差別の可視化と人種差別撤廃基本法の必要性

金明秀(きむ みょんす)

関西学院大学教授

 

1.被害が「ない」ことにされる悪循環

国内での人種差別について、日本政府が2001年から現在にいたるまで一貫して採用している立場がある。「正当な言論を不当に萎縮させる危険を冒してまで、処罰立法を検討しなければならないほど、現在の日本で人種差別の扇動が行われているとはいえない」というものである。この文言は国連の人種差別撤廃委員会による日本審査などで繰り返し語られてきたが、いったい何を根拠にそう主張しているのかと、しばしば議論の対象になってきた。というのも、人種差別の被害実態について、政府による調査は歴史上一度も行われてはいないからだ。最近の国会審議を通じて、ようやく法務省による判断が主要な根拠らしいということが明らかになったが、その判断は大いに疑わしい。

報道によれば、「『韓国人は死ね』などと路上で叫ぶデモを見聞きするのがつらく、怖い」と訴えた在日コリアン男性に対し、応対した法務局の「みんなの人権110番」の職員は、「ヘイト・スピーチに当たるかは判断できない」「表現の自由もあり、今の法律では対応できない」などと話したという(毎日新聞2015年04月13日付)。他にも、アパートへの入居差別にあった欧州出身の20代の留学生が京都地方法務局に救済措置を求めたところ、法務局は「人権侵犯の事実があったとまでは判断できない」と退けたという事例もある(共同通信2015年3月30日付)。どうやら、法務省の手続きとしては、現行法内で明らかに犯罪や不法行為に相当するケースだけを「人権侵犯」と判定する仕組みのようである[1]

しかしながら、現行法には具体的な個人をターゲットにした差別事象でなければ犯罪や不法行為には問えないという不具合がある。その結果、不特定多数の外国人を対象とした差別については、現実には具体的な個人が深刻な被害を受けていたとしても、法的には「人権侵犯」の事実そのものが“なかった”ことにされてしまう。そして差別の被害実態は巨大な「暗数」となり、統計には上がってこない。この「暗数」の実態に迫るためには、現行法を前提とせずに被害実態を調査しなければならない。

とはいえ、政府主導で調査を行なうためには何らかの根拠法が必要となるが、「立法を検討しなければならないほど、現在の日本で人種差別の扇動が行われているとはいえない」という前提がある以上、その根拠法の成立そのものが困難だということになる。結果として調査は一度も行なわれず、被害実態も確認されてこなかった。ごまかしだらけの悪循環といわざるをえないだろう。

 

2.差別のわかりにくさ、見えにくさ

2.1 差別のわかりにくさ

そうした悪循環のせいだけではなく、差別という事象には、本質的に、わかりにくいという特徴がある。というのも、差別を生み出す原理は3種類の公正(平等、衡平、承認)の不全であるが、それぞれの原理が行き過ぎても不徹底でも差別になってしまう。つまり、差別には合計6通りの代表的な表出様式があるということになる。この複雑さが、差別をわかりにくくしている原因の一つである。

一例として、オコエ瑠偉選手の活躍を伝える『スポーツ報知』記事の人種差別問題を紹介する。同記事は、「野性味全開」「本能むき出し」などと、ナイジェリア出身の父を持つオコエ選手を、アフリカの動物にたとえたような表現で伝えた。これは、個性を人種の問題に本質化してしまう典型的なレイシズムのあらわれであり、現代の欧米でこの種の記事が書かれることはきわめてまれである。にもかかわらず、日本では、形の上では選手の活躍を称えているため、この記事が差別だと気づかない人が多かった[2]。このような事態が生じたのは、日本では平等原理の不徹底(「見下し」など)が差別の本質だと誤解されていることが多く、それ以外の差別がありうるという理解が一般的ではないためだ。

2.2 差別の見えにくさ

また、被差別当事者が差別を受けてもそれをすぐには認識しにくく、また認識しても訴えることが難しいという問題もある。

被差別当事者が被害をすぐには認識しにくいというのは、ある種のいじめの問題と似ている。いじめの被害者が自殺した事件の中には、「仲間」だと思っていた集団が加害者へと変質したことが信じられず、また自分が「仲間」ではなく攻撃対象になったという事実を認められずに、おそらくは本心から「いじめなんか受けていない」と被害者が語っていたと思われるケースが複数ある。差別も同様で、存在に関わるほどの不安や苦痛を避けようとして、「なんでもないこと」だと思いたがることがある。

また、差別の被害を告発することも容易でない。差別を告発するには被差別の現実を生々しく記憶し続けなければならない。それは、心の中で差別の被害を追体験し続けるということだ。加えて、差別だという告発には常に反発が伴う。その反発は二次加害として被害者の心に突き刺さる。そうすると、差別を追体験し続けたり、二次被害を受けたりする苦痛を避けるためには、泣き寝入りしたほうがまだ楽だということになる。そして、外部からは差別の存在が結果として見えなくなってしまうのである。

 

3.被差別実態の調査

3.1 地方自治体による差別被害調査の現状

8月6日の法務委員会で、「被差別の実態把握はどうなっているのか」という質問に対して、上川法相は「地方自治体におきましてこの間様々な調査もしているということで……幅広く情報を収集」していると答弁した。なるほど、政府は被差別実態について調査を実施したことがなくとも、たしかに、地方では調査がなされている。しかし、その多くが重大な欠陥を抱えており、被害実態に迫ることができているとはいいがたい。欠陥とは、第一に、社会調査の専門家や差別問題の専門家に委託契約をしていない事例が圧倒的に多いため、被害実態を精緻に測定するような設計になっていないということ。第二に、ほとんどの委託契約において自治体に報告書を納品した時点でデータの使用が禁じられているため、詳細な分析がなされないままデータが死蔵されてしまっているということだ。

実態に迫るには、差別問題の専門家と、被差別の当事者が参加しながら、周到に調査設計を練った上で、精緻に分析が行われなければならないが、地方自治体がこれまでに実施してきた調査は、その要請に十分に応えられるようなものではない。

3.2 民間の差別被害調査による知見

その点、民間による調査には参考になるものが少なくない[3]。例えば、在日韓国青年会が全国の在日コリアン青年18~35歳からランダムサンプリングで実施した質問紙調査からは次のようなことが明らかになっている。すなわち、①非常に多くの在日コリアンがネットのヘイト・コンテンツによって否定的な感情を体験していながら、②それを問題として強く自覚するには年長者からの教示や民族団体との接触経験といった資源が必要であり、③そうした資源を持たない人ほど被害を受けていると自覚すらできず、④自覚したところでそれを問題化する手段を持たないため「なにを言っても無駄だ」と泣き寝入りしており、⑤「なんでもないこと」だと自分に言い聞かせながら静かに自尊心に傷を受け続けている、ということだ。

実に複雑な機序(メカニズム)だといえよう。しかし、逆に言えば、たとえどれだけ複雑な機序によって見えにくくなっている被差別の実態であっても、周到に調査を実施すれば、差別の被害を可視化することはできるということでもある。今後、さらに可視化の度合いを高めていくために、より信頼性の高い調査を実施していくことが期待される。

[1] また、そのことを被差別当事者も知っているため、わざわざ相談して二次被害にあうことを恐れて法務省への相談を利用しないという指摘もある。

[2] 後日、読者からの指摘を受けて、同社は記事をデータベースから削除するとともに謝罪文を出した。

[3] 詳細は金明秀「ヘイト・スピーチ被害実態調査の結果から見えるもの」『日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書 2015年』(外国人人権法連絡会)を参照のこと。

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