ビジネスと人権と先住民族

白根大輔(しらね だいすけ)
国際人権コンサルタント

 昨年12月で2度目を迎えた国連ビジネスと人権フォーラム。そこでは、政府代表、ビジネス代表、市民社会代表と並び、先住民族代表にもカテゴリーの一つとして特定の発言枠が設けられていた。カテゴリーの決め方、分け方は別として、なぜ先住民族に一つの焦点が置かれているのかと言えば、それぞれの先住民族の状況や理解にかなりの多様性がありつつも、もともと自分たちの生活空間・領域として、所有地であるというだけではなく、伝統や習慣、アイデンティティ、さらにはその人生・命というところにまで密接に関係した先住民族の森や海などが、資源開発という名のもとに搾取や破壊されているケースなど、ビジネスによってその人権が侵されるケースが顕著に報告されているからだ。世界共通の定義を定めることが不可能なほど、先住民族の状況は多様だが、ビジネスと人権という観点から、本稿では筆者が現在生活の基盤を置いているインドネシアの先住民族のケースを例に挙げてみたい。

多様な先住民族と豊かな自然
 ご存知の方も多いかもしれないが、2億5千万余りの人口を抱えたインドネシアは、中国、インド、アメリカに続き世界で4番目に人口の多い国だ。ただこれらの「大国」と大きく異なり、その国土は1万8千に及ぶ無数の島々によって成り立っており、その総面積190万平方キロメートルをもって世界最大の列島国でもある。この国の中に、少なく見積もっても800以上の言語と千以上の民族が混在している。インドネシアの統計では民族籍という項目がないため公式の数字はない。また上述の通り、世界共通の定義がある訳ではないために客観的数字を導きだすのは少々困難だが、国連機関や専門家によって頻繁に適用される根本的な要素、「植民地化された歴史」「独自の文化と統治システム」「現在も独自の民族集団として形成されていること」、さらにその個人個人の「先住民族としての自己認識」などを考慮すると、インドネシアに暮らす民族の大部分が先住民族であると言っていい。また国内各地の先住民族運動をまとめている「AMAN」と呼ばれるインドネシア先住民族の連盟体の概算によれば、インドネシアの先住民族の総人口は少なくとも5千万人とされる。このような規模の先住民族がそれぞれの人数や文化、状況などは異なれど、インドネシア各地域、島々に暮らしている。
 実際にインドネシア各地の先住民族を訪れてみればわかるが、その多様性は他に例を見ないし、日本語の「先住民族」という言葉が一般的に与えるイメージが当てはまらない場合も多い。ただその中での共通点の一つとして、インドネシア先住民族の大部分が、自然が豊かで石油や鉱石、天然ガスなどが豊富な地域、いわゆる農村部に暮らしている。同時にそのような地域で必然的に存在し、かつ歴史的・制度的な差別によってさらに助長された貧困という問題に直面する人びとも多い。この背景のもと、豊かな自然や資源に目をつけた政府(インドネシア政府のみでなく日本も含めた各国政府)や企業による「開発」という名の行為は、土地搾取、先住民族の生活空間の一部もしくはそのものである森や海の自然・環境破壊、強制移住などの直接的問題を引き起こし、「開発」によって利益を得る一部の層とそうでない人びととの間の軋轢や衝突も引き起こしている。ちなみに植民地支配の歴史や搾取、資源所有権やそれらの認知に関わる保障の必要性を避けるため、インドネシア政府は、先住民族自身や国連機関の見方とは相反し、国際基準の中で確立された先住民族という概念やそれらの人びとの持つ特有の権利を認めておらず、インドネシアに先住民族は存在しないという立場を取り続けている。そのような言い分と国家の安全保障や利益のためという大義名分を巧みに使い分けながら、一部の人びとをスケープゴートにし、時には警察や軍隊も巻き込み、恒常的差別や搾取、殺人や拷問、その他さまざまな人権侵害があたかも正当な行為のように行われているケースが少なくない。 さらに法的執行機関における汚職や義務不履行は事をさらに複雑化する。このような先住民族が直面する問題の数々は、単に個別のケースが多数累積されているということだけではなく、 開発とは何なのか、何が誰にとっての発展であり解決なのか、自然と人間の共存や貧困、絡み合う問題と利害関係の中で、どのような短期的救済と長期的解決が可能なのかなど、簡単に答えの出ない疑問を多く投げかけてくる。

