結婚差別を乗り越えて

西山恵美(にしやまえみ)
部落解放同盟新潟県連合会

私は20歳の頃、4歳年上の方とおつきあいをしていました。友達の期間が長くいつしか、この人と一緒にいれたら、どんなに幸せだろうなと思うようになり、結婚を意識しました。そんな中、彼が私のことを母親に尋ねられ、何のためらいもなく、「どこどこに住んでいる人」と答えました。それを聞いた母親は、「以前、その町内の人と金銭トラブルがあったので、その子と付き合うのをやめてほしい」といっていると、私に伝えてきました。彼は、私とのつきあいについて姉にも相談したようですが、母親と同じ答えだったそうです。彼と二人で、何とかならないかと何度も何度も話し合いましたが、自分ではどうすることもできないという彼の諦めた姿勢を見て、私は仕方なく別れました。私は彼の母親とは面識もありません。私に会うこともなく、ただ一方的に反対されることに深い悲しみで打ちひしがれました。到底納得することができませんでした。心の内を親にも姉たちにも相談できず部屋に引きこもり、食事ものどを通らず、お酒の力をかりて現実から逃げている日々でした。考えることに疲れ、時には、もう生きていたくない、消えてなくなりたい、と死ぬことを考えるようになりました。ある日、母と二人きりになったとき、「どうして、この町で私を生んだの!」という言葉を発してしまう私がいました。母を困らせていることは十分わかってはいましたが、私に今何が起こっているのか、私の胸の内も分かってほしい、私を助けてほしいという思いがそうさせていました。しかし、母は黙ったままで何もしてくれませんでした。
 その頃、部落活動をしている同級生が、私の姿を見ていないことを心配して家に何度も来てくれました。彼女に思い切って話をしたところ、「明らかに部落差別だよ」と言われました。「部落差別って、何?」私は、ただ彼の悪口を言われているような気がして、余計なお節介と感じ、友人の話すことを受け入れることができませんでした。そんな中、部落解放関東青年交流集会への参加を誘われ、気分転換をかねて出かけることにしました。参加した集会では、同世代の人たちが自分の被差別体験を次々に語っていました。そこで「差別に負けてはいけない」と聞き、では、どうしたら差別に勝てるのだろうかと思い、どんどん部落差別に対する関心が湧いてきました。
 その後様々な集会に参加し、自分が部落差別について何も知らなかったから相手に何も言えなかったことに気づきました。そして、部落差別について学ぶことは、これからの人生にとって絶対必要なことだと考えるようになりました。私が体験したことは部落差別であって、金銭トラブルとはただの言い訳だったと確信しました。と同時に今まで落ち込んでいた私自身の気持ちが怒りに変わった瞬間でもありました。
 結婚差別を受けた8年後、私は一生を共にしたいと思う人に出会いました。人の心の痛みが分かる優しい人で、この人ならば差別なんてしないかもと思いつつも、いざとなると以前のことを思い出して躊躇してしまう私がいました。何も伝えないまま結婚してもいいのだろうか。あとで何か問題がおこれば、私だけでなく彼も傷付き、つらい思いをさせてしまうと思うようになりました。そんな思いから私は覚悟を決めて、彼に自分が被差別部落出身者であることを伝えました。最初、彼は何のことか分からなかったらしく、私が説明して何とか理解することができました。その時「そんなこと関係ないよ。もし親に何か言われても自分が必ず守るから」といわれ、私は大きな勇気と喜びを感じ、彼と共に人生を歩んでいく決意をしました。
 今、私は解放活動に携わり、いろいろな人の前で、私の結婚差別について話しています。私のような悲しい思いを誰もしてほしくない、多くの人に差別を見抜く力と眼をもってほしい、私の願いはただそれだけです。差別は、差別される人の問題でなく、差別する人の問題です。一人一人が自分の問題として部落問題をとらえ、正しい理解と認識を深められるようにこれからも取り組んでいきたいと考えます。私たち一人一人の心にある差別意識をなくさない限り、私たちが願う解放はないと考えます。