武者小路公秀(むしゃこうじきんひで)
反差別国際運動日本委員会理事長
世界記憶遺産は、特定の文化や人を大事にするという側面と、普遍的で世界的意味のあるものという側面があるが、記憶遺産としての「水平社創立宣言」は、日本の部落解放のために集まったマイノリティの人たちが生み出した。非常に日本的であり、歴史的な意味は大きい。
フランス革命の時の人権宣言が世界記憶遺産に選ばれたのは、それが普遍的で世界的な意味があるからだ。この水平社宣言も、その内容が全人類にとっての普遍的な意味をもった宣言であったことに意味がある。フランスの人権宣言が世界記憶遺産になった以上、水平社宣言も登録されることでともに意味のあることだ。ユネスコは1940年代から50年代にかけて、東西の文化について大きなプロジェクトをつくり、東西の考え方が相交するかを研究していた。人権宣言と水平社宣言はまさに、ヨーロッパの宣言と東洋の宣言という形で相交しており、普遍的な宣言として当然、世界記憶遺産になるにふさわしいものだ。
水平社宣言が人権宣言と違うところは、日本でマイノリティの人びとを励まし続けたことにとどまらない。親鸞の教えが背景にある。水平社宣言は、3つの部分からなっている。過去(往相)・現在(懺悔)・未来(還相) という浄土真宗の「三心釈」に西洋思想を盛り込むことに成功した。今日の多文化共生の時代を予告する人権文書の典型だ。
「宣言」はまず、自らを部落解放運動に立ち上がった「産業の殉教者」と規定している。生態系に優しい循環型経済として注目される江戸時代日本の産業に不可欠な「清め」の仕事をさせられながら、「穢れ」たもの(自然)に触れなければならない。「穢れ」に触れるのはそれを「清める」ためなのだから、それだけ尊敬されていいはずなのに、逆に「穢れ」に触れたことで差別されるという矛盾。「宣言」が「産業的殉教者」の子孫だとはっきり書いていることは重要なことだ。これほど差別を克服した自然との共生の必要性を強く主張した宣言は他にない。
第2に「宣言」は、現代を「人間が神となる時代」という西欧啓蒙主義を宗教否定という世俗主義の限界を超えた立場で主張しており、「懺悔」する社会に「殉教者としての荊冠」を投げ返す時代だと規定している。過去を「往相」、現在を「懺悔」に対応させて、部落解放運動が代表する未来を指向する「世直し」を「還相」として、浄土真宗の発想をもとに描き出している。「人間の光と熱と尊厳」を「還相」とすることで、見事に東西文明の融合する未来規定をおこなっている。
第3に、個人の権利主張を西洋啓蒙思想として確立してきた国際人権法が現在ようやく到達した世界と、その多様な構成要因である生命共同体、それぞれに固有な「幸福」を追求する生活権が注目されているとき、「人の世の熱」と「人間の光」を「世直し」の目標に掲げている点で、文明史的に他に類を見ない宣言になっている。一人ひとり発光体にならないと影がなくならないという形で個人を大切にするという、西欧とは異なる個人主義を主張している。またフランス人権宣言を補完する文書として生命共同体の一体性と多元性のもとでの一切の差別撤廃を主張している。この点でも「宣言」はきわめて現代的な意味がある。
また、水平社宣言の精神の背後には、西欧の「世直し」芸術としてでてきたロシア革命・メキシコ革命を支えた「表現主義」があるようだ。荊冠旗には平等互恵の精神(アナキズム)を意味する黒地の中心に赤い「荊冠」が描かれている。荊冠旗は解放運動の「旗印」であり、「殉教者が、その荊冠を祝福される」「荊冠を投げ返す」時代の精神を力強く表現している。「全国水平社創立宣言」と「荊冠旗」は、不可分の一体を形成しているのである。