樋口直人(ひぐち なおと)
徳島大学准教授
国家安全保障と排外主義
安保法制成立にむけた議論では、国家安全保障がひたすら強調された。国家安全保障が焦点化して真っ先に抑圧されるのは外国人であり、そこから安保法制の本質を考える必要がある。まず、安倍政権は安保法案を成立させる一方で、シリア難民に対して門戸を閉ざしてきた。「積極的平和主義」の本質がそうしたところに現れている。関連して日本は2つの経験を思い起こすべきだろう。
第1は、9.11同時多発テロに際して、まず拘束されたのは事件と無関係の在日アフガニスタン難民だったことだ。また、第一次安倍政権下の2007年からは、外国人入国者(特別永住者を除く)に対して指紋採取などの生体認証にもとづく管理体制が導入された。さらに、テロ対策という安全保障の名の下に、イスラーム教徒の移民が監視体制下におかれるようになる。これについては、2010年に公安警察のファイルがインターネット上に流出した事件で、モスク等の出入りを細かく監視していた実態が明らかになっている。
第2は、「北朝鮮」の核開発や拉致を理由として、朝鮮総聯や朝鮮学校などの組織に対して超法規的といってもよい弾圧がなされてきたことだ。高校無償化措置から朝鮮学校が排除されたのは鳩山政権時代だったが、それを安全保障と明示的に関連付けたのは、第二次安倍政権の下村文科相だった。こうした経緯の上に現政権で整備された秘密保護法や安保法制が、在日外国人に抑圧的に作用するのは目に見えている。
だが、国家安全保障と排外主義の関連を考えるにあたって、こうした直接的な関係だけを見ていては、より本質的なことを見逃してしまう。安倍政権のもう1つの特徴である歴史修正主義を考えあわせてはじめて、排外主義との関連を理解できるからである。
国家安全保障と歴史修正主義
歴史修正主義との関連でいえば、安保法案が参院で採決された前月に(8月14日)「安倍談話」が発表された。これに関連して、2つだけ指摘しておきたい。
第1は、談話における歴史の修正である。談話では「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とした。これは、日本の対外侵略の歴史を修正し自己肯定的にとらえようとするものだ。また、「満州事変、そして国際連盟からの脱退…進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」として一見自らの誤りを認めているように見えるが、日本の責任を満州事変以後に限って言及することで、それ以前の歴史を正当化している。
第2に、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。このくだりは将来世代についての言及というよりは、戦後生まれである安倍首相自身のことも暗に含んでいるとみるべきだろう。つまり、日清戦争も日韓併合もアジア解放に貢献したし、過去のことに取り組む「宿命」を負う気はありません、と首相は言っていることになる。そのような談話を近隣諸国が歓迎するはずもない。
だが、安倍談話だけ取り出してみても、対東アジア政策に関する問題は解けない。安倍談話と安保法制を一連のものとしてみたうえで、セットで出されることの意味合いを考える必要がある。すなわち、現政権の外交方針の2本柱となっている安保法制と歴史修正主義は、今後の対東アジア関係について重要なメッセージを発している。歴史問題を持ち出しても私は取り合いませんし、関係を改善する気はありません。それがいやなら軍事的に解決してもいいですよ、と。
歴史修正主義と排外主義
筆者は在日特権を許さない市民の会などの排外主義運動の調査を通じて、日本に特徴的な外国人排斥の論理があることを論じた(『日本型排外主義』名古屋大学出版会、2014年)。それは歴史修正主義の一変種として排外主義が台頭したことであり、それゆえ「日本型排外主義」と呼んだのである。その象徴たる「在日特権」というのはまったくの虚構だが、これを単なる人種差別的なデマとして片づけるべきではない。
通名制度を例に考えてみよう。歴史問題との関わりでいえば、通名制度への言いがかりは在特会の論理を典型的に表している。通名制度といえば、植民地時代の創氏改名を起源とし、本名を名乗れない民族差別の象徴とみなされてきた。ところが在特会は、通名制度を「特権」としている。なぜそんな理屈が成り立つのか。通名を使わせられるに至った歴史を捨象して考えれば、通名は「複数の名前を便利に使う」ようにみえるからである。
在特会は、「入管特例法の廃止」を組織目標としている。これは、旧植民地出身者とその子孫(ほとんどが在日コリアン)に対して、「特別永住」という在留資格を設ける法律である。適用対象となるのは、戦前には大日本帝国民だったが戦後になって外国人にされた人であり、歴史的経緯ゆえの在留資格となる。
それを「特権」と呼ぶ日本型排外主義は、植民地支配の歴史を否定することで成り立っている。その下支えとなるのは、明治維新以降に朝鮮や清を植民地化したことを正当化する論理――歴史修正主義に他ならない。
国家安全保障・排外主義・歴史修正主義
こうしてみると、国家安全保障と排外主義と歴史修正主義が相互につながり影響しあっている全体像が浮かび上がってくる。
安倍政権は近隣諸国に対して取りうる政策のうち、歴史問題に関して取り組むつもりがないという姿勢を示した。歴史問題は韓国との最大の懸案で、中国でも最重要な懸案の1つとなっていることから、歴史修正主義への固執は両国との関係を悪化させる結果しかもたらさない。
それゆえ歴代の政権では一定の配慮がなされており、第一次安倍政権でも靖国神社参拝に関してはあいまい戦術をとらざるをえなかった。ところが、安保法制は歴史問題が手詰まりになった状況に対して、軍事力の行使というオプションを与えることになる。
これらは排外主義を二重の意味で強化することにつながる。歴史修正主義は、在日コリアンが居住し差別を受けてきた歴史的経緯を消去しようとする。さらに、近隣諸国との関係を悪化させることで、在日コリアンや在日中国人の立場を危うくする。安保法制は、歴史問題に関して強気に出ることを担保する以上、歴史修正主義にもとづく排外主義を助長することにもなるだろう。
他方で安全保障の強化は、より厳格な形で国民と外国人を区別し、安全保障の名の下で外国人を抑圧する体制をもたらすことになる。そうした抑圧は安全保障に何ら資するものではなく、無関係な人の弾圧という汚点しか残さないことを、朝鮮籍の人びとやイスラーム教徒の経験は示す。
排外主義の抑制からみえる現実的な解
「安保法制を単に違憲というだけでは、中国の台頭という事態に対処できない、現実を見据えよ」と国際政治学者はいう。だが、そうした現実主義者は、歴史修正主義への固執が東アジアで最大の不安定要因の1つになっている現実を解決せよとはいわない。
排外主義の直接の被害者たる在日外国人の側からすれば、解決策は明確である。国家安全保障の強化は外国人の排斥にしかつながらないのだから、軍事的安全保障以外の外交政策を進めるべきである。歴史修正主義が排外主義の温床になっている以上、歴史問題への取り組みがなければ排外主義も抑制できない。そして歴史和解は安保法制に代わる現実的な安全保障政策ともなる。
安保法制への抵抗の大きさは、日本の市民社会に深く根差した平和主義が持つ潜在的な動員力を示した。だが、それだけでは安全保障の論理に対抗するには不十分である。本稿では、排外主義から出発することで、国家安全保障と歴史修正主義がセットとなっていることを指摘した。さらに、その両方に対抗することが現実として東アジアの安定化につながることも、排外主義を通して理解できた。
排外主義の抑制は、在日外国人の人権のために必要というのは誤りではない。しかし、反排外主義から出発することにより、軍事力に頼らない現実的な平和主義の構想も可能になるのではないだろうか。