企業の社会貢献としてとりくまれた 安田識字基金の終了にあたって

友永健三(ともなが けんぞう)
反差別国際運動 顧問

《安田識字基金の概要》
 安田識字基金は2005年5月に創設されました。これは、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)の公益団体であった安田和風会が1991年12月から実施していた「同和研修10年安田識字基金」が、同行の合併等を控え、その基金の半額であった2,500万円を社団法人部落解放・人権研究所(当時)に寄付されたことを受けて研究所内に創設されたものです。その際の条件としては、①日本と他のアジア諸国の識字活動を支援するものであること、②低金利状況が当分の間続く経済状況を踏まえ、最終的には基金がゼロになるまでの事業とすること、の2点でした。
 研究所では、基金の名称を「安田識字基金」と定め、運営委員会を設置し、2005年度から募集を始めました。毎年度の募集にあたって定めた基本的な基準は、日本国内と他のアジア諸国からそれぞれ1件あたりの助成上限金額を50万円、総額200万円まで、同一事業の助成は最大3年間までとしました。さらに、助成を受けた事業に関しては、中間報告と最終報告の提出を求めました。
 2012年度以降は、研究所の一般社団への移行作業との関係で、研究所事業とは切り離し、安田識字基金運営委員会が独自に行う事業として実施してきました。 安田識字基金は、2013年度事業(9年度目)をもって終了することとなりましたが、この間、日本国内で17団体、19事業、他のアジア諸国では7団体、13事業に対して助成をすることができました。 日本はもとより他のアジア諸国における識字活動の状況を見た時、まだまだとりくむべき課題は山積していますが、この9年間に及ぶ安田識字基金による助成は、日本と他のアジア諸国での識字活動の活性化に一定の貢献ができたものと自負しているところです。
 今般、安田識字基金を閉じるに際して、この間の助成事業の概要、若干の評価、安田識字基金を受けられたいくつかの団体からのメッセージ、会計報告等をまとめ、事業報告書を作成し、一般社団部落解放・人権研究所のウエブサイト等に掲載する予定ですので、この事業の詳細について関心をお持ちの方は、それをご覧になってください。
 本稿では、この事業の運営に当初からかかわった一員として、識字活動の重要性、インド等での識字活動から学んだことなどについて述べておきたいと思います。
《安田識字基金が設置された経過》
 識字活動の重要性等に触れる前に、安田信託銀行(当時)がなぜ識字基金を設置したかについて紹介しておきたいと思います。その発端は、同行が部落地名総鑑を購入(東京本店と大阪本店で2冊購入、コピーを神戸、京都、岡山支店に送付)し、採用に当たって使用していたという深刻な差別問題を引き起こしたことにあります。
 その後、部落解放同盟中央本部による安田信託銀行に対する確認・糾弾会が行われ、同行としての反省が示され、同行をあげて部落差別の解消をはじめとした人権問題にとりくむことが約束されました。具体的には、①社長を先頭とした推進体制の整備、②全部店における系統的な研修の推進、③採用規定の見直し、④業務の見直し等が取り組まれました。
 部落差別の解消と人権問題に対する本格的な取り組みが10年間継続された時点で、同行としての社会貢献に取り組むことが議論され、1991年12月、「同和研修10年安田識字基金」(基金の額:5000万円)が設置され、日本国内と他のアジア地域での識字活動への助成が行われました。
 しかしながら、金融界全体を巻き込んだ再編の波が同行にも押し寄せ、実施主体が不明確になる恐れが出てきたために、冒頭で紹介したように、2005年に日本ユネスコ協会と部落解放・人権研究所に基金の半額ずつが寄付されることとなったものです。 その後の企業における部落問題、人権問題に対するとりくみの広がりを見た時、同行の取り組みは、今日においてもモデルとして活用できるものがあるのではないでしょうか。とりわけ、企業の社会貢献として、識字活動に対する支援を位置付けていくことは極めて重要です。 《識字活動の重要性》 日本では、義務教育の普及がいきわたっていて、読み書きに不自由している人など存在していないと思っている人は少なくありません。しかしながら、現実には、さまざまな事情で義務教育すら満足に修了することができなかった人は少なくないのです。
 その現実を明らかにしてきたのが、部落解放運動でした。部落差別の結果、義務教育すら満足に通うことができなかった人が少なくなかったため、1950年代後半に大阪市内の部落では車の免許を取るための組織である車友会で識字活動が先駆的にとりくまれました。1960年代初頭には福岡の筑豊炭鉱地域で女性を中心にした識字学級が開設され、全国婦人集会でそのとりくみが報告されたことで、全国各地の部落でも識字教室が開設されていきました。識字活動に参加することによって、奪われていた文字を取り戻し、日常生活を円滑に過ごせるようになっただけでなく、調理師免許やヘルパー等の資格を取り、給食調理員やヘルパーなどの仕事に就く人びとが増えていきました。
 ここで、大阪市内の住吉地区の輪読会に参加しておられた吉村美代子さん(故人)が書かれた「文字って本当に素晴らしい」という作品を紹介しておきたいと思います。これは、識字活動の持つ重要性を見事に指摘しておられる作品だと思います。

