今求められる企業、そしてNGOの役割 ――白石理さんに聞く

Q:昨年12月、第2回国連ビジネスと人権に関するフォーラムがジュネーブで開催されました。国連が2011年に採択した「ビジネスと人権に関する指導原則」の実施に向け、世界から、政府、ビジネス界、NGOなどの代表が2,000人以上集まり、さまざまな切り口から議論が行われました。この指導原則が作られるに至った経緯について聞かせてください。

■かつて、欧米や日本などの多国籍企業が、開発途上国でさまざまな人権侵害にかかわってきたことが問題になりました。これらの企業の中には出先の国の国家予算を上回る財政規模をもつものもあります。こうした状況について、早くは1960年代末から国連が行動規範を作ろうとしてきましたが、うまくいきませんでした。2003年、(旧)国連人権小委員会が多国籍企業や企業の人権行動規範の原案を作り、翌年に上部機関である(旧)国連人権委員会で諮られましたが、大まかに言って、先進国グループと企業グループ対途上国グループとNGOグループとのせめぎ合いとなり、成功しませんでした。これらを経て、人権委員会は、2005年に新しいアプローチとして国連事務総長特別代表を指名して、報告書を作成するよう要請しました。それを託されたのがハーバード大学教授のジョン・ラギーでした。2008年、彼が人権理事会(2006年に人権委員会に代わって出来た)に出した報告書では、ビジネスと人権の課題に取り組むうえでの枠組が提案されました。その枠組は、国際法上の法的責任を企業に負わせる新たな提案ではなく、これまでの国際人権基準に沿って出された提案を中心にしたものでした。枠組は保護、尊重、救済という3本の柱、すなわち、国には人権侵害から人びとを保護する義務があり、企業はその活動のすべてにおいて人権を尊重する責任があり、人権侵害による被害者は救済へのアクセスを保障されていなくてはならない、という考え方から成っていました。
 国連人権理事会に提出されたラギーの報告書は大きな支持を得ました。人権理事会はその枠組を実施するための指針を作るよう特別代表に要請しました。それを受け、2010年までの3年間、世界各地でそのための地域会合が開かれ、企業、労働組合、研究者、市民、政府などさまざまなステークホルダーが関わりました。それらの集大成であるラギー報告書が2011年6月に人権理事会に提出され、全会一致の支持を得ました。この報告書の付録が「ビジネスと人権に関する指導原則 国連『保護、尊重及び救済』枠組み実施のために」です。ヒューライツ大阪はこの指導原則を翻訳してウェブサイトに載せています(1)。また、この原則を企業のCSR担当者のために読み解いたパンフレットも作りました。
 『保護、尊重及び救済』の原則のもと、企業は人権の責任を果たすことを社の方針としてコミット(誓い)し、人権への負の影響が起きればそれに対処する責任、すなわちデュー・ディリジェンスを持ち、引き起こした人権への負の影響を是正しなくてはなりません。これら3つをどう実施するのかについてもこの指導原則は詳しく述べています。

Q:これまで作られてきたグローバルコンパクト、ISO26000、OECD行動指針などもビジネスと人権に関する規定や指針を盛り込んでいます。今回の国連の指導原則とはどこかどう違うのでしょう?

