原田學植(はらだがくうえ)
弁護士、C.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective:対レイシスト行動集団)
日本社会における排外主義や人種差別の問題は、2013年来からは所謂「ヘイトスピーチ」問題として社会の注目を集めてきました。ヘイトスピーチが現在のように注目されたのは、いわゆるヘイトデモに対抗するカウンター抗議等、市民社会からの巻き返しが行われ、京都朝鮮学校襲撃事件に関する民裁判での判決が下されたこと、そして2014年に国連人種差別撤廃委員会からの勧告がなされたことによります。 ただし、市民社会によるカウンターも裁判所による被害救済も、現在の日本の国内法を前提に行われざるを得ないため、どうしても限界があります。ヘイトスピーチ・デモに対しては、反差別カウンター行動が沿道から行われています。そのとき、行政はあくまでもヘイトデモを表現の自由の範囲内のものとして警備し、カウンター抗議の表現の自由を不当に制限してまでも、カウンター抗議者に対する規制を行っています。
京都朝鮮学校襲撃事件に関する街宣差止め等民事裁判では、京都地裁は、特定の人種や民族への差別や憎しみをあおり立てる街宣や、一連の行動を動画で撮影しインターネットで公開した行為について「人種差別撤廃条約で禁止した人種差別に当たり、違法だ」と指摘し、「示威活動によって児童らを怖がらせ、通常の授業を困難にし、平穏な教育事業をする環境を損ない、名誉を毀損した」として、不法行為に当たると判断しました。この裁判は、ヘイトスピーチに司法が対処した良い例であるといえますが、ヘイトスピーチに対する現行法での対処の限界を示すものでもあります。
「朝鮮人を殺せ」等のスピーチは、それを耳にしたひとりの朝鮮人個人の胸をえぐり、魂を蝕むものです。また、そのようなスピーチが公的に許容され、蔓延している社会が自由かつ公正な社会であるなどとは、到底言えないはずです。にもかかわらず、マイノリティ集団一般に対する差別扇動行為は、「被害者が特定できない」という理由で、現在の日本法では司法的救済がなされないのです。京都地裁判決でも、「例えば、一定の集団に属する者の全体に対する人種差別発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が、当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるようなことは…新たな立法なしに行うことはできないものと解される」と明言されています。
2014年の春、あるサッカー・Jリーグの試合会場で、サポーター席に入るゲートに「JAPANESE ONLY」と書かれた横断幕が掲げられる事件が起こりました。試合中はこの横断幕は撤去されませんでしたが、注目すべきはその後の対処です。Jリーグは試合中に横断幕を撤去しなかったクラブ(チーム)側に対して国際サッカー連盟(FIFA)の規定にもとづいたルールを適用し、一試合を無観客試合とする処分を下しました。また、クラブ側は横断幕を掲げたサポーターにスタジアム入場禁止等の措置を取りました。このように厳正な対処が行われたことは、Jリーグにおいて「人種差別はいけない」との国際人権基準に適合した規範が、実際に生きていることを示しています。
現在、法務省ではヘイトスピーチに関する啓発活動が行われていますが、あくまでも現行法を前提とする不十分なものでしかありません。事実、法務省への電話相談窓口で「現行法での対処はできない」と言われた例も報告されています。
日本国としては、ヘイトスピーチに限らず「人種差別はいけない」という姿勢や行動を、公的な規範として示さなければならない時期に来ていると思います。日本社会は、京都朝鮮学校襲撃事件等の数年来にわたる排外主義行動を放置し続けてきました。そのことが、被害者をはじめとするマイノリティたちにどれほどの苦痛を与え、そしてこの社会の公正性をどのように壊してきたでしょうか。サッカースタジアムの外においても、国際人権基準に適合した規範が整備されなければなりません。そのためにも、人種差別を禁止する法律の制定が望まれます。