『ヒトラーへの285枚の葉書』

寺田 正寛

『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議事務局長、IMADR事務局次長

 

ナチス政権下のドイツ国民は、一体どのような生活を送り、そして日々の営みの中で何を思い、感じていたのだろうか。

第一次世界大戦に敗れ、伝統的価値観の崩壊や経済的疲弊が著しい中で誕生したナチス政権は、ヒトラーを中心とした独裁体制を作り上げ、巧妙な大衆宣伝によって一気に国民の支持を受けるに至った。しかし一方では、ゲシュタポ(国家秘密警察)や市民同士による監視のなか、ユダヤ人をはじめ、スィンティ・ロマ、身体・精神障害者などの社会的弱者への迫害といった人種主義が横行していた。

映画の舞台となるのは、1940年6月のドイツの首都ベルリン。まさにナチス・ドイツがフランスに勝利し、大勢の市民がそのニュースに沸き立つ場面が映し出される。

ベルリンの古めかしいアパートで質素に暮らすオットーとアンナのクヴァンゲル夫妻のもとに届いた一通の封書は最愛の一人息子の戦死を知らせるものだった。たちまち深い喪失感に打ちひしがれた夫婦は、それ以来暗く冷え切った日々を送るようになる。

やがてオットーは、ペンとポストカード(葉書)を武器にして命がけの抵抗運動に身を投じていく。ナチス党の国家社会主義女性同盟のメンバーとして活動していた妻のアンナもその行動に触発され、カードの配布を積極的に手伝うようになっていく。カードの内容は、直接的かつ痛烈な言葉で政権批判を重ねるものだった。

ポストカードは、公共の建物や集合住宅の入り口の階段などにそっと置かれていった。ゲシュタポは、カードの分布箇所や範囲、文面の内容などから犯人の割り出しに躍起になり、徐々に夫婦を追い詰めてゆくが、夫婦はなおも凄まじい執念でカードの配布を続けていくのだった。

この映画の中には、多くの人物が登場する。主人公夫婦が暮らすアパートの住民でナチスに批判的な元判事、迫害されるユダヤ人の老婦人、密告を生業とする男や、夫婦の捜査に乗り出すゲシュタポの警部、ナチス親衛隊の幹部など。彼・彼女らにはそれぞれに抱える立場や信条があり、その立場や信条、関係性を守るために、あるいは生きていくことそのもののために葛藤を抱えながらもそれぞれの行動をとっている。

この映画の中でヒトラー自身が登場する場面はないが、不気味な存在だったのはヒトラーを含めた特定の人物ではなく、名もない一般市民そのものであったように思う。285枚に及ぶ命がけのポストカードは、一般市民の手を通してゲシュタポに届けられていった。監視下にある恐怖の中ですぐさま通報する者もいたが、カードの存在を知りながらも見過ごし、通り過ぎる者もあっただろう。それらの市民の心情としては、ポストカードの文面から思考を巡らせて何かを感じ取っていくというよりは、「厄介なことには関わりたくない」との思いに駆り立てられていたことは想像に難しくない。

個人の自由や権利が制約される「全体主義」の傾向は、この時期のドイツに限ったことではない。今、当たり前にある私たちの自由と権利は、「無関心」を超えて自覚的に守っていかなければならないものになりつつある。

 

『ヒトラーへの285枚の葉書』(英題:Alone in Berlin)

監督:ヴァンサン・ペレーズ

配給:アルバトロス・フィルム

©X Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathé Production / Buffalo Films 2016