日本企業がおちいりがちな4つの罠

髙橋宗瑠(たかはし そうる)

ビジネス・人権資料センター日本代表

 

本誌181号の「活動の現場から」で、ビジネスと人権「ワンストップセンター」として活動紹介したところ、読者の方からのリクエストで、「ビジネスと人権   世界の今」を4回にわたり寄稿することになりました。

 

ビジネスと人権における国際基準といえば、「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために」があげられます。「人権と多国籍企業及びその他の企業の問題に関する事務総長特別代表」であるジョン・ラギーがまとめたことから「ラギー原則」とよばれています。2011年の国連人権理事会で採択されたラギー原則は企業行動の国際的基準となっており、その遵守の重要性が市民社会や労働組合に叫ばれているだけではなく、機関投資家、そして各国政府の行動計画などでも求められています。人権尊重を優先的課題として考えないビジネスの仕方は、もはや国際的に通用しなくなっています。しかし、ラギー原則は必ずしも明確でないところが結構あります。その原則を「生きたもの」にするには、具体的にはどのようにすればいいのか、この連載を通じて、様々な事例を紹介しながらそのことを考えていきたいと思います。

 

当団体は2002年に設立された国際人権NGOで、ビジネスと人権の分野で筆頭格の一つであると自負しています。ビジネスと人権に関するあらゆる情報をサイトに蓄積し、中立的な立場を堅持するために様々なNGOやジャーナリストなどの指摘を掲載する際に、指摘を受けている企業にも見解を求め、いただいた見解を指摘と一緒に掲載します。今まで2600以上の具体的案件に関して企業に見解を求め、その73%以上から見解をいただいています。回答率は近年上がっており、2014年に限ってみると80%にも上りました。その中にあって日本企業の今までの回答率は68%で、残念ながらグローバルな平均から見ると遅れがあります。また、受けた指摘に関する企業の見解の内容のクオリティーが場合によっては高くないこともあり、「個別案件には答えられないが当社は人権を尊重」とだけ書いて「回答」とする企業もあります。指摘したNGOはおろか、当団体のサイトで企業の姿勢を見ている世界中の人にしてみると、満足できるものとは言い難いと思います。

 

私見ですが、日本企業には、人権課題に関するNGOなどの指摘を、顧客からもらうクレームと同じように「簡単に処理するべきもの」として考えている節があるように思います。組織の外に外部者がおり、その外部者の苦情に対する対応を組織内部で検討し、できるだけ簡素にその結論を相手に伝える。この姿勢にあるのは一方的な情報伝達であり、相手をあくまでその伝達の客体としか考えないものです。しかし人権課題の指摘で求められているのは、NGOや現地の住民などと話し合い、真摯に協議し、解決を一緒に模索するものです。閉鎖的と指摘されることの多い日本の組織ですが、そういった文化的な要因も弊害になっているのかと思うことがあります。しかし、相手を単なる客体ではなくパートナーとして扱い、対話を通じてお互いにとって最も良い道を探ることが今は国際的に重要とされています。残念ながら日本の多くの企業はまだこれを苦手としているように見受けられます。

 

日本企業が特に海外で事業を営むに際して、おちいりがちな4つの「罠」があります。油断して事業を進め、蓋を開けてみると予想していなかった人権問題が発生し、非難に遭い、企業としての評判を落とす、というパターンを幾度となくみてきました。その「罠」は次の通りです。

 

1「現地政府が許可を出したから大丈夫だ。」 現地国政府に許可などの免許を貰った上で事業を始めるわけですが、多くの国では中央政府はそもそも民意を反映していません。腐敗していたり、富裕層や権力を握っている特定のグループの意向しか聞かない場合が決して少なくありません。現地国政府はもちろん重要なステークホルダー(利害関係者)なのですが、その許可では十分ではなく、企業が独自に、時間をかけて、現地の住民や労働者などと協議をする必要があります。オペレーティングライセンス(運営免許)だけでなく、現地社会にも受け入れられるいわゆるソーシャルライセンス(社会的免許)を獲得する努力を怠ってはなりません。

 