■ISO26000やOECD行動指針も人権について述べていますが、ガバナンス、コンプライアンス、環境などその他のテーマも取り扱っています。一方、指導原則は人権だけに特化しており、それを実施する上でどうしなくてはならないのかということを詳しく説明しています。今、日本ではCSRがあちこちで語られています。企業内に専門部局を設けたり、その責任者に経営幹部を置いたりしている企業もあります。企業にとって、環境は比較的分かりやすいのですが、人権は分かりにくく、多くの場合、採用や雇用慣行における、部落出身者、在日コリアン、障がい者、女性への差別問題が人権であると見られています。CSRの人権では、企業がその決定や活動において人権に与える影響、すなわち結果への責任が問われています。企業活動のもたらす影響のすべて、サプライチェーンから販売先そして消費者に至るまで(バリューチェーンという)、その影響範囲における人権に責任を持つべきだという考え方です。部品調達先の会社で起きた人権侵害について、「なんでうちの責任になるの?」というのではなく、それにも責任がある。この考え方は、グローバルコンパクトから始まり、ISO26000、OECD行動指針、そして国連指導原則に貫ぬかれています。企業が人権への取り組みを深めるようになれば、ISO、OECDそして指導原則に取り組まざるを得なくなるでしょう。ジョン・ラギーは2005年のグローバルコンパクトに関わっていました。2008年に出たラギーの報告書は、その後のOECD行動指針やISO26000に大きなインパクトをもたらしました。
 指導原則はかなり具体的ですが、それでもまだ説明を求められることがあります。そのため、国連やEUは業種別、規模別に合わせた解説書を出しています。イギリスやオランダなどではこれを基にした行動計画を出しました。また、IMADRなどのNGOにとって重要だと思わるのが、指導原則の中にある一般原則です。これは指導原則の土台となるようなものです。一般原則の一つは、『この指導原則はすべての国家とすべての企業に適用されることを考えて作られている』ということです。だから、「この指導原則はうちにはちょっと…」と言うことはできません。もう一つは、『この指導原則は社会的に弱い立場に置かれ、排除されるリスクが高い集団や民族に属する個人の権利とニーズ、その人たちが直面する課題に特に注意を払うことを求めている』ということです。

Q:日本の企業はこの指導原則をどのように受け止めているでしょう?グローバルコンパクトやISO26000などは企業の看板に掲げられたりしていますが、指導原則について企業が何か言っているのをあまり聞いたことがありません。

■指導原則は日本の企業の間にはまだ十分浸透はしていなくて、グローバルコンパクトやISOなど、それぞれがバラバラにできたと思っているところが多いです。そのため、先ほどのような説明をして理解してもらっています。指導原則ができる少し前に経団連の企業行動憲章の改定版がでました。それを見れば、指導原則の考え方に影響を受けていると思えますが、まだ萌芽的に語られているだけで、明示的にはとりあげていません。そういった意味では、まだ本格的に始まっているとは思えません。アメリカにも産業別に団体がありますが、やっているところとやっていないところがあります。鉱物資源などの抽出産業や縫製・スポーツ用品など、これまで途上国での事業活動による環境破壊や人権問題で大きく叩かれてきたところは、比較的熱心に取り組んでいます。
 日本に関して言えば、以前、あるところで「大阪は景気がよくないので、企業には人権の話をとりあげるだけの余裕がありません」と言われました。それは人権は研修するものとして捉えているからだと思います。企業は人権をどう考えているのでしょう?たとえば、小規模事業主が生き残りのために外国人技能実習制度を使い、人件費を最低賃金以下に抑えている、「だからうちは何とかやっていける」のだと。しかし、自分たちの生き残りのために他者を搾取してよいのか?どんな場合でもよいはずはありません。人権を守る、人を守る会社だということが分かれば、企業の評判があがり、業績もあがるかもしれない。そういうメリットがあるかもしれない。けれど、そうなるとは必ず保証されるものでもない。人権尊重は、会社の利益が保証されるかどうかで、やるやらないを決めるものでもありません。人権を尊重することに「選択肢」はないのです。かつては、企業は慈善事業ではない、企業は利益と成長だけ追求すればよいという考えが根強くありました。それが公害を生み、人権侵害を起こし、最低賃金違反問題を起こし、偽装表示を起こしてきました。問題はそんなことではなく、「社会はもうそうしたことを許さない。『社会の期待』が企業の社会的責任という形で表われている。だから、社会の期待に応えられない企業はその社会で存在する場所がない」、そう考えなくてはいけません。その『社会の期待』の一つに、人を大切にする、人権を尊重するということがあります。企業のトップにそれが求められます。しかし日本の経営者の間にはそうしないと大変なことになるという危機感はあるでしょうか?ある会社では業績のためには長時間労働も当たり前という考え方がありました。「海外では通用しないのでは?」と尋ねたところ、「海外の系列会社ではそれはやっていません」ということでした。ダブルスタンダードです。他方、企業は、人件費の安いところ、労働基準や環境保護の規制の厳しくないところを探し求めていく。規制があるから日本を出る、規制がないから開発途上国に行く。企業は、経済的な利益を優先するあまり、人を大切にすることをおろそかにすることがあってはなりません。

