と泣き叫ぶ中学生の子ども、冷たい道路に身を挺して桜本侵入を防ぐ人びと、排除する警官、抗議する市民を笑ってみているヘイトデモの参加者たち、あの場面に触れたときに私の心は殺された。「守らなければ」と、子どもや桜本の街を守らなければと思ったけれど、あの時私の心は殺された。今回もまた、街の入り口でかろうじて桜本への侵入は防いだ。けれども、根絶を約束した桜本のハルモニ、子どもたちの心を守ることはできなかった。いくら路上で「差別をやめて共に生きよう」と伝えても、残念ながらその想いは届かない。私たちは「助けてほしい」と被害を行政に訴えたが、川崎市からの返答は「根拠となる法律がないから具体的な対策を講ずることができない」とのことだった。公然と繰り返される「朝鮮人は死ね。殺せ。」というヘイトスピーチから守ってもらえない。法律を作ってもらい命の危険から守ってもらうしかない生活を誰が想像できただろうか。現行法の範囲でも自治体独自の条例制定などで差別をなくす側に川崎市は立ってくれなかった。

このままでは、身も心もいつか本当に殺される。そんな想いで私たちは2016年3月16日に法務局に対して人権侵犯被害申告を行なった。わらをもつかむ思いで申告を行なったら、インターネット上で誹謗中傷を受け、二重三重の被害を受けているが、この申告は同日立件された。今、国によって調査が開始されようとしている。正しく差別が調査検証され、救済及び予防のための適切な処置を講ぜられることを強く願っている。

 

3月22日、私は参議院の法務委員会で参考人陳述を行った。桜本の「共に生きよう」という想いが国会まで届いた。3月31日には、その法務委員の方々が桜本へ現地視察に来て被害者の想いを聞いた。桜本から国会へ、国会から桜本へ。ヘイトスピーチによって存在そのものを否定され、排除の言葉で傷つけられ味わった絶望は希望へと少しずつその記憶が塗り替えられ始めている。

4月5日、再び国会審議で桜本が尊い共生の街として語られ、 守るべき生活の場として語られ桜本の共に生きる生活者の想いが大切に守られた。

タイミングがたまたま桜本で、たまたまその役割をさせてもらっているけど、だからこそしっかり想っている。何度も何度も何度もしんどい想いで路上で闘ってきた人たちを。スーパーで子どもがオンマって呼んだ時に、子どもを守りたくて凍ったオンマの想いを。子どもを連れて出かけた先で、あのデモに遭遇し、子どもの手を握りしめて引き返したアボヂの想いを。ヘイトスピーチにふれて、絶対に明かせないと自分のルーツに蓋をした若者の想いを。子や孫を想って涙する在日コリアン一世の想いを。国会で語られた「根絶」の言葉をみんなで分かち合いたい。学校で韓国語でオモニと言えなくなった、あの時の私の子どもを支えてくれた桜本の先生や桜本の街と。オモニと呼び呼ばれることがしんどくなった人と。路上で闘ったすべての人と。 傷つき闘えなかった人と。国会で語られた私たち桜本の約束の言葉 「根絶」を共に分かち合いたい。

今まさに、国が差別をなくす側に立ち、差別をなくす、根絶するための議論がされている。与党案では、その対象が限定されていることや、違法と明記されず禁止規定を設けていないなど、その実効性に疑問がある。誰もが力いっぱい生きられるために。実効性のある法律になることを願っている。絶望以上の希望を共に。