不特定多数に対するヘイト・スピーチの被害 ――実態調査で分かったこと

元 百合子(もと ゆりこ)
ヒューマンライツ・ナウ関西グループ、IMADR-JC企画運営委員

はじめに
近年、凄まじい人種・民族差別的憎悪の表明と排除、暴力と迫害の煽動が、全国各地の路上やインターネット上に氾濫してきた。特に、不特定多数に向けたヘイト・スピーチは、事実上、野放し状態にある。そうした現状については、国連の複数の人権機関が問題視し、法規制を含めた対処を繰り返し勧告してきたが、政府はそれらの勧告に背を向け、表現の自由の保護を理由に何の対策も講じていない。すでに国連では、法規制の是非ではなく、何をどう規制するか、表現の自由とのバランスをどう取るかといった議論が深められている(1)が、日本では民間の議論も、表現の自由か規制かといった単純化した二者択一論が支配的であり、規制慎重論、消極論が根強い。根拠付けは様ざまであっても、それらの議論に共通しているのは、標的にされる集団―必ず社会的マイノリティである―の人々が蒙る被害に対する無関心ではないだろうか。その背景には、不特定多数に向けられた侮辱や憎悪表現は被害を生じさせないとか、あったとしても拡散して希釈化する、つまり救済を要するほど大きくないといった通説があるという。しかし、それは、実証された事実なのだろうか?同種の悪罵の対象が、特定の個人や学校などの場合には、現行法でも処罰と救済が可能(2)な一方、不特定多数の場合は、被害を訴えることさえできないことに合理性、正当性はあるのだろうか?

私たち、ヒューマンライツ・ナウ(3)の関西グループは昨年、ヘイト街宣(デモ)やネット上の差別・憎悪表現の主な対象にされてきた在日コリアンに被害の聴き取り調査をおこなった。今回は、極めて小規模な調査(4)にとどまったものの、個別面接によって得られた結果は、予測をはるかに超えた深刻な被害である。特定の個人が攻撃の対象とされる場合と変わりなく、集団全体に向けられた場合も、一人ひとりが自分に向けられた刃だと感じて傷つき、心身に大きな苦痛を蒙っている実態が明らかになった。

明らかになった被害の実態
紙幅の制約から、ごく一部ではあるが、以下に直接の声を紹介する。詳しくは、ヒューマンライツ・ナウ関西事務局発行の報告書を参照されたい。(5)

(1)直接の恐怖・不安
全員が、恐怖や不安を感じたと述べている。ヘイト街宣の現場では、「絶句した」「戦慄を覚えた」「恐怖から何もできなかった」「身体が動かなかった」「身体が震えて心臓がドキドキした」「吐き気がした」という。「殺せ、殺せ、朝鮮人」と連呼され、「実際殺されるのではないかという恐怖」に襲われた人。街宣の内容が事実無根のデマばかりであることから、関東大震災時の朝鮮人集団虐殺事件が想起され、強い恐怖を感じた人もいる。カウンター(対抗)行動への参加経験者からは、「ヘイト・スピーチを浴びるので疲労感がある」「帰宅すると胃腸がおかしい」といった声。在特会などが意図的にネット上に流している街宣の動画や書き込みについても、「見ると気分が悪くなるので避けてきた」とか、(自分が)標的にされている懸念から「怖くて見られない。辛い。向き合えていない。」といった声がある。
(2)尊厳・存在の否定による苦痛
民族的出身といった個人の努力ではどうすることもできない属性を理由に、「出ていけ」「死ね」「殺せ」と罵倒される不条理に対する悔しさ、言い表せない怒り、人間としての尊厳や自分の存在そのものを否定されたことによる心の傷が共通して語られた。「デモが通り過ぎてから思わず泣き出した。」「チョンコ」などと連呼されて「心が折れた」といった声。感想や意見を言わないコリアンも少なくないが、それは、「意見が無いことや、傷ついていないことを意味しない。表現する機会がないだけだ。」という指摘もあった。
(3)子どもへの影響
ヘイト街宣や動画などを「子どもには見せられない」など、子どもへの影響を心配する声や、在日コリアンの集住地域にまで来てヘイト街宣をしていることへの憤りも聞いた。実際に、ヘイト・スピーチを知った子どもがショックを受けて、出自を周囲に明らかにしてはいけないと思うようになった事例、本名を名乗っている子どもが家から外に出るのを嫌がり、日本人に名前を伝えるのを怖がるようになった事例、大人になったら帰化すると言い出した事例など、少なくない子どもが自分の出自を否定的に捉えるようになっている。民族教育に対する攻撃も激化しており、長年の努力の成果(例えば、本名を名乗る生徒の増加)が脅かされていることも懸念されるという。
(4)社会生活への影響
被害は、日常の社会生活や人間関係にまで及んでいる。日常生活の中でもヘイト的な表現に接すると「ビクッとすることが増えている」という声。心の痛みを日本人の友人や仲間には話せず、共有できない苦しさがあるなど。ツイッター上で在特会批判をしたことがきっかけで毎日ヘイト・スピーチが届くようになり、うつ状態となって精神科でカウンセリングを受けたという被害体験。多量のヘイト書き込みのために在日コリアン団体の一般向け掲示板が閉鎖に追い込まれた事例。ツイッターに名指しで「殺そう」と書かれたので警察に通報したが、不起訴とされた事例。「慰安婦」問題に取り組む活動に対する執拗な攻撃で、それまでの活動を継続できなかった事例も聞いた。
(5)日本社会に対する不信感・不安
政治家など、公人によるヘイト・スピーチを放置してきた中で排外主義が広まり、マイノリティが生きにくくなっている社会でこれからも生きていくことへの不安が増大している。一見普通の人たちがヘイト街宣に参加していることに感じた恐怖、すでに憎悪犯罪ともいうべき物理的暴力が広がりつつあることへの懸念も語られた。「差別言辞を発信している人たちとの話し合いを試みたが、一方的に『あなたは、この国に必要ない。(自国に)帰ってください』と言われて辛かった。」という声もある。ヘイト街宣には寛容な態度を取りながら、対抗行動を規制する警察に対する不信感も共有されている。

