「息ができない」――アメリカ合衆国の司法における人種差別

小松 泰介(こまつ たいすけ)
IMADRジュネーブ事務所 国連アドボカシー担当

2014年8月9日、アメリカ合衆国ミズーリ州のファーガソンで当時18歳だったアフリカ系アメリカ人であるマイケル・ブラウンさんが、丸腰であったのにもかかわらず白人警官によって射殺された。ブラウンさんに対して発砲された銃弾のうち少なくとも6発が命中し、うち2発は頭に当たっていたことが判っている。事件直後からファーガソンではブラウンさんの死と警察官の行き過ぎた対応に抗議するデモが繰り返し行われ、合衆国中がこの事件の動向に注目していた。しかし3か月後の11月24日、ブラウンさんを射殺したダレン・ウィルソン警察官を不起訴とする大陪審の決定が下された。この決定の直後に抗議運動が全米各地で行われ、ファーガソンでは暴動にまで発展した。また、世界中の178都市で同様の抗議活動が行われた。

さらに、一カ月前の7月には丸腰のアフリカ系男性であるエリック・ガーナーさんが課税対象外のタバコを販売した疑いで逮捕された際、白人警官によって首を絞められる状態で取り押さえられた結果死亡した事件がニューヨーク市で起きた。ニューヨーク市警では首を絞める行為は禁じられている。この様子を撮影したビデオはインターネット上で急速に広がり、ガーナーさんが「息ができない」と繰り返しながら最後にはぐったりする様子が収められている。しかしこの事件に対しても、ニューヨーク市の大陪審は当該のダニエル・パンタレオ警察官を起訴しない決定を12月3日に下した。この決定に対する抗議デモも全米各地で開催され、ニューヨーク市では数千人が参加する大規模なデモとなり、人びとはガーナーさんが最期に繰り返した言葉である「息ができない」のフレーズを叫びながら抗議した。

残念なことに、このような法執官による過剰な力の行使を含め司法における人種差別はアメリカ合衆国では珍しいことではなく、「人種」によって量刑の重さや逮捕率が異なる傾向にあることなどが以前から非難されてきた。例えばアメリカ自由人権協会(ACLU)によると、アフリカ系男性に対する有期刑は同様の罪を犯した白人に比べて約20%も長くなることが明らかになっている。また、量刑プロジェクト(Sentencing Project)によると、少年犯による殺人のうち23.2%が「白人を殺害したアフリカ系アメリカ人」なのに対し、仮釈放のない終身刑を受けた少年犯のうち42.4%がこの「白人を殺害したアフリカ系アメリカ人」で占められている。つまり、白人を殺害したアフリカ系の少年犯は極めて高い確率でこの厳刑を受けていることになる。これに対し、「アフリカ系アメリカ人を殺害した白人」の少年犯のうち半数のみが仮釈放のない終身刑を受けている。ヒューマンライツ・ウォッチによると白人の少年犯とくらべアフリカ系の少年犯は「仮釈放のない終身刑」を受ける割合が10倍も高いことが指摘されている。

このような人種差別の背景には、アフリカ系住民、特に男性に対する根強い偏見があると言われている。2012年にAP通信が行った調査では、「黒人の多くは暴力的である」という表現が「少しあてはまる」から「とてもよく当てはまる」とした回答者は全体の66%を占めている。このような結果はアフリカ系住民が潜在的な脅威であるという社会の根底に流れる意識を体現していると言われている。こういった偏見は警察や裁判所にも蔓延しアフリカ系住民に対する公平公正な対応を阻み、過剰な力の行使に繋がっている。今回の一連の死亡事件の背景には、この根強い偏見と差別が存在している。

反対に、アフリカ系の人びとは警察に対しどのような印象を持っているのだろうか?シンクタンクのピュー研究所が2007年に行った調査によると、アフリカ系住民の55%のみが警察は法を適切に執行することができると考えている。また、38%が「警察は容疑者に対し過剰な力の行使を行わない」、37%が「警察はすべての人種を平等に取り扱っている」と回答している。言い換えればアフリカ系住民の約半分が警察の公平性を信用していないということである。それを証明するかのように、同じ質問に答えた白人回答者の結果は相反するものとなっている。法の適切な執行では78%、過剰な力の不使用では73%、平等な取り扱いでは74%におよぶ白人回答者が警察を信頼すると答えている。この明らかな違いはアフリカ系住民が日常生活の中で警察による差別を経験している、もしくは差別されていると感じる扱いを受けていることをよく表している。事実、アフリカ系住民は白人に比べて警察から職務質問を受ける傾向が3倍も高いことがACLUによって明らかにされている。もし何もしていないのに何度も職務質問を経験すれば、誰もが自分の肌の色が違うせいだと感じずにはいられないだろう。

ちょうどファーガソン事件から4日後の2014年8月13日から14日かけて、国連人種差別撤廃委員会によるアメリカ合衆国の審査がスイスのジュネーブで行われた。法務省の担当者は委員会の質問への回答の際に、マイケル・ブラウンさんの家族に哀悼の意を表し、事件に対する徹底的な調査を行うことをファーガソンのコミュニティに誓っている。しかし、その後の11月の大陪審の決定はその誓いとは裏腹な結果となり、12月のニューヨーク市の大陪審もそれに続く形となってしまった。これらの決定はそれぞれのコミュニティだけでなく、人種差別や法の支配の問題を懸念する合衆国中の人びとにとって決して満足のいくものではなかった。人種差別撤廃委員会は8月の審査を受けた総括所見において、特にアフリカ系アメリカ人を中心とする人種および民族的マイノリティに属する非武装の人びとへの法執行官による過剰な力の行使と加害者の免責に関する以前からの懸念を繰り返している。その上で、法執行官による過剰な力の行使の疑いに対し即時かつ効果的な調査を行い、加害者を訴追し、有罪の場合は適切な制裁措置を取り、被害者の家族に対しては充分な補償を行うことを勧告した。ファーガソンとニューヨーク市の事件は委員会からのこの勧告の実施における第一歩となり得たが、そうはならずにアメリカ合衆国の司法における人種差別の歴史に新たなページを増やしてしまった。

今回のファーガソンとニューヨーク市の大陪審の決定に対し、IMADRも声明を発表した。人種および民族的マイノリティに属する非武装の人びとに対する法執行官による過剰な力の行使に関する国連人種差別撤廃委員会による懸念と勧告を繰り返しつつ、米国政府が二つの事件における正義を保障し、加害行為の責任者である警察官を調査訴追することをIMADRは求めた(声明の詳細はウェブサイト参照:http://imadr.net/request-to-us/)。また、マイノリティに属する人びとにとって司法制度は人権侵害の救済を求める最後の手段であることが多く、そのためにも司法は人種差別のない公平公正なものでなければならないことを強調した。今回の事件への反省を生かし、米国政府が司法と警察における人種差別の撤廃に切実に取り組むことが期待されている。奇しくも2014年の人種差別撤廃委員会の総括所見において、法執行官による過剰な力の使用の疑いに対する調査訴追およびその予防に関する勧告に関しての一年以内のフォローアップ報告が政府に求められている。どのような報告がなされるのか国内の市民社会は強い関心を持っているはずである。この報告を機会にアメリカ合衆国政府は司法における人種差別の問題に再び向き合い、誰もが法の下の平等な取り扱いを受けることのできる社会をつくらなければならない。人びとは人種差別の許容される社会ではもう「息ができない」と訴えている。