「障害者権利条約」を使って社会を変えていく

松波めぐみ(まつなみ めぐみ)
(公財)世界人権問題研究センター

はじめに
 日本政府は2014年1月、ついに「障害者権利条約」に批准した。また、批准に向けて2013年6月に「障害者差別解消法」(正式名「障害を理由とする差別の解消の推進に関わる法律」)が成立している(施行は2016年4月)。さらにいうと、2006年の千葉県を皮切りに、各地で障害者差別をなくすための条例が次々と誕生している(2014年3月末時点で9府県)。 しかし、これら条約・法律・条例がどんな内容や展望をもっているのかについて、一般にはほとんど知らされていない。その一方で、今の日本社会にあって、「差別」という文言がしっかり入った法律ができたということを歓迎し、今後の動きを見守っている人たちもいると感じている。 筆者は、人権教育と障害者運動(障害者の権利擁護)をライフワークとしながら、京都府で障害者差別をなくす条例づくりに関わってきた。本稿では、障害者権利条約の基本的考え方や、どんな人権課題があるかを簡単に紹介しつつ、法律や条例ができることの意義(だと私が思うこと)を書いてみたい。

1.障害者権利条約は、どんな考え方に基づいているのか?
 2006年12月の国連総会で採択された「障害者権利条約」は、21世紀最初の人権条約である。その特徴を3点挙げたい。 ・障害者を”保護の対象”から、”権利の主体”へ転換。 ・障害者が、障害のない人と同等に、社会のあらゆる場面に参加する権利があることを確認。(権利において「平等」ということ) ・実質的な「平等」を確保するために、社会環境(制度、物理的環境、価値観etc)を変えていく必要がある、との考え方に基づいて、すべての人が享受すべき(しかし障害者の多くが享受できていない)権利について具体的に書かれている。 一つめは、障害者といえば「保護される人」「福祉サービスを受ける人」という根強いイメージに転換を迫るものだ。障害者の処遇も法制度も、障害者自身の意見を聞かれることなく専門家等が決めてきた。条約策定時のスローガンが”我々ぬきで我々のことを何も決めるな!”Nothing about us, without us!“ であり、障害者団体(NGO)が参画したことはもちろん、政府代表にも障害当事者が入ることが確保されたのは、こうした負の歴史を覆すためであった。 二つめは、外見や「能力」がどうであれ、人として大事にされるべき「権利」は他の人と同じ、という当たり前のことの確認である。しかしそれだけでは絵に描いた餅なので、「平等」を実現していくために社会環境を変えていく必要がある、という考え方(障害の社会モデル)がベースにあることを示しているのが三つめである。 障害者が困難に直面するのは、個人が「歩けない、目が見えない」「~ができない」ということに原因が求められてきた(=従来の障害観である「障害の個人モデル」、「医学モデル」)。だがそうではなく、一部の人を排除してきた社会のあり方にこそ原因がある(社会モデル)(1)という考え方が条約の基盤にある。「社会モデル」は1970年代以降の障害当事者運動の中から発展してきた。

2.どんなことが「障害者の権利」なのか?
 さて、「障害者の権利」として何が書かれているのだろうか。条約上の「権利」のどれひとつとっても、「障害者だけに与えられる権利」はない。「誰もがもっているべきなのに、実際は障害者があまり/ほとんどもてなかった権利」を明らかにし、一覧表にしたものが条約だといえる。 たとえば障害が重くて介護が必要な人は、本人の希望と関係なく、人里離れた施設に入所させられてきた。一般にこれは(古い障害観では)「仕方がないこと」とされた。しかし障害者権利条約第19条(地域で生活する権利)に照らせば、これは権利の侵害である。「地域で暮らす」ことは、健常者には当たり前すぎて、「権利」と意識されることもない。しかし、おびただしい数の障害者はそれが叶わず、社会参加の権利を根こそぎ奪われてきた。それでも声をあげて状況を変えようとした人がいたからこそ、選択の自由を有しつつ地域社会で生活する平等の権利(第19条)が承認されたのだ。 聴覚障害者が災害時に情報を得られず、命の危険に晒された。視覚障害者は、読みたい本を読むために何ヶ月も待たなくてはならない。車いすユーザーはバスの乗車拒否にあってきた。障害のある子どもは、兄姉と同じ小学校に就学することを拒否されてきた。こうした状況を変えるために、「情報にアクセスする権利」「移動する権利」「地域で学ぶ権利」を求めて、うんざりするほど長く、骨の折れる闘争が繰り返されてきた。 条約に書かれた権利のどれ一つをとってみても、「障害者の権利」は「障害者だけの特権」でも何でもないことがわかる。健常者中心に築き上げてきた社会の中で、膨大な障壁(バリア)がある。そんな社会を少しずつでも変えていくために「何が権利か」の指針と、国の義務を定めているのが条約だ(2)。

