人種差別撤廃委員会日本審査と部落問題

和田 献一(わだけんいち)
部落解放同盟中央執行委員

日本は1965年に国連で人種差別撤廃条約が採択されてから30年も遅れて、1995年に条約に加入し、「あらゆる形態の人種的差別との闘いに貢献する」ことを国際社会に約束したが、政府は条約を誠実に履行しているとは言えない。当時、政府は部落問題解決を「地対財特法」の下で取り組んでいた。部落解放同盟は、時限法で取り組むのではなく、恒久的な法で解決を図るように、部落解放基本法の制定と条約への加入を求めてきた。1996年「地対協意見具申」で特別措置法終了後の政府の基本方針を示し、「国際的な潮流を踏まえて、人権侵害救済制度の確立を目指す」とした。しかし、政府は条約に加入したものの、条約には部落問題は含まれないとし、4条の差別を犯罪として処罰する中心条項を留保した。その後20年、条約委員会の勧告を無視して、同じ政府見解を繰り返してきた。部落問題の責任部署もなく、人権侵害救済制度もない。人権擁護審議会答申(2001年)に従って策定された、差別禁止規定と人権委員会設置を含んだ人権擁護法案は廃案になった。人権委員会だけに絞った設置法案も廃案になった。人権教育・啓発推進法が議員立法で成立したが、閣法でないため各省庁の取り組みは鈍い。

 2001年・2010年そして今回の人権差別撤廃委員会への政府報告書には部落問題は一言も言及されていない。憲法第14条に従って部落問題解決に取り組んでいると政府は表明しているが、憲法の差別禁止事由は「人種、性別、信条、社会的身分又は門地」と限定的であるので、条約の人種的差別の定義を取り入れた包括的定義の下で取り組むようにと勧告している。条約の定義は「人種、皮膚の色、国民的出身、民族的出身、世系」であり、「世系は人種のみを指すのではなくその他の差別禁止事由を補完する意味及び適用範囲を有する」(一般的勧告29)ので、世系によって部落問題を包括している。従って「人種的色合いの強い世系には社会的出身である部落問題は含まれない」とする政府見解は間違いであり、改めることを強く勧告した。政府は「あらゆる形態の人種的差別と闘う」条約の意味を歪めて、部落問題を条約の対象から除外し、明らかに部落問題の解決に取り組もうとしていない。

 政府は特別措置法の時代には、「同和地区住民」と呼び、法終了後は、「日本国民の一部の人々」と表現する。まるで差別を受けている部落出身者が存在していないかのようだ。部落問題に関する概念がバラバラでは問題解決にあたれないので、部落民との真摯な協議によって、統一した部落民の定義の下で部落問題解決に取り組めと勧告は強調する。

 委員会は、特別措置によって平等が実現し、将来にわたって持続的であることが確認されれば、特別措置は速やかに終了させる(CERD一般的勧告32)としている。33年間同和事業を実施してきたので、2002年の特別措置法終了時に、成果や課題についてモニタリングを実施し、平等が実現したのか、部落民の生活状況がいかなるものであるのか統計的数値で示し、情報提供を求めている。しかし政府は沈黙したままである。やりっぱなしである。毎年国会に報告する人権白書には「格差は縮小している」と記載しているがまったく根拠が示されていない。
 今回の勧告は、戸籍情報を不正に入手して差別事件になった事案をすべて調査して責任者を処罰しなさいと勧告している。事案を調査していけば政府が戸籍情報の収集管理をし、公開原則としてきた責任が問われることになる。条約の“descent”(世系)は、社会的身分または門地であり、戸籍制度が差別を生み出していると指摘されるのを避けたい政府の本音が透けて見える。政府は「あらゆる形態の人種的差別と闘う」国際社会に協力するのではなく、抵抗し、条約を誠実に履行しない姿勢をいつまで続けるのだろうか。