Q:今後、指導原則がどのように実施されていくのか、大きな課題だと思いますが。

■ビジネスにおいて人権が尊重されるためには、『社会の期待』が大きな役割を果たすと考えます。いろいろと企業活動を規制するための規範を作ることはできますが、実際に国際社会で執行されないものを作っても意味がありません。その代わりに出てくる観念が『社会の期待』です。これは、「そうしないと罰せられますよ」として法的に処罰することではなく、別の形の罰です。これは欧米から出てきた概念で、ソフトローSoft Lawと呼ばれています。その対局にあるハードローHard Lawのように、法的に権利義務を明示したものではありません。これを日本語に置き換えれば『社会の期待』になります。『社会の期待』が非常に高まれば、もう「うちは知らん」とは言えない。たとえば、国連でこの原則が作られたので守ってほしいとお願いしても、「それは原則だろう。法律じゃないからうちは守らないよ」で片付けられていても、企業がいい加減なことをやって、それがインターネットで批判されたら、それは企業にとって大きな打撃になります。それがソフトローです。『社会の期待』を監視しているのは誰か、その重要な役割を担うのが国際NGOです。12月の国連フォーラムにはそうしたNGOが多数参加をしました。そこで、もっと規制を厳しくしろという意見もありました。しかし、いくら国際的に法的な規制を設けたとしても、それを執行する手立てが国際的にも国内的にもなければ意味がありません。それよりも、NGOが監視体制をもっと厳しくすることが求められます。さらには、企業がこうした国際規範を実施するのを助ける体制作りも求められます。またNGOとしては監視だけではなく、さまざまな意見や勧告を企業レベル、国レベルあるいは国連レベルで出していくアドボカシーの活動が求められています。世界各地でこの問題に先進的にとりくんでいるNGOが集まって協会などを作れば、非常にすばらしいことになると思います。
 企業に人権尊重の努力が今ほど求められたことはありません。そして、NGOはこの分野においてこれまで以上の、そしてこれまでにはない革新的な役割が期待されています。この流れはさらに加速されると思います。もしかしたら法的な規制は20年30年先になるかもしれません。今はその「気運」を作りだす意味でも『社会の期待』を高めること、社会の成熟度を高めることに集中すべきだと思います。

 第2回国連ビジネスと人権フォーラムが2013年12月2~4日、ジュネーブで開催された。IMADRはNCDHR(全国ダリット人権キャンペーン)と協力してダリットの社会的インクルージョンの課題に取り組んできた。そのため、NCDHRの代表とともに雇用における差別や社会的排除の観点よりフォーラムに参加した。「ビジネスと人権に関する指導原則」の実施にかかる国連の議論は包括的であり、問題や課題は多方面にわたる。その中でNGOが掲げた問題は主に「多国籍企業の活動と先住民族」と「雇用、労働における現代的奴隷制」に集中したように思える。多国籍企業の資源採掘や資源乱用の活動は環境と人びと(主に先住民族)に多大な影響をもたらしている。以下に続く報告はインドネシアの先住民族の直面する課題であるが、同じように、ラテンアメリカやその他の地域においても企業活動が引き起こす問題は深刻であり、多数の先住民族の代表がフォーラムに参加していた。
 「現代的奴隷制」については、児童労働、債務労働、強制労働など、その被害者はダリットを含む世界の被差別コミュニティに集中している。それについては、8、9ページの資料をご覧いただきたい。奴隷制の問題の範疇に入る人身売買についても一つのセッションで取りあげられていた。そこでの議論は、日本における外国人技能実習制度のもとで引き起こされている問題に通じる点がいくつもあった。
 ビジネスにおける人権の保護や救済において、NGOあるいは市民社会組織(CSO)が関わっていくには、次のような解決すべき課題があることも確認された;①市民社会のガバナンスの弱さ、②市民社会のキャパシティの不足、③政府による指導原則の実施の弱さ、④監視のための国際的なメカニズムの欠如、⑤救済のメカニズムの欠如、⑥人権侵害を告発したCSOや人権活動家に対する報復、⑦ビジネス界における実施を進めるうえでのメカニズムの欠如。
 世界人権宣言を含む国際人権諸基準や諸規範が、ビジネス活動に関連する領域においても実現されるために始まった指導原則の取り組み、まだ緒についたばかりである。(小森恵)