2024.10.1

優生保護法問題─さまざまな壁を乗り越えて

開かれつつある扉

一連の優生保護法裁判は、2022年2月の大阪高裁判決がでるまで、原告敗訴が相次いでいた。19年5月の仙台に始まり、20年6月東京、同年12月大阪、21年1月と2月の札幌2件、同年8月神戸の6地裁である。優生手術と認定されなかった札幌の1件をのぞいては、法律の違憲性を認めたものの、除斥期間(民法724条後段)を適用して原告の訴えを退けた。損害賠償権が認められてから20年が過ぎたため、権利は消滅したとされたのである。

しかし、22年2月の大阪高裁(第一次・第二次原告)で、全国初の原告勝訴の判決がでた。その翌月の東京高裁でも逆転勝訴したが、同年9月の大阪地裁第三次原告は敗訴している。これは、大阪高裁判決をそのまま踏襲したためと思われる。第一次・第二次原告は、18年1月に宮城の知的障害女性である佐藤由美さん(仮名)が、仙台地裁に提訴したこと
で、自身が優生手術をされたと認識でき、それから6か月以内に提訴したため、除斥期間の適用を制限するというものだった。そのため最初の提訴から半年以上たった18年12月提訴の第三次原告は、権利が消滅したとされて敗訴したのである(但し、今年1月控訴審で逆転勝訴)。その後出されたほとんどの勝利判決でも同様に、提訴の時期によって判決が分かれ、被害者が分断されるものとなっていた。

ところが、本年3月12日の名古屋地裁では、「権利行使をすることが極めて困難となる原因を作った被告が損害賠償義務を免れるということは、著しく正義・公平の理念に反する。」として、除斥期間そのものを適用しなかった。国は障害者を「不良な子孫」と位置づけ、優生政策を学校教育にも広めて社会に優生思想をねづかせてきた。そのために、被害者が権利行使できない状況を生み出しておきながら、その張本人である国が、時間切れを主張することは、「正義・公平の理念に反する」と断罪したのである。

かき消されてきた被害者の声

この「画期的な判決」からさかのぼること昨年6月1日、仙台高裁で大変ショッキングな判決があった。原告は前述の佐藤さんと、20年以上前から声を上げてきた飯塚淳子さん(活動名)。彼女らは、19年仙台地裁で除斥期間を理由に敗訴し、控訴していた。その間に、4高裁2地裁で原告勝訴が続いており、私たち支援者もよい判決を期待していた。ところが、仙台高裁・石栗正子裁判長が下した判決は、またもや原告の訴えを退ける無情なものだった。

優生保護法が違憲であり、損害賠償権があったことは認めたが、「原告・飯塚淳子さんは手術(1963年、16才で手術)の約半年後には両親の会話をたまたま耳にして、自身が受けた手術は優生手術であると認識しており、原告・佐藤由美さん(1972年、15才で手術)については、数年後に母が義妹(正:義姉)に不妊手術について伝えていた。」として彼女らが手術から20年の間に、権利行使できたとした。しかし、彼女らが、子どもを産めない手術をされたことを知ったからと言って、それが優生保護法に基づく手術で、国に責任があると認識し、提訴できただろうか?  この間、まだ優生保護法が存在していたのである。優生手術は、性と生殖の健康・権利を奪ったものであり、性被害である。被害を受けていても、容易に声を上げることが困難なことは、「♯Me Too運動」や「ジャニーズ性加害問題」からも明らかだ。

