山崎公士(やまざき こうし)
神奈川大学法学部教授、IMADR-JC理事
はじめに
2013年6月19日、障害者差別解消法が参議院で可決・成立し、一部を除き2016年4月1日に施行される。この法律は、2010年から実質的に始まった政府による障がい者制度改革の一環として、障害者権利条約の批准に先立ち、国内法を整備する目的で制定された。
2013年12月4日、参議院本会議で障害者権利条約の批准が承認され、2014年2月19日に同条約は日本について発効した。日本では、条約は憲法の下だが法律より上に位置づけられるので、この条約が日本の法制度に組み込まれた意義は大きい。
本稿では、障がい者制度改革の契機となった障害者権利条約の理念と概要を紹介し、この条約を踏まえ制定された障害者差別解消法の意義と課題を明らかにしたい。
1.障害者権利条約の基本理念
―障害の「個人モデル」から「社会モデル」への転換
従来、障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」で、克服するのはその人(と家族)の責任だとする考え方(障害の「個人モデル」。「医学モデル」とも呼ばれる。)が主流だった。しかし条約はこの考え方を排し、障害を持つ人びとが日常生活や社会生活で受ける制約は社会のあり方との関係で生ずるので、「障害(障壁)」をつくっている社会の側にこれを取り除く責務があるという考え方(障害の「社会モデル」)に発想を転換した。障害者権利条約や障害者差別解消法はこの「社会モデル」の考え方を採用している。
2.障害者権利条約の概要
障害者権利条約は、2006年12月の第61回国連総会で採択され、2008年5月に国際的に発効した。条約は障害者に特化したはじめての人権条約で、障害者の権利を包括的に規定する。2015年2月21日現在の締約国数は152か国・機関(EUを含む)である。世界中の障害当事者・障害者団体は条約の起草過程に積極的に参画し、条約の成立に大いに貢献した。なお、日本は、個人通報制度を可能とする同条約選択議定書(85締約国)には署名もしていない。
3.障害者差別解消法の概要
(1)目的
民主党政権下で進められた障がい者制度改革によって、障害者基本法が改正され、障害者差別解消法が制定された。解消法は、障害者基本法の基本理念にのっとり、「全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ」(1条)制定された。このため、この法律は、①障害を理由とする差別等の権利侵害行為の禁止、②社会的障
壁(1)の除去を怠ることによって権利侵害行為をすることがないよう、合理的配慮の義務づけ、③国による啓発・知識の普及を図るための取り組み(同法4条1~3項)を定めた。
(2)障害者差別の禁止
この法律で障害を理由とする差別とされるのは、「不当な差別的取扱い」と「合理的配慮を行わないこと」である。
差別的取扱いの禁止
行政機関も民間事業者も、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない(7条1項〔8条1項〕)。「不当な差別的取扱い」とは、たとえば、障害があるというだけで、雇用を拒否したり、公共交通機関の利用を断ったりする行為で、これらは禁止される。行政機関と民間事業者にとって、これは法的義務である。
合理的配慮の不提供
行政機関は、障害者などから何らかの配慮を求める意思表明があった場合には、負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要で合理的な配慮を行うことが求められる。こうした配慮を行わないことで、障害者の権利利益が侵害される場合には、差別に当たる(7条2項)。国や自治体等にとってこれは法的義務だが、民間事業者については努力義務である(8条状2項)。
なお、この法律は、国の行政機関や自治体、民間事業者などを対象にしており、一般の方が個人的な関係で障害者と接するような場合や、個人の思想・言論は対象にしていない。
ただし、障害者差別のない社会を実現するため、市民の理解が重要な鍵となる。この法律は、障害者差別の解消について国民の関心と理解を深め、障害者差別の解消を妨げている諸要因の解消を図るため、国と自治体は必要な啓発活動を行うものとしている(15条)。
(3)「合理的配慮」をしないことの典型例
合理的配慮は、障害者が日常生活や社会生活で受けるさまざまな制限の原因となる社会的障壁を取り除くため、障害者に対し個別の情況に応じて行われる配慮である。窓口で聴覚障害のある人に声だけで話すこと、視覚障害のある人に書類を渡すだけで読み上げないこと、知的障害のある人にわかりやすく説明しないこと、車いす利用者が電車などに乗車する際に手助けしないことなどは、合理的配慮をしないことにあたる。
(4)障害者差別解消のための支援方法
障害者差別解消法に基づき、政府は障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針を定めなければならない(6条1項)。基本方針では、障害を理由とする差別の解消に向けた施策の基本的な方向、行政機関等が策定する対応要領や民間事業者が策定する対応指針に盛り込むべき事項や作成に当たって留意するべき点、相談、紛争の防止・解決の仕組みや地域協議会などについての基本的な考え方などが示される。
(5)障害者差別に関する相談・救済機関
障がい者制度改革推進会議・差別禁止部会意見では、簡易迅速な実効性ある裁判外紛争解決の仕組みを早急に用意すべきであるとの見解が示された。しかし、解消法ではこうした独立救済機関の設置は盛り込まれなかった。
(6)地域協議会
障害を理由とする差別に関する相談や紛争の防止、解決の取り組みを進めるためのネットワークづくりの仕組みとして、国や自治体の機関は、それぞれの地域で、障害者差別解消支援地域協議会を組織できる(17条)。地域協議会が組織され、関係する機関などのネットワークが構成されることによって、いわゆる「制度の谷間」や「たらい回し」が生じることなく、地域全体として、差別の解消に向けた主体的な取り組みが行われることを狙いとしている。
4.障害者差別解消法と複合差別の解消
障害者権利条約6条1項(2)は障害のある女性にとっての複合差別について正面から規定した。これに対し、障害者差別解消法は、行政機関等〔事業者〕は「…障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。」(7条〔8条〕2項)と規定するに過ぎない(下線部、引用者)。ただし、同法案に対する附帯決議(参議院)1項で、「(障害者権利)条約の趣旨に沿うよう、障害女性や障害児に対する複合的な差別の現状を認識し、障害女性や障害児の人権の擁護を図ること。」が明記された。
現在、2016年4月からの障害者差別解消法の施行に向けて、行政機関や事業者がこの法律の実施に関するガイドラインを策定しつつある。この作業では、女性障害者への具体的な複合差別を念頭に、合理的配慮に関するきめ細かなガイドラインづくりが望まれる。また、地域協議会の構成員の中に、障害のある女性の立場で活動してきた当事者を入れることにより、障害の有無にかかわらず暮らしやすい地域づくりが進むことを期待したい。
(1)障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物〔通行、利用しにくい施設、設備など〕、制度〔利用しにくい制度など〕、慣行〔障害者の存在を意識していない慣習、文化など〕、観念〔障害者への偏見など〕その他一切のものをいう。
(2)「締約国は、障害のある女性が複合的な差別を受けていることを認識するものとし、この点に関し、障害のある女性が全ての人権及び基本的自由を完全かつ平等に享有することを確保するための措置をとる。」