聴き取りの中で出された意見や要望
ヘイト・スピーチは「表現の自由」ではなく、暴力であるという見方、法規制を求める意見が共通している。同時に、現行法の下でも可能なこと、例えば、特定地域での道路使用許可の制限、教育委員会によるマイノリティの子どもたちの精神的被害実態の調査や、子ども達への指導やカウンセリングを求める意見などが寄せられた。

まとめ
以上の調査結果から浮かび上がるのは、不特定多数に対するヘイト・スピーチが悪質な人権侵害でありながら、被害は調査も救済もされないまま放置されている現実である。社会の不均衡な力関係の中で優位にあるマジョリティがヘイト・スピーチの自由を保障されてマイノリティを迫害し続ける一方、対抗手段を持たないマイノリティは恐怖と屈辱の中で沈黙を強いられている。国連の勧告に従って、「断固として対処するための具体的な措置を速やかにとること」が強く求められる。マイノリティには差別されない権利、表現の自由を含めてすべての人権を平等に保障される権利、尊厳を尊重されて生きる権利があり、政府はそれを実効的に保障する義務を負っているのである。

(1)国連では、法規制を実施した国々の経験を踏まえた議論を重ね、すでに、法規制の濫用の防止策も視野に入れた包括的な措置が提案されている。それには、人種差別禁止法の制定や日本政府がかたくなに拒否している、政府から独立した国内人権機関の設置が大きな比重を占める。ヘイト・スピーチを内容や発信者、対象者、発信された文脈、社会的状況や影響などによって分類し、それに適合する措置―民事規制、行政規制、刑事規制、啓発や人権教育―をとることが推奨されている。
(2)いわゆる京都朝鮮学校襲撃事件や奈良水平社博物館に対する差別街宣事件などの事例がある。
(3)日本を含むアジアの人権問題に国際的に取り組むNGO(認定NPO法人)
(4)調査に協力してくれた16人は、無差別に選択された在日コリアンではなく、何らかの形でヘイト・スピーチやヘイト街宣に対抗するカウンター行動に関心を持っている人に限られた。ただし、調査に応じた全員が、在日コリアンとして社会運動に関わってきた人ということでもない。男女比は10対6。年代は、10代1人、20代2人、30代4人、40代3人、50代6人である。
(5)http://hrn.or.jp/activity/topic/post-306/ に掲載。他に参考資料として、在日コリアン青年連合(KEY)による「在日コリアンへのヘイトスピーチとインターネット利用経験に関する在日コリアン青年差別実態アンケート調査報告書」(2014年)(KEYのウェブサイト掲載)もある。