先住民族世界会議 参加報告 ―琉球・沖縄から

当真 嗣清(とうましせい)
琉球弧の先住民族会代表代行

世界会議の開会式は9月22日の午前10時から始まり、いろいろな国や地域の先住民族の言葉を使用したパン・ギムン国連事務総長の挨拶が印象的な開会式であった。何名かの演説の後、かねてより合意していた成果文書の採決に移り、決議採択された。昼食は国連内のカフェテリアでとったが、面白いことに食べ物は重さにより値段が決定されていた。汁もの肉類をたくさん取れば当然値段は上がり、野菜やパンなどは軽いので安くつくとういう計算になる。

第二分科会
―国や地方レベルにおける先住民族の権利の実施
 午後2時から糸数議員が発表をする第二分科会へ。早々と席を確保して開始時間を待った。発表者も言いたいことが沢山あるので時間を守る人は皆無に近く、糸数議員の発表まで来ることはほぼ不可能とあきらめていたらいきなり名前を呼ばれて無事発表をすることが出来た。糸数議員の発表はまず日本政府の先住民族の権利の履行に関しての立場を歓迎することを表明し、しかし琉球民族を先住民族と認めていないことに遺憾の意を示した。国連先住民族権利宣言を引用して、自己決定権の行使の上から、琉球民族が長年、沖縄に集中する米軍基地に苦しめられ、さらに新たな基地の建設に反対するのは先住民族の権利行使に叶っていると主張し、日本政府に琉球/沖縄の先住民族の意見を尊重するよう求めた。

沖縄県系人集会へ参加
 会議終了後急いで会場を出ようとするも、沢山の人びとが糸数議員のまわりに集まり、取材、記念撮影の他、コメントを求めるものが多く、人の間をぬうように国連を後にした。そして沖縄県系人が待つ国連前の広場へと急ぎ足で向かい合流した。うす暗くなりかけていたが、ウチナーンチュは気長に私たちが来るのを待っていてくれた。寒くなりつつある中感謝以外の言葉はなかった。三線や太鼓パーランクーそして琉装の女性はカギャディフーを踊り、警備する警察官も近くに集まり、楽しんでいる様子はなんとも平和だ。その場にはマスコミの方々も多数おり、取材も受けた。その場で沖縄タイムスの平安名純代さんと琉球新報の比嘉良治さんにもお会いした。異郷にいても沖縄に思いを馳せ、行く末を心配して行動に移す姿は称賛に値する。私達に感動と感激を与えていただいた沖縄県系人のニューヨーク国連前集会であった。

琉球人ジャーナリストとの出会い
 第二日目の午前中は国連の正式な行事や会議は無く、私はかねてより取材を申し込まれていた琉球新報の比嘉さんと国連入口前で会い、近くのカフェテリアでコーヒーを飲みながら取材を受けた。なぜかとても幸せな気持ちになれたのは、きっと人生経験豊富な比嘉さんの人間性と他人に対する優しさによるものであると確信した。写真芸術家であり、地元の大学で教える名誉教授でもあり、そして沖縄地元紙、琉球新報の特派記者の身分も有するという多彩で、人間性豊かな風格を感じるウチナーンチュに出会えた。
第三分科会―先住民族の土地、領域と資源
広々とした会場で琉球の代表団は同じ列に並んで座ることができた。会議は順調に進むかに見えたが途中から国際機関が割り込み発表があり、さていよいよ私の番というところで無情にも議長は木槌を振りおろし本日の会議はこれまでと閉会宣言で終了した。私の発表予定の発言趣旨を次に記す。「琉球がかつて独立国であったこと、アメリカと修好条約を結んでいたこと、1879年に日本が武力をもって侵略したこと、第2次大戦後日本の敗戦により沖縄はアメリカの占領下におかれ基地の重圧に苦しめられたこと、1972年の日本復帰後も米軍基地は残りむしろ強化拡大されたこと、国連人権委員会・ユネスコ・人種差別撤廃委員会の勧告にも関わらず日本政府はそれを無視して琉球を先住民族として認めない。日本政府には米軍基地の撤去と返還を求め、同時にアメリカにも基地の撤去を強く要求。」琉球弧の先住民族の自己決定権回復を最後に強く訴えた。事務局から私の発表予定原稿を提出するよう依頼され、提出した。声明は国連のウェブサイトに掲載されている。

日本政府との会合
 日本政府との会合は猪子さんの発案、糸数議員の強力な後押しで実現した。まずは糸数議員からお礼を申し上げ、琉球民族としての要請を行ない、政府の答えを聞くという形ですすみ、意見の交換をしながら政府の姿勢を質した。外務省の課長が主に私達の質問に答えられた。
 当真からは、国連を初め、アジアコーカスなどでは琉球民族を先住民族として認めていること、構造的差別という言葉でウチナーンチュが自身の状況を説明するようになったこと、その裏にあるいわゆる先住民族としての権利の保障をして欲しいことなどを発言した。糸数議員は100部用意したパンフレットが残らなかったことを通して琉球民族への関心の高さを伝えた。また、「沖縄県に居住する人あるいは沖縄県の出身者は日本民族であり、社会通念上、日本民族と異なる生物学的または文化的諸特徴を共有している人びとであるとは考えられていない」とする政府見解を外務省のウェブサイトから削除するよう再度迫ったが、検討するという回答を得たのみにとどまった。

世界会議後の沖縄の状況
 11月16日、沖縄県知事選挙が挙行された。4名が立候補したが事実上現職仲井間知事と翁長前那覇市長の争いとなった。普天間基地移設を辺野古移設するか否かが大きくクローズアップされ、結果は辺野古移設反対の翁長さんが大差で勝利した。勝因は従来の保守対革新という構図から、ヤマト対琉球・沖縄、イデオロギーからアイデンティティー、オール沖縄に象徴されるように翁長陣営が琉球・沖縄の人びとの変化にうまく対応したことにある。翁長さんの当選は沖縄の現状に無理解で無関心な日本政府と個々の日本人に疑問を突き付け、沖縄の民意に真剣に向き合えという声でもある。さらに翁長さんは、日本政府、アメリカ政府に直接訴え、国連にも沖縄の声を届けたい、と当選後のインタビューで答えていた。国際社会に訴える手段としての国連活用の発言に歓迎を表したい。
 今回の選挙は、今後、琉球・沖縄が自らの問題を解決する糸口を考える時に、従来のやり方を変えて進めなければならないということを改めて示すこととなった。この中で私たち琉球弧の先住民族会に何ができるか一生懸命に模索したい。