3.差別をなくしていくために
 条約を批准するために必須であったのが、差別を禁止する法律の制定である。 障害者差別解消法(現在、ガイドライン的なもの策定中)や各地の条例は、「これは差別では?」という事例があった時の、「相談、紛争解決のしくみ」に力点が置かれている。相談窓口だけなら従来もあったが、「話を聞くだけ」で、当事者の力にはなりにくかった。そうではなく、差別解消法の理念(「社会モデル」の考え方も、平等を実質的に確保するための「合理的配慮」の概念も入っている)に沿った問題解決のしくみが公的に作られることの意義を強調したい。 私は2009年から京都で条例づくりの運動にボランティアで関わってきた。その経験を書くには字数が尽きてしまったが、この間、様々な人から尋ねられてきた「条例ができても差別はなくならないでしょ?」という問いへの、私なりの答えを書いて終わりたい。 日本社会において「差別」は、嫌悪感等、どろどろした感情を伴う「心の問題」として捉えられがちだ。「障害者差別」という言葉への一般的なイメージもそれに近い。「差別禁止」という言葉にアレルギー反応を示す人が多いのは、心の中を規制されると考え、抵抗感を覚えるからだろう。差別は社会構造的なものだという理解が乏しいのだ。 差別解消法や条例は、心を変えようとするのでなく「ものさし」を示す。これまであまりに日常的だったがゆえに「差別」とみなされてこなかった(当事者も諦めてきた)入店拒否やタクシー乗車拒否、入居差別といった事象に「こういう場合は差別」と判断する基準=ものさしができるということだ。差別事例の多くは、障害者と接したことがない故に「危ない」「責任がもてない」等を口実にして避けてしまうものだ。この場合に必要なのは店主や運転手や大屋への罰ではなく、必要な情報の提供だろう。結果的に障害者が安心して店やタクシーを利用でき、部屋を借りられるような状況を作ることが大事なのだ。 そして、条例(や法律)の利点はまず、「こういう時、あきらめなくていい」と被差別当事者を励ますことだと思う。事例が公になることで、再発防止のための業界団体への啓発等も行えるようになる。相談窓口が各地にできれば、相談員への研修も必要になる。障害者権利条約の理念は、このように小さな場所で、少しずつ社会に浸透していく。 そしてもちろん、障害者権利条約の考え方が学校や社会教育の場で学ばれ、当事者をエンパワーし、非当事者も「社会の障壁をなくす」ことに力を注げるようになる必要がある。微力ながら、筆者はそこに関わっていきたい。

(1)「社会モデル」は、障害者問題だけに特化した考え方ではない。人種・民族的少数者や性的少数者である人が、社会で困難にぶちあたるのは、その人の属性・性質に原因があるのでなく、「多数派中心の価値観や社会制度」にこそ原因がある。この視点の転換は、あらゆる人権問題に共通する。障害者問題が「医療や福祉」の問題と捉えられている限りは、条約ができることはなかった。障害者運動が、根強い専門家支配のパラダイムを打破して「社会モデル」を広げ、条約に結実させた事実は、他の少数者を力づけるものだと思う。
(2)なお、障害者権利条約の全文(政府の公定訳)は外務省のサイトで読める。http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000899.html)。なお、批准する前から、障害者団体であるJDF(日本障害フォーラム)が公表していた「川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)」も参考になる。 http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/30May2008CRPDtranslation_into_Japanese.html 政府訳では「インクルージョン」が「包容」とされたり、「アクセス」や「コミュニケーション」等がむりやり日本語にされていることから、後者を適宜参照されるとわかりやすい。