更に判決文では法改正前後から20年の間には、日
本障害者協議会等からの改正の要望がされ、国連の会議などでも旧法を取り上げ改正すべきとの強い意向が示されていたこと、1996年法改正後は、謝罪を求める会が結成され、1997年には謝罪と補償を求める要望書を厚生省に提出したこと、障害者基本法や障害者差別解消法などの法整備がされたと、日弁連も2001年及び2015年には優生手術の対象となった人たちに対する補償の措置を講じるべきであることなどを内容とする報告書を発表していること、飯塚さんが謝罪を求める会において活動し、弁護士に相談して日弁連に人権救済の申し立てを行ったことが認められ、「優生政策が推進されたことなどにより、優生思想による差別や偏見が継続して存在していたことなどを考慮しても、上記期間内に優生手術の対象とされた控訴人らが権利行使することが著しく困難であって、手術の違法性を訴えることが不可能に近い状態であったとまではいえない」としたのである。手術の記録がなかったため、裁判は難しいと断られ続けた飯塚さんや支援者が、国連に働きかけて勧告を引き出したり、様々な取り組みをしてきたこ
とが、裁判できなかったという理由にならないとされてしまったのである。国連から勧告が出されても、国は一貫して「当時は合法だった」として、調査も何も行ってこなかった。

「優生手術に謝罪を求める会」の名称を略称のみで示したり、義理の姉のことを「義妹」とする誤記もあり、事実誤認も甚だしいずさんな判決文であったといえる。

一刻も早い全面解決を!

いずれの裁判も、国あるいは原告側が最高裁に上告受理申し立てを行った。そのため、優生連は、「正義・公平の理念に基づく判決を求める署名活動」を昨年9月より今年4月19日まで行った。昨年11月1日に第一次として12万筆を超える署名を提出し、原告たちと共に、弁護団・支援者も要望を伝えたが、その日のうちに、最高裁は5案件について、大法廷回付することを公表した。5案件とは、22年2月の大阪高裁から、23年3月の大阪高裁(兵庫原告)の原告勝訴の4件と、原告側敗訴の仙台高裁のことである(署名は4回に分けて提出、累計30万筆を超えた)。

第1回口頭弁論が5月29日に開かれ、今年の夏にも判決が出るものと予想されている。口頭弁論では原告たちの声を直接伝える機会となる。裁判官はしっかりとその思いを受け止めてほしい。この裁判では、障害者が偏見や差別に満ちた中で、いかに肩身を狭くして生きてきたか、深く理解して臨む必要がある。

兵庫県の原告で、全国初のろう者として提訴した高尾辰夫さん(仮名・故人)は、左肩から右腰辺りまでを右手で切るように振り下ろす「仕方ない」という手話で表現した。これは侍が「切り捨てごめん」とする様子を表す。家庭や職場で差別されても、耳の聞こえない者は、聞こえるものに歯向かうことはできない。何をされても「仕方がない」と思わされ
てきたのである。こうして育てられた障害者が、その被害を声に出すこと、まして裁判をすることなど到底考えられなかった。しかし、最高裁に要望を伝えるにあたって、最高裁側の障害者に対する理解が乏しいものであることを痛感した。

今年4月から改正「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行され、合理的配慮が民間事業者にも義務化されたが、三権分立のために、司法はこの法律の対象とならない。とはいえ、裁判所は独自にガイドラインを作成しており、不十分とはいえ、各地での裁判ではある程度合理的配慮がなされてきた。もちろん、そのために各地の支援者たちが各裁判体に働きかけをしてきたからである。

そこで最高裁にも合理的配慮を求める要望書を提出し、手話通訳者の裁判所による配置も求めている。しかし4月22日現在、裁判所から回答はきていない。一方、すでに原告39名のうち、今年2月に急逝した熊本の渡辺数美さんを含め6名の方が無念のうちにこの世を去っている。しかし、国側は最高裁判決を待ってからという姿勢である。渡辺さんは生前「自分たちが死ぬのを待っているのじゃないか? 」と語っていた。

原告たちは国からの真の謝罪を求めており、それにこたえるには判決を待たず、政治決着という道を選ぶこともできるはずである。

最高裁には正義・公平の理念に基づく判決を期待するとともに、それとは別に、国には早期全面解決のための英断をしてもらいたいと切に願う。

IMADR通信218号 2024/5/24発行

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