ヘイト・スピーチに関連する2014年CERD総括所見の意義

師岡 康子(もろおか やすこ)
弁護士、外国人人権法連絡会運営委員

はじめに
今回、ヘイト・スピーチに関して勧告10と11(14ページ参照)が出たが、この問題については、これら勧告だけではなく総括所見全体から見ていきたい。さらには、前回2010年の審査で出てきたヘイト・スピーチに関する勧告と比較しながら、今回の勧告の意義をとらえたい。

まず求められる包括的な人種差別禁止法
 最初に、日本は人種差別撤廃のために必要な最低限の制度を整えていないという前提がある。そして、ヘイト・スピーチは憎悪表現一般ではなく、マイノリティに対する差別であるということが出発点となる。そのため、今回の勧告パラ8(3ページ参照)に指摘されているように、人種差別禁止の包括的な特別法の制定がまず必要となる。これが枠組みとして求められる。その上で、今回の総括所見のヘイト・スピーチに関する勧告を正確に理解するために、人種差別撤廃委員会(以下、CERD)が昨年出した「ヘイト・スピーチと闘うための一般的勧告35」を参照することが重要である。今回の審査では、この一般的勧告35(以下、35)が何度も言及されたし、事実、勧告の中でも参照されている。35のパラ9では、「最低限やらなくてはならないのは、人種差別を禁止する民法、行政法、刑法にまたがる包括立法の制定であり、ヘイト・スピーチと効果的に闘うために不可欠である」としている。もうひとつ、国連人権高等弁務官事務所が2013年に作成したラバト行動計画は、自由権規約20条以降にある、ヘイト・スピーチ規制と表現の自由の間のバランスをいかにとるかということに関する文書であるが、そこでも差別禁止法の重要性が明記されている。

勧告パラ11は何を求めているのか

 次に勧告パラ11を見てみる。まず、2010年の総括所見における勧告との違いを見てみたい。人種差別撤廃条約ができたきっかけは1959年から60年にかけてネオナチが台頭し、ヘイト・スピーチとヘイト・クライムの問題について世界が危機感を抱いたことであった。そのため、歴史的にもヘイト・スピーチの問題は条約における最重要課題となる。日本においてもすでに2001年の第1回審査で石原の「三国人発言」が問題にされ、勧告も出ている。しかし日本は何もしてこず、ヘイト・スピーチは昨年になってはじめて社会問題化したという経緯がある。2010年の審査で出された勧告と今回の勧告は重なる部分が多いが、前回と異なる大事な点はヘイト・スピーチ規制の基本的観点について書かれていることだ。「…一般的勧告35を思い起こし、委員会は人種主義的スピーチを監視し闘うための措置が抗議の表明を抑制する口実として使われてはならないことを想起する。しかしながら、委員会は締約国に、人種主義的ヘイト・スピーチおよびヘイト・クライムからの防御の必要のある被害をうけやすい立場にある集団の権利を守ることの重要性を思い起こすよう促す」との部分である。このヘイト・スピーチ規制においてマイノリティ集団の権利保護が最重要であるという観点は、現行法による規制においても新法による規制においても、共通した不可欠な要素である。

