阿部ユポ(あべ ゆぽ)
(公社)北海道アイヌ協会副理事長
私は、40歳になるまで、アイヌ民族として生きようということは全く思いもしませんでした。我が家には、日本人の家庭と同じように、神棚と仏壇があって、白馬にのった天皇陛下と皇族の写真が飾ってありました。近所の家へ行くと、お年寄りが集まってアイヌ語で話しているのをよく聞きましたが、私がそばを通るとピタッと会話を止めてしまいます。そういう中で育ってきて、アイヌと言うことを言ってはいけない、アイヌ語を話してはいけない、という意識がずっと私の中にありました。親からも「アイヌのことなんか話すんじゃない。日本人として生きなさい」と言われていました。
その頃和人の集落には電気がついていて、テレビもありました。しかし、アイヌコタンには、電気が来ていませんでした。経済的な格差はあっても差別はありませんでした。
高校を卒業し、都会に出て働き始めると、それまで田舎では感じなかった差別的な視線を感じるようになりました。地域や、職場や、学校などで「あいつはどこどこの村の出身だ」「あいつはアイヌだ」と言う声が聞こえてくる。そして人の身体的特徴をあげ連ね、「あいつはアイヌだ、近づくな、話をするな」といったことが囁かれる。体毛が濃いという身体的特徴が気になって、銭湯に行く事が出来ない、海水浴に行くこともできない、といったことが起きてきました。30代の半ば頃に、部落解放運動の研究集会に参加し、はじめて差別とはどういうものかを教わりました。
40歳になった頃です、和人の妻との間に初めての子どもが生まれました。子どもの産毛が濃かったものですから、妻が心配して、私には内緒で産婦人科の先生に「これは夫がアイヌだからですか」と聞いたそうです。先生はびっくりして「赤ちゃんはみんな、お母さんの胎内にいる間は柔毛で覆われているものです。まもなくきれいになくなります」と言われ、妻も安心したと後から聞かされました。アイヌが日本人から、体毛が濃いといった身体的特徴をとらえて差別を受けることは今でも続いています。特に若い女性には悩む人も多く、高額のお金をかけて脱毛処理を受ける人も多いと聞きます。現在もアイヌ民族は差別に苦しんでいるのです。
1992年に、「アイヌの学校」という本が出版されました。この本には、アイヌに対する非常に差別的・侮辱的な表現がなされており、私は出版社に厳しく抗議しました。最初のうちは抗議も聞き入れられなかったのですが、やがて出版社の社長がやってきて、私たちの前に手をついて謝るのです。何故かと聞くと、社長は若い頃にアメリカやイギリスに留学していた時、「イエロウ・モンキー」と呼ばれて差別された経験があるというんですね。それ以来、差別は絶対にいけないと思い続けてきたそうです。差別がどんなに許しがたいものかというのは、自分が差別された経験がないとなかなか解らないものなのでしょう。
明治以降、日本政府は北海道、樺太、千島列島の「アイヌ・モシリ」(人間の住む大地)を一方的に取り上げました。日本の国土面積の4分の1にあたる広大な土地を国有地に編入し、その後それを和人の開拓民・資本家に分け与えました。当時1万7千人いたアイヌ民族は、強制的に日本名をつけられ、戸籍を作成され日本国民に編入されたのです。アイヌ語を禁止し、宗教を禁止し、生業である狩猟・漁撈・採集を禁止し、強制同化政策、強制移住をもってアイヌ民族の生活・文化は徹底的に破壊されました。そうした歴史を、今の日本人は教えられていない。
これはアイヌ民族も同じです。若者たちも、この歴史を知れば、自分たちが何で差別されなければならないのかという怒りも湧くでしょう。歴史も知らされないで、アイデンティティやアイヌ民族としての誇りを持てと言われても無理だと思います。アイヌ民族の歴史や言語、文化を学ぶ教育が必要不可欠だと思います。