2「現地の法律に従っているから大丈夫だ。」 上記と関連していますが、多くの国では法律がそもそも国際的人権基準を満たさない場合があります。そんなとき人権団体に問題を指摘されて、「現地の法律が」と反論しても、聞き入れてもらえないというのが実情です。労働条件や職場での安全はもとより、労働組合結成の権利や少数者などの差別禁止に関して、常に国際的基準を意識して事業をすることが求められます。

 

 3「現地のサプライヤーに任せているから大丈夫だ。」 今時このように甘く構えている企業はないと思いたいのですが、残念ながら問題は絶えません。サプライヤーの仲介業者がいたり、サプライヤーが多数のブランドを提携している場合も決して少なくないという現状がありますが、人権問題が発生した場合、国際ブランドに必ず跳ね返ります。

 

4「日本政府がゴーサインを出したから大丈夫だ。」   特に政府開発援助(ODA)などが絡む案件がそうですが、例えば特定の地域でプロジェクトを開始する際、もしくは相手国が開発特区のような場所を設ける際、日本政府機関(国際協力機構(JICA)など)が現地に入って、住民の意識を調査したり、人権問題の危険性などを見ることがあります。それは無論価値のあることなのですが、同じ人間のすることなので完璧でない場合もあります。また、当然のことながら日本政府は企業ではないので視点が異なり、企業は企業で、念には念を入れる必要があります。

 

必ずしもフェアでないかもしれませんが、人権問題が発覚した場合、必ず企業が非難され、ブランドに傷がつきます。そうならないためには常に国際的人権基準を意識し、本連載でこれから紹介するような国際的ベストプラクティスに少しでも近づくように努力することが求められています。そして、その取り組みを公開し、指摘から逃げるようにするのではなく、むしろ指摘を歓迎する姿勢が求められています。

 

日本企業は概して情報公開に消極的であるように見受けられます。例えば欧米企業で人権に力を入れている企業は、「我が社の取り組み」というような報告書を発行し、各地でどのようなことをしているかを詳細に書いています。注目すべきなのはその取り組みはどれも決して完璧でなく、企業もそのことを認めているということです。そもそも人権には「100%」というのはあり得なく、重要なのはその理想に向けて努力を続けることであり、問題をできるだけ防止し、問題が起きた時は迅速に対応するシステムを備えることです。しかし、「完璧でないうちは公開できない」という考えが強いのか、日本企業は仮によい取り組みを行なっても、なかなか公開に踏み込まない。これではせっかく努力をしても、国際的に認められません。「日本人はいいことをするのに宣伝が苦手」と(日本人の間で)よく言われますが、海外に向かって「日本人であるがゆえに信用して」という甘えは当然通用しません。

 

日本企業と一緒に仕事をしていると必ず突き当たるものに「横並び意識」というのがあります。もちろん業種によって違いますが、日本の企業、というより日本人は多かれ少なかれ、それを刷り込まれていると言っても過言ではないかと思います。幼稚園の頃に人と違ったことをするのは悪いことと皆が教えられ、出る杭は打たれるものと日本社会でされております。幸か不幸かそういう文化が我々の心理の根底にあり、周りがどのようにやっているかを気にし、自分だけ出し抜きしないように気を遣う面があります。

 

その「横並び意識」が例えば世界的水準のものであれば、むしろ望ましいことではないかと思います。人権に対する取り組みで世界的に先進的な企業はどうやっているのか。例えばユニリーバやアップルはどのようにしてサプライチェーンを管理しているのか、開発プロジェクトでシェルやリオティントはどのようにして地元住民と協議しているのか。思考がこのように動けばより高い水準に向かおうという原動力になり、この分野での日本企業の努力もより高いレベルのものになります。しかし、残念ながらほとんどの場合は、「横並び意識」で比較する範囲は、東京の大手町か大阪の本町で終わっているというのが現状ではないでしょうか。同業他社の日本企業はどのようにこの問題に向き合っているのかだけを見て、こと足れりとする。しかし、事業はグローバルでも意識がドメスチック(口内向き)では、世界的な潮流に取り残されることが必至です。そうならなないためにも世界の好適事例を見て、国際的ベストプラクティスに向けての努力をすることが重要かと思います。本連載がその努力に役に立てば幸いです。