揺れるスリランカと国連人権理事会

小松 泰介(こまつ たいすけ)
IMADRジュネーブ事務所 国連アドボカシー担当

今年1月8日、スリランカで大統領選挙が行われた。タミル人国家の設立を目指したタミル・イーラム解放の虎(LTTE)との26年間にわたる内戦を終結させたマヒンダ・ラジャパクサ大統領に対して、大統領の側近であったマイトリパラ・シリセナ保健相が突如離党し、野党の擁立候補として出馬するという、誰もが予想しなかった選挙となった。2010年の憲法改定により大統領の三選禁止規定が削除され、最高裁判所の裁判長や判事、国内人権機関の委員らも大統領の一存で任命できるようになり、司法の独立性が失われていたことや、縁故主義によって大統領の親族の多くが要職に就いて大統領と一族に権力と利権が集中していることなどに野党や国民から批判の声が高まっていた。また、このような大統領権限の集中は、過去および現在進行形の人権問題に取り組む活動家やNGOといった市民社会の活動の締め付けにも繋がっていた。大統領権限の縮小と腐敗の根絶を目的の下、最大野党である統一国民党(UNP)や新民主戦線(NDF)およびその他の野党が結束し、ラジャパクサ大統領のスリランカ自由党(SLFP)に対してシリセナ野党統一候補を擁立した。選挙は接戦となったが、ラジャパクサ大統領の得票47%に対し、シリセナ野党統一候補が51%を得票し勝利した。多数派のシンハラ人仏教徒からの根強いラジャパクサ元大統領支持に対し、タミル人やイスラム教徒といったマイノリティが多く居住するスリランカ北部および東部においてシリセナ野党統一候補が支持されたことが勝利に繋がったため、この選挙は「マイノリティの選挙」であったと言われている。これまでのラジャパクサ政権は大規模な強制失踪や民間人の殺害といった内戦
時の深刻な人権侵害と戦争犯罪に対する適切な調査訴追を行わず、マイノリティに対する差別や攻撃も放置してきた。このような政治の怠慢に対するマイノリティの不満が噴出し、シリセナ野党統一候補の勝利へと繋がることとなった。
 しかし、タミル人をはじめとしたマイノリティの新政権への期待はすぐに新たな疑問へと変わるものとなってしまった。内戦時の人権侵害と関連犯罪の疑いを調査した国連高等弁務官事務所(OHCHR)の報告書が今年3月の人権理事会で提出される予定だったが、シリセナ大統領率いるスリランカ政府の強い要望を受け、9月の人権理事会まで提出が延期されることが2月16日に決定してしまった。この決定はこれまで正義を求めてきた被害者やその家族たちを大きく不安にさせ、内戦末期に激化した戦闘によって大勢の民間人が犠牲になっていることがわかっていたにもかかわらず、対応を怠った国連への不信感を増大させるものとなった。これまでラジャパクサ政権の下、政府は過去の教訓・和解委員会(LLRC)、軍事法廷、失踪者調査委員会といった内戦時の人権侵害を調査する国内機関をいくつも設置してきたが、報告書が非公開であったり、調査方法や勧告の実施に問題があったりと、どれも被害者や国際社会の期待に応えられるものではなかった。このような国内での取り組みの失敗の経験から、被害者たちは国連報告書とそれを受けた国際社会の対応に最後の期待を寄せていた。
 スリランカ政府の要請を受けて、3月の人権理事会において報告書提出と共に行われる予定であった同国に関する議論も公式プログラムから取り除かれた。しかし、IMADRは国際社会の関心をスリランカに引き続き向けることが重要と考え、口頭声明の他にもサイドイベントを実施した。フランシスカン・インターナショナルと3月12日に共催した「スリランカの宗教の自由」と題したサイドイベントでは、内戦終結後に台頭した過激派仏教徒グループのボドゥ・バラ・セナ(BBS)によるイスラム教徒およびキリスト教コミュニティへの攻撃と宗教的マイノリティへの制度的差別についてパネルディスカッションを行なった。パネリストとしてキリスト教徒の人権活動家のルキ・フェルナンドさんと、スリランカ・ムスリム議会(SLMC)副議長でカルムナイ市市長のモハメド・ニザム・カリアペールさんによるそれぞれの宗教コミュニティからの証言がなされ、加害者であるBBSの訴追と被害者の救済が新政権の下でも進んでいないことが指摘された。また、基調演説として「宗教と信仰の自由に関する国連特別報告者」であるヘイネール・ビエルフェルトさんが考察を行い、宗教に基づく暴力の免責は被害者であるマイノリティだけでなく、マジョリティの意識にも悪影響を与えることを懸念し、「恐怖から自由であることが、宗教の自由と信仰による公の自己認識をするための前提条件」であると強調し、そのためにも政府は嫌がらせや根拠のない悪評が蔓延する現状に手を打たなければならないことを指摘した。また、ビエルフェルトさんは国際社会がこの問題に留意し、スリランカのアカウンタビリティの実現を求める必要があると総括した。
 また、翌週の3月19日にはフォーラム・アジアと共催で「政治的移行、民主主義および人権:ビルマとスリランカの経験」と題したサイドイベントを行なった。ここではIMADRの二マルカ・フェルナンド理事長とビルマ(ミャンマー)の人権活動家であるキン・オフマールさんの二人に対し、司会の国際法律家委員会(ICJ)のマット・ポラードさんが民族および宗教的マイノリティの状況、女性に対する性暴力、人権理事会による監視の効果といった横断的な質問を投げかける形式で行われた。スリランカとビルマにおいてもマイノリティ問題が解決されていないことが政治不安と過激派仏教徒グループによる人権侵害に繋がっていることや、法の支配の欠如と偏見によって被害女性は救済されないまま性暴力が蔓延していること、人権侵害の加害者が未だに公職に就いていることから両国とも人権問題を解決する能力が不足しており、国連での継続した監視が必要なことが明らかになった。特にビルマは政府が「民主化」をはじめて以降も人権状況は遅々として改善していないにもかかわらず、国際社会はビルマに対する締め付けを経済的関心によって緩めている。このような経験が繰り返されないためにも、国際社会はスリランカに対し、過去の大規模な人権侵害と関連犯罪のアカウンタビリティと正義が実現されるまで毅然とした姿勢を崩さないよう警鐘が鳴らされた。
 しかし、人権理事会の真っただ中の3月12日にシリセナ大統領はBBCの取材に対し、「国連調査員を国内の調査委員会に参加させることはないが、彼らの見識は考慮されるだろう」と答えている。この発言を懸念したIMADRは、これまでの国内での取り組みの失敗の歴史から国連との「ハイブリッド」の仕組みの必要性を訴え、さもなければ再びスリランカは被害者、市民社会および国際社会の期待に応えられないと主張する口頭声明を人権理事会で読み上げた。
 9月の国連報告書提出までの間、スリランカ政府には膨大な宿題が残っている。内戦時の人権侵害と戦争犯罪に対する独自の調査委員会を政府は準備しているが、国際基準をしっかり満たしたものになるよう、すでに二つの国連専門家による訪問が進んでいる。一つ目の「真実、正義、補償に関する特別報告者」は3月30日から4月3日にかけた訪問を終え、「強制的・非自発的失踪に関する作業部会」の訪問も控えている。また、中央議会も4月下旬に解散され、6月から7月には議会選挙が行われる予定である。不安定な政治状況の中でスリランカの人権課題は山積みであり、そのほとんどがまだ解決の目途が立っていない。国際社会が今まで以上に被害者の声に耳を傾け、スリランカ政府に毅然とした対応を迫るようIMADRは今後も働きかけを続けていく。