北村 聡子(きたむらさとこ)
日本弁護士連合会人種差別撤廃条約に関するワーキンググループ(WG)副座長
去る2016年1月25日、日本弁護士連合会主催で、国連マイノリティ問題に関する特別報告者であるリタ・イザック・ンジャエ(Rita Izsák-Ndiaye)さんを招聘してのシンポジウムが開催された。
1 招聘に至る経緯
昨年夏、日弁連内部のWGは国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)にイザックさんの来日を内々に打診した。その後、OHCHRは日本政府に公式訪問を打診したが、日本政府からは「2016年の秋以降で調整する」という極めて消極的な回答が来た。そこで今回、イザックさんは日弁連の招聘による非公式訪問という形で訪日した。公式訪問ではないため、イザックさんの訪日は正式な報告書の形で国連に残らないし、滞在も実質的に僅か2日と大変短いものであった。にもかかわらず、イザックさんは非常に精力的にスケジュールをこなし、その過程で、時にマイノリティ当事者に寄り添い、時に日本社会にエールを送り、勇気を与えてくれた。
2 シンポジウム ヘイトスピーチ規制と表現の自由
今回の企画は準備に多難を極め、日弁連が正式にシンポジウムの広報を開始したのは2016年1月8日と、広報期間がわずか2週間強という異例の短さであった。しかし、周囲の皆様のご協力もあり、わずか10日ほどで定員に達し、当日も約100名近くが参加し、まさに「満員御礼」状態であった。メディアもNHK、TBS、朝日新聞、東京新聞、ジャパンタイムズ等がイザックさんの来日を報じ、この問題に関する関心の高さがうかがわれた。
シンポジウムでは、まず当職からヘイトスピーチに関する日本の現状について15分ほど基調報告をした。その後、イザックさんに基調講演をしていただいた後、太田健義さん(日弁連人権擁護委員会第5部会部会長)とイザックさんとのトーク・セッションが行われた。モデレーターは、加藤高志さん(日弁連人種的憎悪を煽る言動などについての検討PT座長)が務めた。
(1)イザックさんの基調講演
イザックさんは、まず冒頭、ヘイトスピーチによる社会の分断はマイノリティの排除につながるとして、早期の対策の重要性を強調した。
そして、自由な表現の流通は、憎悪と不寛容を抑止し相互理解を促進するものであるとして、「表現の自由」と「ヘイトスピーチ規制」は矛盾するものではなく、むしろ相互に補完し合う関係にあるのだと訴え、自由権規約19条・20条、人種差別撤廃条約4条により、そもそも表現の自由は絶対的権利とされていないことや、ヘイトスピーチか否かの判断要素に関するラバト行動計画の6要素(①文脈、②発言者、③発言の意図、④表現の内容と形式、⑤表現の範囲、⑥結果の蓋然性)を紹介した。
また、ヘイトスピーチの3つの分類(禁止すべきもの、禁止し得るもの、禁止できないもの)の説明したうえで、日本におけるカウンターデモが果たした役割に触れつつ、法的アプローチと社会的アプローチいずれも重要であると強調した。また、被害の早期救済のためにも政府から独立した人権機関設立が必要であるとも述べた。
(2)トーク・セッション
トーク・セッションでイザックさんは「ナイジェリアやイラクでマイノリティの家を焼くのは、遠くからやってきた人ではなく、近隣の人である。ヘイトスピーチのまん延はマジョリティを鈍感にさせ、ヘイトクライム、ひいてはジェノサイドに繋がる危険性を有する」と述べ、このような悲劇の第一歩となり得るヘイトスピーチに対する国の姿勢を明確にするためにも、規制立法が必要であると強調した。
また、どのような規制をするかは日本が決めることであるとしつつ、刑事罰を導入している国は多いとして、日本政府が人種差別撤廃条約第4条(a)(b)を留保していることに懸念を表明した。
一方、太田さんは自身が数多くの公安事件を手掛けてきた経験から、日本政府は既存の刑法も反政府活動を制限するために濫用しており、新たな刑事罰の導入は危険であると訴えた。これに対してイザックさんは「政府はどんな法律でも濫用しようと思えば濫用する」と述べ、また、政府から独立した機関に判断権限を付与する(例:オーストラリアの反人種差別法)などして政府による濫用を抑止することは可能ではないかと述べ、国内人権機関の設置の重要性について太田さんとイザックさんの意見は一致した。
また、太田さんは、現在国会で審議されている人種差別撤廃施策基本法について「刑事規制消極派の自分からみても、制裁規定のない基本法レベルで表現の自由が萎縮することなどない。自民党の言っていることは間違いだ」と述べた。
イザックさんは、今回の訪日で印象的だったこととして、日本で生まれ育った在日三世のコリアンが、ある日突然、自身が韓国のパスポートを持つ外国人であり、参政権、公務就任権がないことを知る、といった事態があることに驚いたと述べ、本来「マイノリティ」として保護されるべき彼(女)らが法的には「外国人」とされ、他国のマイノリティ以上に不利益を受けていることの特異性を指摘した。イザックさんの指摘により、在日コリアンをめぐる歴史的特殊性に鑑みれば、彼(女)らに「外国人」か「日本人」かの選択を迫る前に、民族的アイデンティティを保持しつつ日本人と同等の権利を享受しうる新たな法的地位や制度の確立を検討する必要性に、改めて気づかされた次第である。
最後にイザックさんは、ご自身の経験として、過去に黒人差別に関する発言をした際、自身のフェイスブックに2日間で500通の憎悪に満ちたコメントが書き込まれたというエピソードを紹介した。その際、自分の意見に賛同する人は、公開されない形で直接メッセージを送ってきたので、「あなたの意見をぜひ、公開されるコメントの形で寄せてほしい。そうしなければ、私のページを見た人々は、社会全体がこのような考えを持っているのだと誤解して、黒人差別に対して鈍感になってしまう」と返信したと述べ、一人一人がサイレント・マジョリティーから脱却し、少しの勇気を出して行動することが社会全体を変えていくと訴えた。
3 最後に
残念なことに、イザックさんが日本を経った後、彼女のフェイスブックやツイッターに、イザックさんの訪日に批判的で、かつ、在日コリアンに対する差別的なメッセージが多数書き込まれた。これに対して彼女は、「生まれながらに、肌の色や生い立ち、信仰を理由に他者を憎む人はいない。憎しみは学ぶものだ。そして、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛を教わることもできるはずだ。愛は、その反対のものよりも自然に人の心に届くものだから」というネルソン・マンデラの言葉を紹介しながら、自身がなぜ日本に来たのか、シンポジウムで何を話したのか、どのような人びとに会ったか等について丁寧に説明するコメントを掲載した。まさに彼女の誠実な人柄が現れる対応であった。しかしその後も寄せられるコメントは全て憎しみと偏見に満ちたものばかりで、彼女のフェイスブックは完全に汚されてしまっていた。以前の私であれば、ただパソコンの前で眉をひそめていただけだったかもしれない。しかし、イザックさんがシンポジウムの最後に述べた「サイレント・マジョリティーにならないで」というメッセージを思い出し、差別的書き込みに反対するコメントを書き込んでみたところ、その後何人かの方が同調する意見を書き込んでくださった。
差別はまるでウイルスのように社会全体に感染する。我々がただ仲間内で文句を言っているだけでは、この差別の感染力を弱めることはできない。小さくても良いから一人一人が行動を起こすことが大事なのだ。そんな初心に立ち返らせてくれたイザックさんに心から感謝したい。
また、イザックさんは今後も日本政府に対して公式訪問を打診し続けていくと言う。早期に公式訪問が実現することを期待する。