ロマ 生きている炎 少数民族の暮しと言語

ロナルド・リー著、金子マーティン訳、発行 彩流社、定価 2800円+税

川瀬俊治(かわせ しゅんじ)
ジャーナリスト

 ロマ民族は「約束の地」もなく5〜11世紀にインド北西部から西方に移動して少なくとも1000年。カナダ・ロマである著者ロナルド・リーをして「多文化主義と先住民や女性の人権擁護は現実のものになった」(本書はしがき)と書かしめた。これが21世紀のカナダなのだが、ヨーロッパでの迫害で何千人ものロマが難民化している。人々は当然、多文化社会を「実現」したカナダに難民申請するが、カナダ政府は申請を認めようとしない。カナダ在住のロマと難民申請を拒絶されるロマ。明と暗。拒絶されたロマに、カナダが蜃気楼であっていいはずはない。ロマの権益確立に奔走するロナルドに安住は許されない。
 本書は1960年代後半のカナダ・ロマの姿を描いたセミ・ドキュメンタリー小説で、主人公ヤンコは著者の民族名だ。物語で描かれた姿は40年前には現実だった。数あるロマのグループで最大の集団がこの物語の主人公ヤンコが属するカルデラシュ系であり、ソ連(当時)がロマの音楽をブルジョア的だと非難したことから、ロシア・ロマの音楽家が国外に移住、著者の父もカナダに移り住み、そこで1934年、ヤンコは生まれた。
 ハンガリー・ロマの長老シャンドルが「ムッソリーニがロマの国家の建設を約束した。ところがナチスが現われ大勢の仲間が殺され、次に現れたのが共産主義者だ」と語る。ナチスに追われても共産主義国家も迫害の地だとつぶやくのだ。安住の地は何処なのか。
 ヤンコの妻マリーがナチスの絶滅収容所で創られた「ジプシー」殺害にふれた歌を聴き、こう語る。「ナチスのほうが情け深かったみたい。銃弾は数秒で人を殺す、インディアンを殺すのにカナダ政府は何世代も費やした」。マリーはカナダ先住民である。先住民保留地で育ったマリーは「収容所と保留地は似ていた」と前置きして語ったことばだ。こんな残酷な会話があるだろうか。ただ、他の場面でマリーの発言に夫ヤンコは「きみの意見は極端だ」とたしなめる。なぜ被差別・抑圧の様態では中庸から遠ざかるのか。テロが多発する現代に生きるわれわれは、メタモルフォーゼ(変形)の時代を生きているのである。
 ロマの排除・排斥・迫害の社会体験の積み重ねが、光と闇も生みだしていることをも書き留めている。殺害された売春婦のことを語る長老は「他のすべての人間と同じように売春婦も神によって創造された」と説く。人間を峻別する能力主義やステータスで己に衣を着せる身分主義とは真逆のことばだ。
 一方、ヤンコの共同事業者のコリアは元々は銅細工師。ロマ二語を使えばロマだとわかるからと、スペイン語を使う。これはロマであることの否定に行き着くのだが、しかし本書にはコリアのような行為はほとんど出てこない。ロマの差別に抗する生き方が圧倒しているからだろう。ヤンコはロマのバソ(即興の踊り)が曾孫も100年後にも踊られるとして、「どのような天変地異があろうとも、ロマは絶対に人間性を奪われないことを確信した」。
ロマへの偏見、排除・弾圧を著者は日常茶飯事のように体験してきた。それに抗するヤンコは光を求めもがく、苦闘する。差別が「普遍的」態度であるといわれるが、本書にはその差別の根強さに対して、日々抗して乗り越える生き方が凝縮されている。前者を人間の劣性とすれば、後者は優性というべきか。「悪貨は良貨を駆逐する」と俗言は誇らしく謳うが、差別との闘いではウソである。良貨は悪貨を駆逐するのである。
 最後に著者は『ロマ語英語辞典』をまとめた言語学者であることを付け加えたい。著者がロマ語の探究者であることと、差別に抗した半生は不即不離だろう。なぜなら「ことばは、存在の棲み家」だからだ。どんな圧政も、いかなる迫害も、その人間に宿すことばを蹴散らすことができない。ロマ語-そこがロマ民族のアイデンティティーの源なのだ。