  文字って本当に素晴らしい
  如何してだろう 不思議だ?
  識字に行くようになってから
  自分でもわからない 何でも書きたくて
  いや 今までに 書きたくても
  書けなかったからだ
  私の心の奥深くに 仕舞ってあるものが
  堰を切ったように流れ出す
  まるで走馬灯のように
  つぎからつぎに 思い浮かべて
  如何してだろう 不思議だ?
  やっぱり文字を習ったら こんな気持ちになるのかしら
  いや それもある 私が考えるには
  文字を書くことによって
  悲しかった事 苦労した事
  差別された事 学校に行けなかった事や
その他の事柄を
  みんな 文章を通じて知って
  もらえるからかしら
  如何してだろう 不思議だ?
  こんな理屈の一つも 言えるようになって
  識字に行った おかげだろうか
  いや きっと 心の目が覚めたのだ
  何処へ行っても 字を書けなくて
  おどおどしていた私 今は区役所でも
  郵便局に行っても 胸を張って
  自分の住所や名前を
  はっきりと 書けるようになった
  文字を覚えるという事は
  こんなにも 素晴らしいものだったのか
  まだまだ心の中に 眠っているものを
  ゆり起して 遅れ馳せながら
文字との たたかいをしなくては
(吉村美代子遺稿集『おじゃんとポプラの木』より)

《インドのダリット女性の識字から学ぶ》
 安田識字基金は、インド、スリランカ、ネパールなどでの識字活動、とりわけダリット女性の中での識字活動に対して重点的に助成を行いました。その中には、反差別国際運動(IMADR)に参加する団体によってとりくまれているものが少なくありません。 その理由としては、やはり、信頼のおけるしっかりと活動をしている団体を通して助成をすることが、基金の狙いをしっかりと受け止めてもらえると判断したからでした。
 筆者は、このうち、安田識字基金の助成を受けたインド・タミールナドゥ州にある農村教育開発協会(SRED)によってとりくまれている識字活動の一端に触れたことがあります。この団体のリーダーは、反差別国際運動(IMADR)の理事をしておられるブルナド・ナティソン・ファティマさんです。
 SREDによる識字活動に触れることよって学んだことは、①被差別の当事者女性が置かれている被差別の状況に気付かせていること、②自らが持っている権利に目覚めさせていること、③そのため活用できる法律や条約があることを教育していること、④これらの取り組みを踏まえた上で、実際に当事者を中心にした基礎自治体や州政府等に対する交渉を展開していること、⑤さらには、以上の過程をあらかじめプログラムとして企画して、目的意識的な識字活動が展開されていることです。
 SREDによるダリット女性を対象とした識字活動は、日本における被差別部落をはじめとしたマイノリティ女性の中での今後の識字活動にも参考になるものと思われますので、両者の交流が重要です。すでにこのためのとりくみがIMADRの企画で開始されていますが、今後一層活発に行われることが求められています。