懸念されるヘイト・スピーチ規制の濫用と一般的勧告35

 この観点をよりよく理解するために、審査においてアメリカのバスケス委員がおこなった発言の一部をみてみる。
 「(法規制に加え)…ヘイト・スピーチのもう一つの重要な対応はカウンター・スピーチの促進である。」「レイシスト集団は警察に守られてヘイト・スピーチを行っているが、反レイシスト集団がそれに反対する示威行動を行おうとすると、しばしば逮捕されたり、意見をいうのを妨害されていると聞いた」。そして、「反レイシスト集団の表現の自由が損なわれていることについてもう少し情報がほしい」と政府に求めた。しかし政府から回答も、反論もなかった。さらに委員は、「ヘイト・スピーチ規制法が制定されたら、現政権は法律を濫用して、ヘイト・スピーチを行う支配集団をターゲットにしつつ、うまく対比させながらマイノリティ集団をターゲットにするのではないか、という懸念をNGOが示した、」とした。その上で、35のパラ20に言及して、「表現の自由に対する広範で曖昧な制限が、人種差別撤廃条約により守られている集団に不利益をもたらすように使われてきたことに懸念を表明する」とし、そうならないように、「締約国は、35に詳述されているように、条約の基準に従って十分な正確さをもってヘイト・スピーチに対する規制を作るべきだ。委員会は、人種主義的スピーチを監視して闘う手段が、不正義への抗議、社会的な不満あるいは反対などの表明を抑制するための口実として使われてはならないことを強調する。」と述べた。こうしたバスケス委員の意見は、勧告パラ11の冒頭で一般的勧告35を想起させるという言葉に反映されている。
 要約すれば、パラ11は、ヘイト・スピーチ規制をするにはマイノリティに不利益をもたらしてはいけない、そして、条約の基準にしたがい十分な正確さをもって行いなさいと勧告している。
 ではこれをどのように活かすのか。現状では、レイシストのデモに対するカウンターの行動が警察の規制を受けている。そのため、今回の勧告を使って、政府や都道府県の首長に過剰な規制をカウンター行動に課してはならないということを求めていくべきである。新法を作る上でもこれが一番大事な点となる。自民党PTが始動したとき、「デモ規制」があからさまに出た。その後撤回されているものの、今後、自民党PTには今回のCERD勧告を受けて進めるよう求めていく必要がある。また前提として、表現規制に入る前に人種差別撤廃基本法を制定する必要がある。この枠組みがないまま表現規制に走ると濫用の危険性が増すことを警戒すべきだ。

もう一つの勧告パラ10
 条約4条(a)(b)の留保撤回を求めたパラ10を見てみる。前回2010年の勧告で、留保の範囲の縮減または撤回の検討が求められた。しかし今回は縮減ではなく、明確に撤回を勧告している。留保に関して正確に言えば、日本政府は4条(a)(b)に書かれていることをすべてやらないと言っているわけではなく、「4条(a)に書かれていることをすべて処罰すると、表現の自由を侵害する危険性があり、また、刑事罰の原則である明確性の原則(何が犯罪で何が犯罪でないか)に反する危険性がある」から留保をしている。それに対して、一般的勧告35では4条(a)(b)で書かれていることをすべて刑事規制しろと求めているのではないと述べている。具体的には、4条(a)では5つの事項を規制対象としてあげている;①差別思想の流布、②人種差別の扇動、③人種主義的な暴力行為、④その行為の扇動、⑤人種主義や差別行為に対する援助である。35では、その中で深刻なものについて刑罰で規制し、そうでないものについては民事規制あるいは行政規制をし、さらにそこまでに至らないものについては社会的に制約をすればよい、としている。
 そうした意味から、委員会は今回の勧告で、留保の縮減よりも完全な撤回を求めてきた。元々政府は、「ここに書かれているものすべてを犯罪化しろというのであれば留保撤回はできない。」としてきた経緯があり、CERDは35で「それは求めていない」と明確にした。
 35を作成した委員であり、前回2010年の日本の総括所見の報告者であるパトリック・ソーンベリーさんは、「35で4条(a)(b)の範囲に関する委員会の見解を明確に示したので、日本政府は留保を撤回できるはず」と述べている。こうした理解に基づいて、今回、留保の撤回を促す勧告が出されたと理解できる。また、4条(a)では「人種差別に基づく暴力、あるいは暴力の扇動の規制」をしている。今回の審査では、排外デモの現場のビデオを見たということもあり、委員らは(政府が表現の自由の侵害を懸念することに対して)「暴力の問題がなぜ表現の自由の問題になるのか」「暴力の扇動も表現の自由に入るのだろうか」、と問うた。
 なお、勧告パラ10では、「深刻なヘイト・スピーチは刑事規制をしなさい」として刑法改正も提案されている。原則としては当然だろうが、私は、構造的な差別への加害性の反省、いや、認識すらなされていない不十分な段階にある中、まず刑法改正というのは危険だと考える。ヘイト・スピーチもヘイト・クライムも人種差別であり、人種差別撤廃のための法的枠組みを作ることが出発点である。

** 本稿は9月11日のCERD勧告に関する緊急大阪集会における報告をまとめたものである。