企業活動が招く伝統的生活資源と空間の収奪
 レーヨン製造企業であるPT.IIU社は1980年代半ば、当時の大統領スハルト氏の認可を受け、インドネシア政府から27万ヘクタールにも及ぶ土地の開発権を獲得し、スマトラ島北部でレーヨン生産のための大規模土地開発とプランテーションを開始した。しかしそのプランテーションと生産工場が、特に地域の水瓶ともなっているトバ湖や工場周辺地域に深刻な環境汚染をもたらし、当初から地域住民の苦情が相次いでいた。状況があまりに悪化したためPT.IIUレーヨン生産は2000年、当時の大統領メガワティ氏により中断されることとなった。しかし2年後、大統領と副大統領は共同でPT.IIU社の名称をPT. TPLと変え、レーヨン工場をパルプ/紙製造工場として使い、さらに地域の土地をユーカリのプランテーションとして開発することを決定した。このプランテーションは2009年、パンドマアン、シピトフタ先住民族の領地であるミルラの森にも拡大された。パンドマアン民族は少なくとも13世代以上にわたり、4100ヘクタールに及ぶ森を独自の慣習システムのもと管理・維持してきた。ミルラは植物相の多様な自然の森にしか育たない木であり、その樹液はお香の原料となる。それらはコミュニティの外にも販売され収入源となっている他、自然を傷つけない持続的採取のため、
人びとは1週間ほど森の中で生活をしながら、森の中に点在する一つひとつの木から少しずつ樹液をとっていく。ミルラの木のもとで文化的行事や宗教的儀式なども行われることがあり、森はコミュニティの生活基盤でありアイデンティティとなっている。この森が2005年、森林省の決定のもと、政府により一方的に国有林と指定され、ユーカリの栽培とパルプ生産のための用地としてPT. TPLに譲渡されてしまった。以来、コミュニティは代々所有してきた森へのアクセスを拒否され、森は、PT. TPLにより次々と破壊され、ユーカリプランテーションとパルプ工場に姿を変えていった。ユーカリだけが栽培されるプランテーションの人工林はもちろん、その周辺の森でもミルラは育たないため、その数は激減した。 森にミルラやその他の狩猟/採取目的で入ろうとする人はPT. TPL社のセキュリティの暴力的な制止にあい、森を守ろうとする人は地元警察により反乱者として犯罪者扱いされ、逮捕、拘留されている。警察や政府/PT. TPL関係者による嫌がらせや脅迫も相次いでおり、伝統的生活資源と空間を奪われたパンドマアンの人びとは未だ解決策を模索している。
 パームオイルのプランテーションは一例を挙げて説明ができるような規模ではもうなくなっている。実際に私たちの日常の中でパームオイルを使った製品の数を見ればわかる。マーガリン、チョコレート、プロセスチーズなどの食品の他、ボディソープや化粧品、近年ではバイオエナジーとしてもその需要がどんどん高まっている。需要と市場は世界規模、特に先進諸国に存在しているため、そのサプライチェーンの根本の部分で起きている環境破壊や人権侵害の責任追及や防止も一筋縄ではいかない。大規模な土地、特に熱帯雨林を所有する国のほとんどにパームオイルのプランテーションが存在しており、その国の貴重な収入源となっている。インドネシアには現在600万ヘクタールのパームオイルプランテーションがあり、政府は2015年までにさらに400万ヘクタール拡大することを計画しているようだ。このようなプランテーションの開拓と運営のため、すでに多くの森と先住民族の生活圏が奪われ、強制立ち退きや焼き討ち、暴力的衝突も相次いでいる。開拓に際し政府や企業から地元住民に約束された保障や利益は大抵の場合実施されていないし、文字の読めない地元住民代表が契約書に無理矢理(あるいは他言語で書かれた契約書に無理矢理)署名させられたり、だまされて署名するというケースも後を絶たない。鉱石や天然ガス資源の採掘産業も似たような形で大規模に先住民族の生活圏を奪っている。このような事例の報告はグーグルで検索しても次から次へと出てくるので一度試してみてはいかがだろう。
 
 インドネシア東部、首都ジャカルタから2500キロほど離れたところ(那覇と同じくらいの経度に位置する)に多数の島から成るマルク州がある。ここマルク州 のパペル民族はさらに特殊な形の「ビジネス」により影響を受けている。パペルコミュニティはマルク州の一部の小さな島に住み、その生活とアイデンティティはもっぱら海とともにある。2007年、スイス人所有のマルク・ダイビング観光という会社がパペルコミュニティの有力者/地主であるルフーカイ族に便宜を図り、8700ヘクタールの土地の賃貸契約を結んだ。さらにこの会社は、スキューバーダイビング等の観光利用のために借り受けた土地に隣接する海域の所有権も一方的に主張し(そこは、もともとパペルコミュニティにより共同で所有、活用されてきた)、地元住民の侵入を禁止するようになった。そこはおりしもパペル民族にとって重要な漁場であり、80%を超えるパペル住民は日々の生活資源の確保にも困窮するようになった。しかし同時にこの会社によりコミュニティの一部の有力者に賄賂などさまざまな便宜が図られており、パペルコミュニティ内部でも分裂と衝突が起きるようになった。地方政府はこの問題に関してほぼ無視を続けているが、その一方で会社や地元有力者とつながっている警察や軍隊は、地元住民の海域への侵入を脅迫的手段を用いてでも妨害する側に回っている。和解の道は未だまったく見えてこない。